12
ルビー鉱山の閉山は、それに関わる上役の数名が反対したが、結局は僕の判断に従う結果となった。
どちみち、鉱山の利益は他の事業と比べてみても然程影響するものではなかった。
アルタールなどは、欲のくらんだ者への対処が楽になると喜んでいる。
僕は主な事業を、アルタールとパラモンドに任せ、鉄道の新規開拓に力を入れることにした。何より、新しい土地を見聞きするのは、観光も兼ねて楽しいものだ。
ボディガードにウィスタリアひとりを連れて、鉄道の利用を求めているような辺鄙な土地を中心に方々を訪れた。
それは、僕の力になるアルトを探す旅でもあった。
ありふれた南方の港町だった。
夕食の後、ウィスタリアと街をぶらついていたら、楼門の向こうの広場から音楽が聞こえた。どうやら旅芸人の一座の催しの様。
大勢の人々の間から見えるのは、民芸風の服を着飾った数人の男と女のアクロバティックなダンスだ。
巧みなダンスで集まった聴衆をくぎ付けにし、感嘆の声と拍手が時折沸き上がっていた。
僕は彼らの演舞よりも、奏でられる音楽の方に惹きつけられた。
陽気な打楽器と弦楽器の間に、妙な…音律が混じっている。
違和感ではなく、人を酩酊させる陶酔の音だ。
それは確かに意図された音色だった。
魔術と呼んで良いのか躊躇う程の柔らかい能力…とでも言おうか。
「共鳴…感じるか?ウィスタリア」
「ええ、間違いなく魔力に違いない。多分…ああ、あの天幕の影に隠れるようにして竪琴を弾いている子…子供?あの子から発せられている気がする」
「魔法使いかな?」
「興味がおありですか?マイロード」
「うん、話してみたい」
「では、ホテルで待ってて下さい。連れて行きますから」
「よろしく頼むよ、ウィスタリア」
ウィスタリアに任せて、僕はホテルへ帰った。
ウィスタリアは多くを語らずとも、僕の考えることを即座に理解してくれる。
思考を読んでいるわけではなく、始終傍にいるから、僕の好みが分かるらしい。自分以上に僕の内側を知られている気がして、気にならなくもないが、アルトの主人としてはこれくらいは許容範囲にするべきであろう。
すでに宵は深かった。
ひとりソファで寛いでいると、ウィスタリアがあの少年を連れて来た。
「遅かったね、ウィスタリア」
「ええ、興行が一通り終わるまでに結構時間がかかった上に、座長と話を付けるのに、ひと悶着ありまして…」
「そうなのか?」
「あいつら、人の懐を見やがって…。まあ、そういう連中なので、仕方がないんですが、他所からの流離者はすべてに困窮しているものなんですよ」
「そう…」
「マスターは嫌いでしょ?余所者は」
「人によるさ。で、その子はやはりアルトなのかい?」
ウィスタリアの後ろに隠れて、存在の薄い少年が下を向いたままじっと立っていた。
「ええ…それよりこいつを一旦風呂に入れてもいいですか?臭いし、汚ないし、これじゃ部屋が汚れてしまう」
ウィスタリアは綺麗好きの上、完全主義なので、こういう事には比較的五月蠅い。
見ただけでも薄汚い格好の少年を、相当に見かねるのだろう。
「構わないよ。僕も綺麗な子の方が好みだからね」
そう言うと、じっと立っていた少年がビクッと肩を震わせた。
「あ、あの…おふたりが相手なんでしょうか?…」
「え?」
「いっぱいサービスしろって、親方が…」
「ああ…そちらは気が向いたらね。確かに汚い子を抱く気にはならないしさ。まずは身体を綺麗にしておいで」
ウィスタリアが少年を浴室へ連れていくと、僕はフロントへルームサービスを頼んだ。
しばらくして浴室からバスローブを纏って出てきた少年が頭に被ったタオルを、モジモジと外す。と、さっきと違った鮮やかな髪の色が目に留まった。
サンドアッシュの髪色がフワフワの真っ黄色になっている。
「折角の綺麗な髪を、わざわざ汚く染めていたとはね」呆れた風に言うと、その子は「ひよこみたいで目立つし、汚いからって…」と、言う。
「そう、でもその方が似合うと思うよ。それより、君、お腹が空いているのだろう?さっきも腹の虫が聞こえてた。椅子に座ってゆっくり食べてくれ。話はそれからにしよう」
僕は少年を席に座らせ、テーブルの上に掛けられていたナプキンを取り、食事を勧めた。
卵サンドとスープ、それにプリンだったが、彼はそれを眺め、溜息を吐いた。
「いい匂い…これ、ホントにボクが食べてもいいんですか?」
「君の為に用意したものだからね。スープはここらで取れる魚介を煮込んだもので、地元では有名な料理らしい。僕も夕食で食べたけれど、お勧めだよ。残さずに食べてもらえたら、これを作ったシェフも喜ぶと思う」
彼は大きく頷くと、食べる事だけに集中し始めた。
浴室を片付け終えて部屋へ戻ったウィスタリアは、幾分げんなりした疲れた様子だったが、食事を取る少年を見て、嬉しそうに微笑んでいた。
後で「ひな鳥を見守る親鳥のようだった」、とウィスタリアを責めてみると、彼は「可哀そうな子供に同情しただけですよ」と、大人げない態度を取るので、僕は大いに笑ってしまった。
食事を終えた少年に名前を聞いてみると、決まった名前は無いと言う。
「いつもうすのろとか、役立たずとか…ちびって呼ばれるのが一番多いかな。ボク、あまり一座の役に立ってなくて…身体を売っても、へたくそって言われてて、あんまり稼げないから…やっぱり役立たずなんです…」
「そう?でも、君の奏でるリラ(竪琴)は素晴らしかったよ。何故か心に染み入る音色だった」
「ほ、ホントですか?…ボク、リュラーが大好きで。あ、リュラーってのはボクの竪琴の名前なんです。ボクが捨てられた時、このリュラーだけが僕に残されてて…」
「親に捨てられたの?」
「わかりません…。あれが親だったのかどうか…。気が付くとボクはひとりぼっちだったし…」
「それであの一座に拾われたのか。でもまあ、酷い扱われ方だな。まだ小さいうちから身体を売って稼げなんて命じる事自体、許せる事じゃない」
ウィスタリアが道徳に厳しい真人間である事を、僕は時々忘れる。そして、彼の素養が羨ましいとも思う。
「…僕だけじゃないから。それに厳しいけれど、食べさせてもらえるだけでもありがたいと思っています」
「今の生活を続けたい?」
「え?」
「僕は君が気に入ったんだ。そのリュラーの音楽を、もっと聴きたい。僕の為だけに弾いてくれたら、僕はどんなにか心安らげるだろうと思ってしまう。…君の人生を変えてしまうかもしれないから、無理強いをする気はないが…。良かったら、僕の小姓になってもらえないかな」
「小姓…って何ですか?」
「身の回りの世話係だよ。話をしたり、音楽を聴かせてくれたり…僕の為だけに仕える者を僕は求めているんだ」
「あなたの為だけに?…あなたみたいな綺麗な人に仕える人は沢山いるでしょう?どうして…ボクなの?」
「自分でもわからないけど、君を一目見て、気に入ったとしか言えないんだが。これって答えになってないかな?」
「あ…いえ…ボク、誰かにそういう風に言ってもらった事がなくて…なんか…嬉しくて…おかしいな…涙が止まらな…い…」
少年は両手で顔を覆い、声を押し殺し泣き続けた。
いつもこんな風にひとりで泣いているのだろう。
かわいそうに…
哀れみの感情は、僕を優しくした。
僕は彼の肩を抱き、黄色いフワフワの頭を撫でてやった。
「君に新しい名前をあげるよ。『カナリー』はどうだい?カナリアって鳥は君の髪の色みたいに黄色いし、綺麗な声で歌を歌うんだよ。そしてカナリーは『守る者』って意味もあるんだ」
「カナリー…。綺麗な名前…」
「僕の守護者になってくれるね?」
「はい、マスター」
カナリーは、まるで誰かに手解きを受けたように、僕の前に跪き、深く低頭した。
その様は、僕を充分に満足させた。
「ハールートと、呼ぶがいい」
「ハールート…様…」
「そう、僕の真なる名前は『ハールート・リダ・アズラエル』だ。これからは君の未来を導く者になるだろう。…君だけではなく、大勢の弱い者たちの為に、僕は身を捧げよう…」
アルトを支配するには、それに相応しい名前が必要だ。
ホーリーであった証の真なる名が、今からの僕を支えるだろう。