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片隅

飛雪

作者: 酒月沢 杏

窓の外は白と黒のコントラストを映し、その景色は私たちにとって絶望そのものを映していた。


そんな雪花舞う夜の中、数少ない電気なしで動く灯油ストーブに身を寄せて、手を温めることしか私たちにはできない。


「・・・寒い」


そんな誰もが分かり切っている呟きに私も肺の奥から息が多く漏れた。


「そんなこと言うと余計に寒くなりますよ」


「わかってるけどさ・・・しかたないじゃない。言わなきゃやってらんないのよ」


手のひらを擦り合わせながら先輩は口を尖らせて言った。


「この時間は会社の電気使えないですから、ストーブがあっただけよかったですよ」


「そうだけどさ・・・まさか終電逃すなんて思わないじゃん・・・」


「まあ、何となく予想はしてたので仕方ないと言えば仕方ないですけどね」


互いにため息を漏らしてさらに身を丸めた。


ことの始まりは今日の六時半頃。自身の仕事と明日の準備を終わらせて帰宅しようとしていた私たちのもとに部長という肩書を持つ中年の男がやってきて


「明日までにこれの見積もり、つくっといて」


と私たちにファイルに入った大量の書類を渡して、一人で意気揚々と帰っていった。


残業が確定した私たちを憐れむような目で見ながら帰っていく他の社員たちを見送りながら先輩と急いで仕事を終わらせようとしていた。


時にくじけそうになりながらも、仕事だからと自分に言い聞かせながら、終わったのは時計の針が二本ともてっぺんを過ぎた後で、終電は過ぎ、大雪が降る中でタクシーで帰るには金もなく、助けを呼ぶには知り合いが少なく、歩いて帰るのは死の危険があった。


仕方がないので途中で銭湯とコンビニに寄って戻ってきた。そしたら時間は一時を過ぎたぐらいになっていた。


「あのクソジジイ、早くクビになればいいのに」


「私も今日ばかりは死んでほしいと思いました・・・」


それぞれあの男に対する感想を述べるわけだが、あれに対していいイメージを持ったことなど、ここに就職してから一年弱、一度もなかった。


「こんなブラック企業に入ってしまった私たちが悪いのかなぁ」


そんな呟きが白い息とともに洩れる。


「よく考えずに言われるがまま、大手と呼ばれる企業に就職したのが悪いんですかね・・・」


「刺さるなーそれ」


「学生時代は周りに言われるがまま進学して、周りの評判にそって、自分の入れるちょうどいい会社を見つけて就職するだけ・・・」


「そうそう。なりたいものとかやりたいことみたいな夢も高校あたりで見失って、結局流れ着いたのがこんな人殺しスレスレのブラック企業だもの」


「やってらんないわ」と先輩は笑う。


私もつられるように苦笑した。


「じゃあ、せっかくだし・・・飲もっか」


近くに置いてあったビニール袋から缶チューハイを二本取り出した。


五百ミリリットルの大きなやつだ。


「本当にいいんですかね?、会社でお酒飲んだりして・・・」


「だめだけどいいのよ、二本くらいなら隠せるでしょ」


明日も平日で仕事はあり、朝になれば人は来る。


会社に寝泊まりすることは多少の小言で済むだろうが、社内で飲酒をしたとなれば、さすがのクソジジイこと部長が怒鳴るだろうし、他の人からの視線も痛い。


「実は昔、一人で飲んだ」


「えぇ・・・前にもこんなことあったんですか・・・?」


あっけからんと言う先輩に私は困惑の声を出す。


「あったねぇ・・・というかほぼ毎日だったよ:


そう言いながら缶を開け、待ちきれないとばかりに口をつける。


私ももうどうしようもないことはわかってきているし、遠慮していても仕方ないので缶を開け「いただきます」と言ってから口をつけた。


「律儀だねー」


「出してもらってるわけですから」


「ゆーちゃんはいい子だなぁ、なんでこんな会社に来ちゃったの・・・」


ビニール袋からポテトチップスを取り出して袋を開ける。


大きく開き二人で食べやすいようにしてからつまみ始めた。


「・・・それで、なぜ毎日も残業を?、私はここまで遅くなったのはこの一年で初めてですけど・・・」


「そうねぇ、ゆーちゃんが来る前の一年、私が入社して二年目の時にね、経理の同僚が辞めちゃって、私一人になったのよ」


「一人って・・・まさか仕事量は」


「変わるわけないじゃん」


「ひぇ・・・」


毎日出される仕事を先輩と二人でいつも終わらせているわけだが、それでも結構大変で、私がまだ経験も少ない新入社員というのもあるが、多分一般の社会人でもそこそこ大変であろう量だった。


たしかに先輩は優秀だし、仕事をするスピードはかなり速いと思うが・・・


「残業時間、多分月百時間超えてたんじゃないかな?、つらすぎて数えるのも考えるのも止めたけど」


「それ過労死ラインですよ・・・労働組合に報告は?一応うちも企業ですし、ありますもんね・・・?」


「組合なんて本当に飾りよ、特にうちはね。一回試しに噓偽りなく残業時間報告したら上からも組合からも同時に怒られてもみ消されたもの」


私、いつかここに殺されるんじゃないだろうかと先輩の話を聞いてると本気で思えてくる。


缶チューハイをあおりながら遠くを見る先輩はその頃の苦労を思い出しているのか目に光が無いように見えた。


「で、でも今は、大丈夫・・・ですよね?」


「そうだねー、ゆーちゃんのおかげでだいぶ楽になったかな?、ゆーちゃん仕事覚えるの早かったし、助かっちゃったなー」


面と向かってそう言われると妙に照れくさくなり、その視線から逃れる。


「あれもしかして、もしかしなくても照れてる?、ゆーちゃん照れてる!?」


子供のように私を煽りながら顔を覗く先輩が視界に映る。


「いや、まあ・・・社会人になると褒められることもすくなくなるので」


「・・・返しがあんまり可愛くないなぁ」


返しがお気に召さなかった先輩に私は「余計なお世話ですよ」と反抗的な言葉で返す。


ケラケラと笑う先輩を見ながらポテトチップスを口の中に放り込み、塩気を酒で流した。


時間が経ってきたからか、それとも酒によってか、感じる温度は上がってきたように思える。


顔は互いに少しづつ赤みを帯びてきて、酔ってきているのが分かった。


「やっぱりこいつはまわるのが早いねぇ」


もう中身がほとんどなくなった感を横に振って残量を確かめる。


「あー、もっと飲みたいなぁ・・・」


「だめですよ、明日も仕事なんですから」


「ゆーちゃん真面目すぎぃ。ホントに酔ってる?」


「ちゃんと酔ってますよ、わたしが先輩よりちょっとだけお酒に強いだけです」


正直もっと飲みたいのは私も同じだ。大学生時代もお酒は結構好きで、日を選びながら飲んでいた覚えがある。


社会人になってからは日々の忙しさや疲れにより手軽で安くてすぐ酔えるチューハイかビールを平日には一本、次の日が休日の時は五本までと決めて飲むようになった。


まあ、たまにやぶることもあるが。


休肝日は月一回だが、それも最近守れた覚えがない。


ストレスや半強制的な飲み会により、圧倒的に酒を飲む頻度が悪い方に増えていた。


「私弱くないもん、ゆーちゃんが強すぎるだけだもん」


「誰も先輩のこと弱いだなんて言ってないじゃないですか・・・」


本来、先輩もそこまで酒に弱くないはずだが、今日は妙に酔うのが早い。


前に飲みに連れていってもらったときは酔ったとしても、もう少し会話も成り立っていた気がする。


まあ確かに、ちょっと特殊な状況なことや最近のストレスのことなんかも考えれば、そこまで量がなくても早いのはなんとなく納得できる。


今までの話でも分かるが、先輩は本当に苦労の多い人だ。


仕事もできるし、何より優しいから慕う人も多い。私もその一人だ。


だからこそ、先輩は多くの仕事を一人で片づけたり、他の仕事を手伝ったりしてしまう。


決して悪いことではないのだが・・・


私はそんな先輩を尊敬すると同時に、こうなりたくはないと思っている。


それほどに先輩は人のために生きていた。


「先輩」


「んー?」


「ちゃんと休めてますか?」


「んー・・・微妙!!」


「じゃあしっかり休んでください」


そう言いながら私は隣に置いて畳んであった毛布を広げて先輩の頭に投げて被せた。


先輩は「きゃー!」と子供のように楽しそうな声を上げて毛布に飲み込まれる。


しばらくもぞもぞしてからスポッと毛布から頭を出してまるで雛人形のようにくるまった。


「・・・先輩は頑張りすぎなんですよ」


私はなんとなく、思っていたことを口から漏らしてしまう。酒のせいで口が滑りやすくなっているのだろうか。


「・・・そうだねぇ、もしかしたら頑張り過ぎなのかも」


「もしかしなくてもですよ」


飲み干した缶を床に置いて寄り添うように先輩の隣へ行く。


「どしたの?、寂しくなっちゃった?」


「ちが・・・くはないかもですね」


こんなこと、酔ってなきゃ恥ずかしすぎてできないことだ。全てを酒のせいにするように、私は膝を抱えて顔を合わせないようにして口を開く。


「私、心配だったんです。先輩がいなくなったらどうしようって。最近大変だったし、倒れたりしたら、きっと辞めてしまうだろうから・・・」


「そっか」


「私、自分からこの会社を辞められる勇気なんてないし、先輩がいない中で一人でやっていける自信がなくて・・・」


「・・・うん」


私の勝手な告白が一段落した後、先輩は自分を覆っていた毛布を広げて私を中に入れた。


抵抗はせず、ただされるがままにその体を毛布と先輩のぬくもりにうずめる。


「・・・こっちのほうがあったかいね」


そう呟いてもっと私のほうへ体を寄せた。


「私もね、ここ半年くらいずっと不安だったんだ。ゆーちゃん優秀だし、個々の仕事給料のわりに異様につらいし、他行けばもうちょいいい待遇の場所、多分あるだろうし・・・」


先輩は私の顔を見て困ったような恥ずかしいような顔をして苦笑する。


「この子が辞めちゃったら、ついに私、この仕事へのやる気なくしちゃうだろうなってずっと思ってたの」


「先輩が・・・ですか?」


「私をなんだと思ってるのさ。多くの修羅場・・・と言っても三年だけど。たくさん乗り越えてきた先輩だって寂しい時だってあるのよ」


そう口を尖らせて言う先輩の姿が妙におかしく見えて私は笑ってしまう。


「ちょっ、笑わないでよ!、だからあんまり言いたくなかったのに・・・」


「ふふっ、ごめんなさい。いつも仕事ではキリッとしてるし、お酒が入るとだらしなくなるけど、素で可愛い先輩は初めてだったので」


「くそぉ・・・生意気な後輩ちゃんだまったく・・・」


結局不機嫌風に頬を膨らましていた先輩もすぐにつられて笑ってしまう。


そんな時間が今私は愛おしくて仕方なかった。


ふと時計を見ると気がつけば夜中の四時を過ぎる直前にまでなっていた。


見ればわかる。ヤバいやつだった。


「やばっ!もう三時間しか眠れないじゃん!!」


ことの重要性に気づいたのか先輩も流石に顔を青くする。


「完全に忘れてましたね・・・会社にいたことも、普通に仕事なのも・・・」


「と、とりあえず目覚ましだけでもセットしとこう」


二人で音量を最大にして時間を六時五十分にセットする。


缶とゴミを袋の中へ潰してしまい、じゃんけんで負けた私の方のリュックの中へ入れる。


そして目覚ましのスマホを充電器に挿してすぐに止められぬよう、少し遠くに置き、私は身を寄せて毛布にくるまった。


スマホも充電器に挿しておけば六時の通電時間に勝手に充電が始まるだろう。


会社で一番最初に来る人は七時半頃、その前に軽く身だしなみを整えなければならない。


クソジジイになんて言われるか分かったものじゃないし、何より恥ずかしい。


まだ強く吹く雪を横目に見ながら明日のことを少しだけ考える。


起きたらまず顔を洗おう。化粧セットに忘れ物はなかっただろうか。髪はどう整えよう。起きれなかったらどうしよう。


そんなことばかり考えていた。


「・・・ねぇ、ゆーちゃん」


「・・・どうしました?」


思考の海を漂っていた私を眠そうな先輩の声が引き上げる。


「近いうちに、一緒に会社、辞めちゃおっか」


唐突で衝撃的な提案に一瞬頭の中が凪ぐ。


「・・・考えておきます」


「十分だよ」


すぐに返事ができるほど、私に勇気はない。


先輩もそのことを重々承知している。


だが、私はこの人についていきたいと心から思えている。


決心さえつけば、きっと、この人と一緒ならこの会社から出ることも怖くないだろう。


視界の悪い飛雪の中で、今ただ一つ道しるべがあるとするのならば、


それはきっと、この人のことなのだろう。

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