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Again ハールート編  作者: 結城カイン
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 高等科三学年が始まったばかりの放課後、学長から緊急の呼び出しがあった。

 その日は朝から嫌な予感がしていたから、杞憂で済めば良いと願いながら学長室へ向かった。

 だが、学長のトゥエ・イェタルの顔を見た途端、最悪な手札が差し出されると、確信した。


「ハールート、先ほど君のお父様の秘書の方から連絡をもらいました。お父様が事故で亡くなったとの事です。特急のチケットを用意しましたから、すぐに帰りなさい」

 絶句した。言葉が出ない。

「……」

 どうして?

 信じられるはずもない。

 父さんとは、ついこの間、顔を突き合わせて一晩中笑い合いながら語り合って…。

 元気で、と、手を振って…


「嘘だ…」

 いや、違う。

 トゥエは真実しか言わない。 

 そして、悔しいが、最善の道を示してくれる事も知っていた。


「君の気持ちに寄り添う事ができるのは、お父様を愛した人たちだけだと思います。一刻も早くお父様の所へ行っておあげなさい」

 そう言って、トゥエは僕の背中を優しく抱いてくれた。

 その掌の暖かさに、僕の涙は止まらなくなってしまった。


「…ありがとうございます」

 精一杯それだけを言うと、僕は差し出されたチケットを受け取って、その足で駅へ向かった。

 

 汽車に揺られながら、父を思った。

 そんなに多くもない記憶を何度も思い返した。

 愛されていた証拠しか浮かばない思い出と、その恩に報いる事が出来ない現実に、涙が止まらず、「父さん、ゴメン」と繰り返した。


 今にも雨が降りそうな曇天の下、急ぎ帰り着いた館は、見慣れない景色に見えた。

 館の一番広い広間には、喪服を着た大勢の人々が集まり、父の死を悲しんでいる。

 中央に置かれた棺に横たわる父の姿を覗いた瞬間、僕は凍り付いた。

 彼は死んでいた…

 想像よりも彼は冷たいモノになってしまっていた。

 

 膝を付き、冷たく硬くなった父の身体を揺すった。

「父さん、嘘だろ!どうして…どうしてこんな姿に…あんなに元気で、僕と一緒に……」

 人目も構わず号泣した。

 

 悲しみとは、こんなに痛いものだったのか…

 胸を押さえた手に、自分の鼓動を感じた。

 僕は生きているのに、僕を愛してくれた父は、もう、動かない。なにもできない。

 僕を愛してもくれない…。


「コンラート、いい加減に泣くのはおやめなさい」

 声のする方を向くと、母が立っていた。

 黒いベールを透かしてもわかる美貌と赤い唇。それは僕を蔑むように睨んだ。

「子供みたいに取り乱して、みっともない」

「まあまあ、伯爵夫人。父親が亡くなったばかりなのだから、坊やが悲しむのは当然ですよ」

「…」

 僕は立ち上がり、母親の隣に立つ正装した金髪の男を見た。

 背の高い整った鼻梁の白人。気取った仕草で媚びた口角と淫猥な目つきのそいつは、一目瞭然、母親の愛人に間違いはなかった。


「コンラート、こちらはハンス・フォン・ノイラート伯爵ですよ。ご挨拶をしなさい」

「…」

「お父さまが、一番頼りになさっていたお方よ」

「初めまして、コンラート。お父上には仕事のパートナーとして、色々とお世話させていただいていたのですが、こんなことになってしまい…とても残念です」

 握手を求めてきたその手には目もくれず、棺の方へ向き直ると、再び膝を付き、父の顔を撫でた。

「コ、コンラート!失礼でしょう!」

 慌てふためく母親の様子が、姿を見なくてもわかった。

 僕の肩を掴む母の手を払いのけ、「今は父さんの死を悲しむ時ですよ、母上」と、言い放った。

 いくつかの雑言を残しながら母親と愛人が去って行くのを背中で感じた。

 深呼吸をひとつだけした。

 空気の淀みが消え去った気がしたのだ。


「コンラート様」

 静かな声で呼ばれ顔を上げると、常に父の傍にいた初老の執事が、少し屈みながらハンケチを差し出し、労わりに満ちた目で僕を見ていた。

「長旅でお疲れでしたでしょう。どうぞ、こちらでお休み下さいませ」

「…でも」

「明日は葬儀もございますから、喪主のあなた様は殊更忙しくなります。休める時に休んでください。それに…お父上の事で、色々とお話したい事もございます…」

「…わかった」


 廊下の突き当りの部屋へ案内された。確かここは、父の書斎だったはずだ。

 天井まで届く書棚に、秩序正しく並べられた書物が並ぶ。

 一度も入った事がなかったけれど、中央のソファに座ると、落ち着いた気分になった。

 ほどなくテーブルの上に、温かいコンソメのスープとチーズリゾットが用意された。

 匂いを嗅ぐと急に空腹だった事に気づいて、有難く頂く。

 父の執事はただ黙って、僕が食事を終えるまで、丁寧な給仕を務めた。


主人マスターからコンラート様がお好きだと聞き及んでおりましたので…」と、執事はデザートに、生クリームをたっぷり添えたガトーショコラを、出してくれた。

「父さんが僕の好物を知ってたの?」

「ヘルムート様は、あなた様の事を自慢の息子として誇りとされていました。先日のあなたと過ごした時間が愛おしいと、何度も嬉しそうに周りの者に話されていたのです。いつか一緒に仕事ができたなら、どんなに幸せ者だろうかと…」

 嘘のない執事の言葉に、胸が詰まる。

 愛されていた事実は嬉しいけれど、もう居ないという現実はどう受け止めればいいのだろうか…


「あなたの名前をまだ聞いていないけれど…。あなたは父の信頼する魔法使いなんだね」

「はい、ヘルムート様の秘書を務めておりました。相談事や身の回りのお世話回りも引き受けておりました。どうぞ、クラインとお呼びください。指輪の契約をした者は、私の他にふたりおります。アルタール、パラモンド、お入りなさい」

 クラインが呼ぶと、奥の部屋からふたりの喪服を着た男が現れた。

 二人とも父よりは若い壮年の男で、ひとりは背の高い赤茶の髪をした白人。隣に立つ彼より少し年下の男は、明るい金髪に浅黒い肌をしている。


「アルタールと申します。主に経理事務を任されておりました」と、白人の男が頭を下げた。

「アルタールは優秀な企業弁護士でもあります。ヘルムート様も頼りにされていました」

「それほどでもないんですが…」

 表情のなかったアルタールの口元が、少しだけ緩んだように見えた。


「申し訳ありません、坊ちゃん。マスターが亡くなったのは、俺の所為なんです…」

「パラモンド、お前の所為ではないと、あれほど言ったじゃないか」

「…俺がマスターの傍にいなかったから…」

半分泣きじゃくりながら、パラモンドは僕に頭を下げたまま上げようとしない。


「パラモンドはヘルムート様の仕事の助手とボディガードを仰せつかっておりました。事故の時に、自分が主人の傍に仕えていなかった事を未だに責めているのです…」

「その事故の事を教えていただけませんか?」と、僕は問うた。


「勿論です。コンラート坊ちゃんには知る権利がありますから」

「その坊ちゃんも様も止めて下さい。僕はまだ十八のガキなんだから、コンラートで結構ですよ」

「…ありがとうございます」

「それからパラモンド。もう頭を上げてくれるかい?僕はあなたを責めたりしない。父さんが心から信頼していた人たちを、僕が信頼しないわけがないじゃないか。それよりも今まで父さんを支えてくれた事に、心から感謝します。今までありがとう。父さんもきっと…そう言いたいと思うんだ」

「コンラート様…感謝いたします」

 「様」を付けるその律義さに苦笑しつつも、僕はすっかり彼らを好きになっていた。


「それでは、主人マスターヘルムート様の死について、私たちの見解を手短にお話させていただきます」

「はい」


 テーブルを挟んでソファに座った三人に、コーヒーを勧めながら、僕はこれから話される彼らの話を一言一句とも聞き漏らさぬようにと、耳を傾けた。


「ヘルムート様は殺されたのです」

 クラインの告白に驚きはしなかった。予想はしていたからだ。

「それで?」

「犯人の心づもりはあります」

「母上…ですか?」

「奥様は、多分ご存じないでしょう。ああ見えて、単純な御方ですから、ヘルムート様は本当に事故で亡くなったと信じられているようです」

「では、ノイラート伯爵…ですね」

「間違いなく…。彼の雇ったアサシンの仕業でしょう。ですが、証拠は何もないのです。立証することも難しい」

「いつ狙われてもおかしくない立場だったから、俺が十分に気を付けていれば、こんなことにはならなかったんだ」

 パラモンドは膝に置いた拳を握りしめ、歯ぎしりをする。

「いつまでも自分を責めても何物も生み出せないよ、パラモンド。私たちは生産する意味を知っているじゃないか。ヘルムート様は無意味なものを嫌った。マスターの死を無駄にしない為にも、コンラート様を守らなければならないのだよ」

「わかってる…でも悔しいんだもの」

 鼻を啜るパラモンドに隣に座るアルタールは頭を軽く小突いて、ハンカチを渡す。


「コンラート様もご存じでしょうが、主人は非常に能力のある実業家です。一代で莫大な富を得たのも、様々な商売に先見の明があったからです。五年前、ヘルムート様は比較的規模の大きいルビー鉱山を掘り当てました。そこで採れるルビーには良質なものが多かったのです。良質なルビーはダイヤモンドよりも希少価値であり、非常に高価な値段で取引ができるのです。多くのライバルたちが挙ってマスターに寄ってきては利益を得ようとしましたが、主人は恨みを買わないように要領よく退いてこられました。しかし、ノイラート伯爵だけはどうしても避けることができませんでした。奥様の遠縁であり、愛人でもあった彼を、奥様は仕事のパートナーにと強く推され…。ヘルムートと奥様の間に男女の愛情はなかったとは言え、あなたの事を思えば、無下にはできなかった。息子には両親の愛情が必要だと、常日頃、主人は言っておられましたから…」

 それまで穏やかな表情を変えなかったクラインの顔が、苦痛に歪んでいた。

 

 しばらくの沈黙の後、クラインの言葉をアルタールが引き継いだ。

「結論から申しますと、マスターが亡くなった後、ノイラートはルビー鉱山の権利を主張してくるでしょう。しかし、マスターの遺言は、遺産はすべてコンラート様にとの事。これは覆ることはありませんが…あなたはまだ学生の身。後継者として引き継ぐまでの間に、ノイラートが鉱山もろとも乗っ取ってしまいかねない。それだけでは終われば良いが…。おそらく彼の欲望は尽きる事がないでしょう」

「マスターは、自分の注いだ仕事の結果が財産だと信じていました。それを継ぐのはコンラート様だけだと…。俺たちはヘルムート様の意思を叶えたいのです」

 涙を堪えながら父の想いを僕に訴えるパラモンドの言葉に、僕の心は恐れを知らぬライオンの様に奮い立つ。


「わかりました。僕は父の遺言に従います。父は自分の事業は、多くの社員と家族の生活を守る為だとも言っていました。僕も理解できる。その父の想いに応えられるかどうかはわからないけれど、父の事業をすべて引き継ぎましょう」

「しかし、まだあなたには学業が残っている」

「もう、十分学びましたよ。今すぐにでも『天の王』を退学しても、僕は後悔はしない」

 

 想像もしていない道が、突然僕の目の前に現れた瞬間だった。





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