11
わが社のルビー鉱山はミマカ地方にある。そこから一番近い駅に降り立った。見渡すと、町は思うよりも賑やかだった。
駅からは父が使っていたというキャンピングカーに乗り、岩と草原が続く道の悪い平原を三時間かけ、やっと着いた先には、巨大な岩盤が立ちはだかっていた。
とは言え、それとは真逆の岩肌に掘られた鉱山への入り口は驚くほど簡素で小さく、貧弱に見え、とてもここから巨大な富を呼ぶ宝石が出るなんて想像だにしない。
見るからに粗末な工夫達の小屋を横目に、パラモンドの案内で鉱山の中に入り、狭い坑道を歩く。その先の掘られた空洞は想像よりも広く、十数人の橙色のつなぎの作業服を着た工夫達が、各々ハンマーやドリルで岩を砕いている。
天井を仰いで観た。
所々に見える赤い欠片の石が、ルビー鉱石なのだろう。
…
なんだろう。僕にはそれがとても儚い物に思えた。
「坊ちゃん、足元滑りますから、気を付けて…」と、パラモンドが言い終わらぬうちに、濡れた岩肌に足を取られ、崖から滑り落ちた。
身体を固くした瞬間、誰かの腕が僕の身体を抱き止めた。
「あっぶねえ…。どっから落ちてくるんだ。受け止めなかったら、下の岩盤まで滑り落ちて、叩きつけられてお陀仏だぜ」
言われた通り下を向くと、底の見えない風穴。そこから舞い上がる風の冷たさに思わず背中が震える。同時に、支えられた強靭な両腕に安堵した。
「ご、ゴメン…。悪かった。足元があまり見えなくて…」
「見物もいいが、仕事の邪魔はしないでもらいたい」
「おい、新しい社長がわざわざ労いに来られたんだ。言葉に気を付けろよ」
慌てて僕を追いかけたパラモンドは、立ち直した僕の腕をしっかりと掴み、助けてくれた相手を詰る。が、その言い方には親しみがあった。
思った通り、彼らは顔なじみらしい。
「おまえにだけは言われたくはないがね、パラモンド」
「なんだと!」
「言えてる」
「坊ちゃん!」
「注意を怠った僕が悪いんだから、彼にあたるのは筋違い。しかも彼は僕の命の恩人だ。二度目の…ね」
僕の問いに、男は何も言わずにそっぽを向く。
「僕の記憶に間違いが無ければだけど…。久しぶりだね。名前を聞いていいかい?」
「…」
「おい、社長にちゃんと自己紹介しろよ。こいつ、ウィスタリアと言って…。昔は俺らの仲間で…」
「無駄話はやめないか、パラモンド。今の俺はただの鉱石堀りだ」
暗い穴倉とヘルメットをしている所為で、表情は見えなかった。
だが、僕は…この男を知っている。
「そんなか細い足腰で、こんな場所にいつまでも居てもらっても、邪魔なだけですよ。お坊ちゃんは光ある場所がお似合いだ。さあ、もう外にお出になって下さい」
背を向けるウィスタリアに、それ以上問い詰める事は諦めた。
「わかった。では、命令だ。仕事が終わったら、僕のところまで来るように。いいね」
返事はなかったが、後ろを向いたウィスタリアは僅かに頷いてくれたから、僕はそれで満足だった。
鉱山を出て、キャンピングカーに戻ると、アルタールが戻る時間を知っていたかのようなタイミングで、入れたての紅茶を出してくれた。
「社会科見学はいかがでした?」
「十分面白かったよ」
「相変わらずウィスタリアの奴は愛想がなかったけどな」
「もう彼に会ったのか?まあ、パラモンドに愛想良くしても、得な事はないだろ?」
「俺だけじゃなく、坊ちゃんにもだよ。まあ、あいつは口は悪いけど、根は良い奴だから…。そういう奴なんで、坊ちゃんもあまり叱らないで下さいね」
「叱る?いいや、僕は彼こそ、僕の守護者になるべき魔法使いだと思っているんだよ。アルタールもわかっていたんだろう?」
「ウィスタリアがコンラート様に相応しいかどうかは、私にはわかりません…が、あなたが彼を見初める事は薄々予感していました。ただ…彼には少し事情があるのです…」
「どんな?」
言っても良いかどうか考え込むアルタールを余所に、紅茶に砂糖三倍も入れて飲み干すパラモンドが、語り始める。
「昔、ウィスタリアは俺たちと同じように、マスターの近くで働いていたんだ。勿論マスターの信頼も厚かった。でも、なんというかさ。婚約者から派手に裏切られて…愛してたんだろうね。すごく荒れちゃってね。それで、何もかも忘れたいってここの工夫に志願したってわけ。要するに失恋の痛手に、心も身体も傷ついたっていうね。外見は悪人ヅラなのにね」
「おまえがいう事か、パラモンド」
「だって、あいつ、男にも女にもモテるのに、捨てられた女の事でウジウジしてさ。バカみたい」
「そう言うなよ。失恋の傷ってさ、他人が思う程、簡単に癒されないものもあるんだよ」
「そうなのかな~。世の中には色んな男女が居て、選り取り見取りで、探せば、自分に合う奴は見つかりそうなもんだけどね」
「…パラモンドは良い奴だね」
そう、パラモンドのような奴ばかりだったら、生きるのも楽しいだろうけれど…
僕だって、未だにルスランへの想いを断ち切れないでいる。
もう三年も経つと言うのに…
そうか…彼も同じような痛みを知っているのなら、尚更だ。
「益々ウィスタリアに興味が湧いてきたよ。是非とも彼が欲しくなるね」
「きっと…うまくいきますよ」
「アルタールの予言を、期待するよ」
夕方、ウィスタリアは汚れた作業服のまま、キャンピングカーを訪れた。
「おまえ…着替えてから来いよ。折角の絨毯が汚れるじゃないか」
「パラモンド、アルタール。しばらくふたりだけにしてくれないか?」
「わかりました。簡単な夕食もご用意しております。給仕は叶いませんが、おふたりでごゆっくりどうぞ」
「ありがとう、アルタール」
ぶつぶつと文句を垂れるパラモンドを連れて、アルタールは車を降りていった。
「どこでディナーを取るつもりなのだろう。まあ、ふたりでいれば、何を食べても美味しいのかもしれないな。ねえ、ウィスタリア、あのふたりの関係って羨ましいって思わない?」
「あいつらは昔からああだからな。よく飽きもしないって呆れるけど…」
「さあ、席について。折角アルタールが用意してくれたんだ。一緒に食べよう」
「椅子が汚れるから、遠慮するよ」
「じゃあ、作業服を脱いでくれ。代わりのシャツとズボンを貸すよ」
ウィスタリアは諦めたように溜息を付き、目の前で作業着から渡したシャツとトラウザースに着替え、席についてくれた。
どこで食材を調達してきたのかは知らないが、アルタールの用意したスズキの白ワイン煮込みは絶品だった。ウィスタリアは「相変わらず、あいつは凝り性だ」と、表情を柔らめ、、白ワインを飲みながら、食事を楽しんだ
彼の食事の作法や一連の所作は、予想よりも遥かに立派なものだった。
「凄いね、ウィスタリア。貴族の所作は習ったの?」
「ヘルムート様に恥をかかせるわけにはいかなかったので…」
頭の中で、無精ひげを綺麗に剃り、髪を整えてスーツを着せてみると、中々の好みの男に仕上がり、僕はひとりで満足した。
「ウィスタリア…。以前、君は僕を助けてくれたね。僕が十三の時…誘拐されて監禁された時、一番最初に犯人の前に立ち、そして僕を助け出してくれただろう?傷ついた僕の身体を抱き上げて、救い出してくれた君の強さと温かさを、僕は覚えている」
「…あれは…ヘルムート様の命で、一時も早くあなたを助け出さなきゃならないと…。俺ひとりがあなたを助けに行ったんじゃないし、あなたを救い出したのも偶々で…」
「でも、僕はあの腕の力強さを忘れないよ。アルトが…魔法使いがこんなに心強い者なのだと、初めて尊敬というか…絶対に必要なものだと知ったんだ」
「…」
「君の過去がどんなものか、僕は知らない。君の心の傷もきっと僕は理解できないだろう。ただこれから生きていく日々を、僕と一緒に歩いて欲しい」
「え?…どういう意味でしょうか?」
「僕の魔法使いとして、僕と指輪の誓いをして欲しい」
「そんな…無理だ。そもそも俺にはあなたが期待するような守護者としての魔法の力は無い。俺は…信じていた女にずっと裏切られていた男ですよ。愛していた女の心も読めなかったアルトですよ。とてもじゃないが…あなたに相応しいとは思えない」
「僕は君がいいんだ、ウィスタリア…。勿論、強い魔力を持ったアルトは僕の命を守ってくれるかもしれない。だけど、ただ力を持っただけの魔法使いはいらない。…僕はね、『天の王』で偉大な魔力を持つ者を見てきた。彼らの高慢さが僕には我慢できない時もあった。力を持った者には、僕のような非力な人間の心なんかわからないんだよ。そんなアルトは僕はいらない。ねえ、傷ついた者だから、人を思いやる気持ちが育つんじゃないかな。君は魔法使いでとても人間的なアルトだよ。僕が一緒に生きていきたいと思うのは、そういう人だ」
「…」
「今の僕はひとりぼっちなんだ。正直、とても心細くてね。勿論アルタールやパラモンドは、信頼する仲間だよ。でも彼らは父と契約をしていたからね。僕は一から自分の魔法使いを探さなきゃならないんだ。死ぬまで僕を裏切らない。どんな事をしても僕を嫌いにならない。僕の味方でいてくれる…そんな仲間が本当に見つかるんだろうか…。自信が無いよ。これでも『天の王』では自信過剰って言われてきたし、僕自身もそう思ってきた。でも、世の中はそんなに甘くないだろう?父が僕に残してくれたものは、大きい。僕はまだ十八なんだよ、ウィスタリア。どうか、僕を助けて欲しい。お願いだ…」
知らぬうちに僕は泣いていた。
自分が可哀そうな子供に思えてしまったんだ。
ウィスタリアは席を立って、泣いている僕の背中を抱き寄せた。
「あなたを助け出した…あの時から…ずっとあなたを案じてきました、コンラート様。非力な俺に出来る事は少ないかも知れない。けれど、あなたが必要となさるのなら…命果てるまであなたに尽くす事を約束します。この命を掛けてあなたを守ろう…マイロード」
「…ありがとう」
僕は用意していた指輪を取り出し、ウィスタリアからの誓いを受けた。
「僕からの誓いも受けてくれ」
オリジナルで作らせた銀のブレスレットを彼の左手首に付けた。
「綺麗なルビーだ」
「うん、この鉱山で掘られたものだ。けれど、このルビー鉱山は閉山することに決めたよ」
「え?」
「僕はね、宝石が人間に必要なモノだとは思えないんだ。それに、この星に眠るルビーの原石をこれ以上叩き起こしたくない。もう充分だ。そう聞こえない?」
「あれをそんな風に思ったことはないけれど、確かに宝石なんてものは、希少だから価値があるものです。そうか…もう、これ以上はやめとけって言ってますか。それは良い事かもしれないなあ~」
「同意してくれてありがたいよ」
「毎日顔を合わせていたのに、石の声を聞こうともしなかった。こんなアルトでも大丈夫なんですかね?マイロード」
「そういうのがいいのさ、ウィスタリア」
僕たちは顔を見合わせ、そしてキスをした。
ウィスタリアからは、まだ甘いワインの残り香がした。