激突
ライオ・パーライトルは疾走しながら困惑していた。彼は元来あまり驚くことのない性格であり、職業柄想定外の事態とは相棒のようなものでもあるため自らの考えや既存の理論を絶対視しない思考法が体に強く根付いているのである。その彼が困惑しているということが事態の不可解さを最もよく表しているのだった。
(なぜだ、なぜ今離れる?)
確かに彼は要注意すべき人物ではあった。ほとんど目撃証言のない事件の第一発見者であること。また事件前後の記憶のほとんど失っているということ。取調室では彼の保護を優先するために擁護したが、普通に考えてみればおそらく百人に百人が怪しいというだろう。しかしそのようなことも考慮したうえで保護対象及び用観察対象として今日もこうして協力という名目で監視していたのである。また黒である場合のために今日だけで何度も隙を作ってきた。彼と距離をとって聞き込みをしたことや背中を見せながら歩いたのは今日を通してずっと続けていたことである。護身用と称して武器を与えたのもその一環であった。それこそ逃げるチャンスはいくらでもあった。ついさっき記憶を取り戻したのか?いや先ほどの会話でうそをついていた様子はなかった。それに走り去るにしても自分をまくためにジグザグと方向変えるわけでもなければ、やけくそだったわけでもない。あの走り方は明らかに目的地を目指している。さらに言うなら弓を取り出し、矢をつがえておきながら追いかけるこちらに一発も射かけてこないのはおかしいだろう。待てよ、目的地があるなら協力者がいるのか?それならば一網打尽にできる。この事件以外のあの連続通り魔とも関連があればいいが…と考えている間に金色の風はあっという間にアスランの背中に追いつく。しかしそこで彼が見たものは協力者に合流する少年の姿ではなく、突如巨漢に激突される少年の哀れな姿だった。
少年は二メートルほど前方に吹き飛び動かない、十中八九脳震盪だろう。しばらく安静にしておくべきだろう。問題は巨漢のほうだ。血走った目と粗い呼吸、そしてその身なりに反して明らかに上等そうな女物の鞄。まず犯罪者、まぁひったくりだろう。やれやれさっさと現行犯逮捕して警吏に引き渡すか。と思いつつ男に近づいた途端に男は膝をつき白目をむいて倒れこんだ。やれやれ怪しい薬でも流行っているのだろうか、と報告書が増えることにげんなりしながら、ふと男転がすとその太ももあたりに刺さった矢が目にとまる。矢尻は見えないが羽の形状から自分たちの部隊のものだということがわかる。つまり少年、アスランが射かけたものということになる。
(でも俺が渡したのは普通の弓矢のはずだよね、自前の毒を塗っていた?)
アスランに対する疑問がますます深まる中、状況を整理しようとしたとき、後ろから猛烈な威圧感を感じ振り返りながら後方へ飛ぶ。
(なんだこれ、ここら一帯の魔素が一気に濃くなった!?)
〈魔素〉魔術を使う際には欠かせない要素の一つ、大気中やあらゆる物質の中に常に存在し、人体はこれを取り込んでは排出することで循環させている。体内の魔素を練り上げ蓄積させることで魔術と生命の源である魔力が生まれる。しかし魔素濃度の高すぎる大気は瘴気と呼ばれ魔法に耐性のないものには悪影響を及ぼすとされている。
高濃度の魔素でできた瘴気は可視化をともなう。ライオの眼前に今広がっているのは黒々とした煙にうつる二つの影
(とにかく二人だけでもここから遠ざけるっ)
幸いこの瘴気はそれほど広範囲には及んでおらず、自分がいる位置より後ろにふたりを移せば今のところ危険はないとライオは判断する。
瞬時に全身に中級甲型身体強化魔術筋骨増力を発動。淡い橙色の幾何学模様が全身へと広がり作用。肉体を通常の十倍以上強化することにより踏み込む足の力でみしみしと石畳が音を立てて沈み込む。さらに初級丙型身体強化魔術闇去視界により彼の眼は暗視スコープと同じように暗さによる視界不良を全く受けなくなる。金色の風が闇を穿つ。幸運なことに二人はごく近くにいた。
「アスラン...なのかい」
ライオが目にしたのは意識のない巨漢の首を締め上げる、気を失っているはずのアスランであった。
考えろ、考えるんだ。アスランはいま瘴気にあてられて自我を失っている可能性が高い。ならやはりまずは二人を瘴気の外に出すことが先決だが、同時にアスランからあの男を引き離さなければならないだろう。ライオは颶風となって二人の間に割り込む、がこちらに気づいたアスランはすぐさまお男の首を手放し、身をひるがえす。
(くそ、取り損ねたか)
(だが一人は取り返したよ)
ライオは巨漢を道のわきに寄せ、もう一度来たほうへと向き直る。
アスランはもといた場所からは離れずに四足獣のような姿勢のままこちらをにらみつけている。
(追撃してくる気配はない、こいつはさして重要ではないのか?)
(だが早く助けなければアスランが危ない)
もう一度四足獣にめがけて駆け抜ける。今度は初めから臨戦態勢の獣は自らの領域に踏み込まれたとたんに突進してくる。ライオはそれを受け流しつつ、弧を描いて反転、四足獣の後ろをとることに成功する。最初は逮捕術で腕を後ろに回し地面に押さえつけるつもりだったが、獣のあまりの膂力に方針を変更。煙からの押出しを選択する。腰部を両腕で固定し力を加えると獣は後ろ足を蹴り上げて倒立前転。
自らの勢いに獣の回転が加わった衝撃がライオに襲い掛かる。全身に亀裂の走るような痛み。だがこの腕を離すわけにはいかない。獣は仰向けのまま後ろ足をライオの腹部へ鞭のように叩きつける。一、二、三、四、五回。下腹部を襲い続けるのは猛烈な痛み、鎮痛術式を施していない状態ではたとえ歴戦の勇士であるライオであっても泣き叫び失神しかねない。だが王国の守護者は離さない。しだいに獣が呻きはじめ、やがてその力が抜けて四肢が地面になだれ落ちる。
王国の楯は死闘を制したことがわかると
「やれやれやっと終わりかぁ」
とため息をつくのだった。
やっとアクションぽいことができました。