3
ハールート 3
僕は図書館で出会った「ルスラン」の事が忘れられなくなった。
恋人のミカは、ルスランとはクラスメートで、仲も良いらしい。
「ルスランの事が聞きたいって?あれあれ、通な君もとうとうルスランに目を付けたってわけか…。それで、ハルはルスランと寝たいのかい?」
「駄目?だって、彼、インプレシブで、なんとなくミステリアスじゃない?そういう男に僕、興味あるなあ~」
ベッドの中では、誰もが優しい。
ミカの腕の中で、他の男の話なんて、嫉妬心に火が点くかもしれないけれど、それはそれで、楽しい。
でもミカは至って真面目な顔をする。
「ルスランはいい奴だけど、お勧めはしないよ」
「どうして?」
「彼は一度寝た相手と、二度は寝ないんだ」
「どういう意味?」
「あいつはモテるし、それに優しい。お誘いを受けたら、一応は応じる。だけど二度目は無い。本気で人に惹かれたり、愛したりしないそうだ。本人は面倒臭いからだと言うけどね」
「…ふ~ん」
「益々興味が増したって顔だね」
「だってさ、そういう男をこちらに振り向かせるのって、奮い立つもの、でしょ?」
「彼を見ただろ?あいつは相当に強い魔力を持つアルトだ。ハルのカリスマも通じまい」
「そんなの、やってみなきゃわからないじゃない」
「…君のそういうとこ、僕は嫌いじゃないけどね」
ミカはそう言って、僕の身体を軽々と抱き上げ、自分の胸に抱き寄せた。
「ハルはまだ子供だからわからないかもしれないけどさ、…人は誰だって、誰にも見られたくない秘密を持っている。勿論ルスランにもね。僕はルスランのいい友人でありたいから、彼の奥底を覗いたりしない。それが、友人であり続ける秘訣だと思っているのさ」
「…」
僕はミカとは違う。
僕はルスランのすべてが知りたい。
彼を理解したい。
もし、彼の魂が暗闇に隠れているのなら、僕が光指す庭に引きずり出してやろう。
もし、彼の過去が暗いものなら、明るい未来を僕と一緒に歩ける為の努力をしよう。
もし、彼が…
僕の恋人になってくれたなら、
僕は、どんなに嬉しかろう…
ひと目見ただけなのに、どうしてこんなに惹かれるのだろう…
本物の恋は、魔法にかかった如く…なんて言うけれど、僕は彼の魔法に操られているのかしら。
そうだったらいいな。
彼の意志が、僕を求めるなら、僕はなんでもあげるのに…
ルスランは「天の王」の特待生だ。
特待生は、授業料が免除になる代わりに、成績優秀、品行方正でなければならない。
成績優秀はわかるけれど、「天の王」に品行方正や生徒なんて、どこにいるのさって話。ちゃんちゃらおかしい。
聞いた話によると、彼はメジェレ公国の公子と言う話だから、貧乏ではないはずだけど、休日は図書の整理や教師らの資料をまとめたりと、アルバイト的なものもやっているらしい。
公子なのに、不思議な人。なんだか益々興味が沸いてしまうじゃないか。
彼の姿を見つけるには図書館に行けばいいと、ミカから教えられたけれど、中々捉えられない。
自習室は覗き窓から見ればわかるけれど、資料室に入る為には司書の許可が必要になる。結構面倒なんだ。
最近来た新しい司書は、見慣れない東洋系の男。長い黒髪と冷たい目。何を考えているのかわからない顔で、僕を見る。
僕の下心まで読まれそうで、近づきにくい。だから書架と資料室の受付には近づかないで、図書館や自習室の入り口付近をウロウロと。
何度も図書館へ出向いていた或る日、自習室に居るルスランの姿を見つけた。
勿論、ひとりきり。
僕はドアをノックし、ゆっくりと開けた。
机を向こうにしたルスランはベッドホンをしているからか、こちらを見ようとしない。
僕はドアをそっと閉めて、彼の後ろ姿を見つめていた。
「僕になにか用?」
驚きもせず、ルスランは上半身を捻り、僕を振り返った。
「あ…ごめんなさい。勉強の邪魔だった?」
「うん。次の授業、ケルト語のスピーチだからね。ちょっと忙しい」
「…勉強、好きだね」
それには答えず、彼は僕から視線を離し、机の方へ向いてしまった。
「知識を得ることは、見えないものが見えていく様に似ている。見なくて良いものまで、目に映ってしまうけれど、見れずにいられないのは、人間の罪…」
窓からの光に淡く輝く白金の髪を掻き上げ、穏やかなテノールの声が、僕の耳に響く。まるでミンストレルの如く…
「…誰の格言?」
「僕の母」
「そう…なんだ。あの…さ」
「何?」
「頼みがあるんだ」
「どんな?」
「僕と…その…付き合って欲しい」
「…君、ミカの恋人なんだろ?」
「そう…だけど、ミカの許しは得ているし、一度だけ寝てくれるだけでいいんだ」
「一度だけ…ねえ」
そう言うと、ルスランは少し笑いながら、「いいよ」と。
「ホント?」
「一度だけなら、断る理由は無い、だろ?礼儀だよ」
「じゃあ、今晩、僕の寮室へ来てくれる?一号館の四階、特別室だよ」
「今日は先約がある。明日は先生の手伝い。その次は…」
手元の手帳を何枚かめくった後、ルスランは「五日後なら空いてる」と、言ってくれた。
「じゃあ、その夜で構わない。絶対来てよね。待ってるから」
そう言って、僕は足早に自習室から出て行った。
図書館を出て誰もいない林まで走って、やっと大きく息を吐いた。
「すげえ、緊張した~」
馬鹿みたいに身体が火照って仕方が無かった。
なんだろう…。
誰かの前で、こんなに緊張したり、ドキドキしたりすることなんて一度だってないのに…。ルスランの声を聞いただけで、頭が痺れた。目が合っただけで、身体が固まった。
巧い言葉も出ないのに、傍に居られるのがたまらなく嬉しくて、気恥ずかしくて…
僕はみっともなくなかっただろうか。いきなり寝たいなんて浅ましい奴と思われただろうか。ミカの事を気にしただろうか…
なんだが…不安になってきた。
彼は本当に僕と寝てくれるだろうか…
ミカを呼んで、事の次第を話した。
ミカは「ハルがねえ~」と、何度も言いつつ、腹を抱えて笑う。
「バカにしてる?」
「いや、君の本気を見て、心から可愛いと思ったよ。君はまだ十五歳になったばかりなんだものねえ」
「僕、ルスランにどう思われたのかしら。寝たいって言ったけど、遊びって思われたなら、そうじゃないって言った方がいい?」
そう言うと、ミカはまた大きく笑った。
「おめでとう!ハル、それが初恋だ。君は初めて人を本気で好きになったのさ。大丈夫、ルスランは君よりずっと大人だし、アルトだから、君の気持ちはわかっているよ。彼は本当に優しい奴だよ。でも…」
「でも?」
「いや、今はやめておこう。折角君が本当の恋に浮かれているのに、水を差しちゃつまらない。何にせよ、先の事を考えて生きるなんて、この上もなく愚かだし、何事もハルにとっては、貴重な経験になるだろうからね」
「なんだか大げさ」
「今の君にルスランは大げさかい?」
「…ううん。世界はルスランで回っているみたい…」
「じゃあ、全力で彼に向っていけばいいさ。困った時は何なりと。僕は君の信頼に値する恋人の役で十分だ」
「…ミカ」
「なに?」
「ありがとう」
「どういたしまして。まあ、本当のところ、僕は楽しんでるだけだから、気にするな」
ミカは本気で僕など愛していない。必要ともしていない。
そう、楽しんでいるだけ。
「天の王」とはそういう場所。
本当は本気になった方が、負けなのかもしれない。
けれど、この熱情は自分でも、コントロールできないんだ。
僕に本当のカリスマがあるのなら、一時でもいい。
ルスランを僕に振り向かせたい。
ああ、僕が力のあるアルトだったら…
彼の心を、捉えることができるのだろうか…
約束の夜、いつまで経ってもルスランは来なかった。
ベッドのシーツも新しくメイクしたし、上等な紅茶とデザートだって用意していたのに…
酷いや。
ルスラン…こんなに好きなのに…
寝てくれるって言ってくれたじゃないか…