先生の思い出 ~ タイムスリップできるとしたら
随分と昔の人工知能学会の打ち上げの席で、いつの間にか私たちは一つの議題について話していた。
――人工知能が人間の人格を備えたら、どうなるのか?
酒の勢いに任せて、教授も学生も話に花を咲かせる。
人間と機械が会話して話者が機械だと悟られなければ、機械が思考しているとみなすチューリングテストのような基礎的な議論。ディープラーニングのような機械学習を用いた人格の形成。何を以て人格を定義するかという哲学的問い。話題の種は尽きない。
私は改めて考えさせられた。人格というものについて。あまり真剣に考えてこなかったテーマだが、酔っているうちに考えが少しだけ深掘りできた。そう、人格を備えた人工知能は――
「上白石君は、人工知能が人格を得られると思う?」
山城先生の問いかけに、私は我に返った。山城先生は今年の春から私たちの研究室に配属されてきた助教で、計算機科学の専門家だった。着任して僅かにも関わらず学生からの人気は高い。それは彼女が学生に優しい上に、男ばかりの理工学部では珍しい若い女性の助教だからだと、私は思っている。
山城先生は教授たちのほうを向いたまま、流し目で私を見ている。その妖艶な姿に私はどぎまぎして、それまでまとまりかけていた思考を放り出してしまった。
「どう?」
「あ、え、あの。あえて言うなら、そうですね……」
私の考えはこうだ。人間は過去について考える。そして、思い出を糧に生きることができる。たとえ将来の予測ができなくても、悲観的な未来が待っていても、生きていくうちに失うものがあっても。
これまでの機械のように、経験から学習して未来を推測するだけでは、人格を有しているとは言えない。内部の機構がどうであれ、過去に寄り添って生きるのが人間であり、それを補完するのが人格なのだ。
「面白い発想ね。過去が拠り所って」
山城先生は少しだけ微笑み、私を見た。
「私はこう思うの。言葉が人格を形成する。思考は言葉によって制限されている。だから、機械が言葉で人を魅了するようになったら、それは人格を持っている……」
「それなら山城先生はもしかしたら、優れた人格を備えた人工知能かも知れないね。学生を簡単に魅了してしまうんだから」
教授の一人が冗談めかして茶々を入れる。周囲の笑いに山城先生も同調する。
あれから数十年。もしかしたら――