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翌日の父の葬儀は、街の中心の聖堂で執り行われた。
父の信仰心は深くはなかったが、一般の人々と同じように、土地に根付いた宗教への敬意は持ち合わせていた。
この地上では、人々の宗教への傾倒はあまり感じない。
全く無いとは言えないものの、宗教は住む土地に伝わるものが多く、その信仰も従属も個人の自由だった。
多くの宗教は、それぞれの国や土地の神話や自然信仰から派生していく事が多かったが、ともかくも、神、英雄、聖者は尊敬されるものであり、それと対峙する悪魔や、魔物、魔王などは、敵であり、暗き者であり、信仰してはならないものであり、善行に勤しむ者にとっては、排除される存在として語り継がれてきた。
しかし、まあ、人間は輝く者に憧れてはいても、その心の奥底には、惹かれてやまない闇がある。
魔法使いなんか、その典型的なものであり…
「天の王」を見てみろ。闇の中に蠢く者ばかりだ。その艶めかしく甘美な麗しさに囚われずにはいられまい。だが、それが日常となれば、こちらも慣れるもの。
取り合えず、今のところ、僕には信仰って奴は信じるに値しないって事だ。
しかし、父の尊厳は守らなけれならない。
葬儀の間中、僕は只管、聖堂に飾られた聖者の彫刻に頭を垂れた。
その後の会食の席で、僕は父の遺言を受けて、その跡を継ぐと宣言した。
親戚連中は驚いたが、大方は安堵したように、父の後継者として僕を認め、歓迎してくれた。
母と言えば…案の定、想定と違ったのであろう。狼狽し、あからさまに反対した。
「跡を継ぐには、まだ若い」だの「学生のあなたには仕事の事がわかるはずもない」だの、親戚連中に向かって「無責任すぎる」だの、挙句の果ては「ノイラート伯爵にすべてを任せた方が、皆が安心する」と宣う。
さすがに、私欲丸出しで、我が母親ながら呆れ果てる。
「心配はご無用ですよ、母上。勿論、今の僕にはわからない事だらけですが、勉強と経験を積めば大丈夫です。父がそうしたように、信頼できる仲間が、僕を助けてくれる…でしょう?」
「信頼できるって…、伯爵は信頼できないとでも?」
「母上の信頼は勝ち得ているのだから、それでいいじゃないですか。心配なさらなくても、生活に困らないぐらいの遺産は分け与えますよ」
「な、なんと言う事を!母親に向かって!」
席から立ち上がった母親は、ベールの奥から憎しみに満ちた目で僕を睨みつける。
僕はそれを、鼻で嗤い、掌で出ていくようにあしらった。
屈辱を受けた母親は、足早に部屋から消えていく。
何故、ここまで冷酷になれるのか、自分でもわからない。
ただもう、あの女の顔を見たくはなかったのだ。
大方の客を見送った後、ノイラート伯爵が僕を呼び止めた。
「君の母上が泣いているよ。君の残酷な言葉に、とても傷ついたと言ってね。謝りに行ったらどうかね。親子喧嘩は良くないと、思う」
「他人のあなたから言われる覚えはありませんよ」
「心外だね。私は君の母上を他人とは思っていない。勿論、君の父親だってそうだ。長年彼とは友情を温めてきた。良き仕事のパートナーだったんだ。君は父親の跡を継ぐと言うが、学生でしかない君に、一体何ができると言うのだ。私は彼の仕事にも詳しい。君のお母さまの為にも、この家の為にも、私は力になりたいのだ」
「いい加減にしてもらいたい。母はともかく、あなたの力を借りる気は毛頭ない」
「なぜそこまで私を拒むのだ、コンラート。私たちは仲良くやっていけないのかい?ヘルムートの葬儀が終わったばかりで言うつもりはなかったが…母上は三人で新しい家族をと望んでいらっしゃる」
「は?あなたを家族に?冗談はやめてくれ。僕は父の死に疑いを持っている。その事を忘れないでもらいたい」
「…どういう事かね」
「言わなくてもわかっているでしょう。僕はあの『天の王』で長年学んできたのですよ。この地上で最も強い魔法使いを育てる学校で、六年間も過ごしてきた。アルトの能力を僕は十二分に知っている。この世界にはね、伯爵、悪党と呼ばれるアルトも大勢いるんですよ。父は健康で、用心深かった。不慮の事故って奴は、どこかの悪党が仕掛けた罠かも知れない。そいつが誰かに雇われたアルトだったら…と、考えられなくもない」
「君は…私を疑って、いるのかね!」
「いいえ、全く!ただ、父を殺した悪党は、罰を受けなければならない。僕はその権利を持つ。そうでしょ?」
「…ったく、今どきの子供は…」
「では子供らしく正直に言いましょう。僕はあなたが嫌いです。なので、できるだけ、僕の視界に存在しないで頂きたい」
「な…」
「言っておきますが、僕は、父よりも冷酷ですよ、伯爵…」
僕の脅しにさすがのノイラートも顔色を変え、館から消えていった。
置いて行かれた母上も気の毒だが、それに同情しようとも思わない。
部屋で休んでいると、クラインがやってきた。
「お疲れの所、申し訳ございません…が、急いだ方が良いと思いましたので」
「気にするな。僕も昨日の続きを聞きたかったから。アルタールとパラモンドは一緒じゃないのかい?」
「二人には葬儀の後、早々に仕事を命じました。早急にやらなければならない事も多いので」
「すまない。僕がすぐにでも仕事を手伝えればいいんだが、一旦『天の王』へ戻って、退学の手続きやら、部屋の片づけやら色々としなきゃならないから…」
「ヘルムート様が生きておいでなら、坊ちゃまを中退させる事など、決して許されなかったでしょう。本当に申し訳ありません…」
「クライン、もう僕は行く道を選択したんだ。一切謝る必要はない。それより、これから僕がしなきゃならない事を、詳しく教えてくれ」
「承知いたしました」
クラインはこれから僕がするべき多くの事を、丁寧に説明してくれた。
それはどれも重要で、今の僕には殊の外難しい挑戦のように思えてならなかった。
話の合間に、僕は何度もため息をついたり、頭を抱えたりするほどに難しい問題が目の前に並べられていく。
その度にクラインは、「大丈夫ですよ。坊ちゃまならお出来になります。父上もきっと見守っておいでになりますから」と、何度も励ました。
クラインの話は朝方近くまで続いた。
疲れ切った僕は昼間まで休み、それから「天の王」へ戻った。
「天の王」には、翌日の正午過ぎに着いた。
その足で学長に会いに行き、事の次第を話した。
トゥエ・イェタル学長は、真剣に僕の話を受け止め、何度も僕を励まし、勇気づけてくれた。退学の事も、他の良い選択がないかを考えてくれたけれど、僕の意思を確認すると、できるだけ力になる事を約束して、受理してくれた。
「辛かっただろう、ハールート。良く頑張りましたね。君の決意は素晴らしいと思うけれど、まだ十八にもならない君を思うとね…心配で仕方がない。私も歳の所為か、子供たちの可能性と同時に背負う重荷を憂慮せずにはいられなくなるんだよ」
「ご心配かけないように頑張ります」
「そうだね。どんな苦難があろうと それを乗り越える力を信じるしか、私にはないのだから…ね」
心から僕を案じているトゥエに、僕は感動した。
こんなにもひとりの学生に、心を砕いてくれる人間がいる。そう思うと、この学長だけは裏切ってはならない…そう思った。
「天の王」を出るのは、三日後と決め、僕は学長室を後にした。
学長がドアを開けて僕を見送ってくれた。
「ハールート、元気で。私は出張で君を見送る事はできないけれど、心から応援していますよ」
「はい、決して学長を失望させませんから。ここへ導いてくださってありがとうございます。この学院で学んだ事は決して忘れません。ありがとうございました…」
そうして、僕はトゥエの温かい眼差しを背中に感じながら、学長室を後にした。
その途中…降りていく階段の脇を駆け足で登っていく少年とすれ違った。
「魔王」と呼ばれているあの少年、アーシュと。
奴は僕を一瞥もせず、走りすぎていく。
そして、学長室のドアの前で佇んでいるトゥエ・イェタルの名を当たり前のように大声で呼び捨てにした。
「トゥエ!また眼鏡が壊れちゃったんだ。新しいのを買ってくれよ!」
それは子供が親に甘える素直な感情に溢れていた。
「アーシュ、それは壊れたとは言わない。壊したというんだよ」
「そうとも言う!良いからさ、お茶にしようぜ、トゥエ。エヴァがプリンをくれたんだ。一緒に食べよう」
「それは良かったですね。では頂きましょうかね」
ふたりの屈託ない会話に、僕は思わず階段から学長室を見上げた。
二人の姿がギリギリに見えた。が、僕は見た事を即座に後悔した。
トゥエは、僕に見せたこともない幸福に満ちた顔で、そいつを見つめていた。
嫉妬で狂いそうになった。
特別に愛されているのは、僕じゃない。
彼は僕を心から愛してなどいない。
トゥエ・イェタルは、僕を裏切ったのだ。