第一章 女王フランソワーズ一世 その①
ジパング帝国の滅亡から200年。大陸の東の海に浮かぶジパング島は、帝国の滅亡によって誕生した小国が乱立する時代が続いていた。
その一国、島の中央部に位置するオ・ワーリ王国では、第十四代国王オーギュスト十四世の死後、王の長女フランソワーズが王位をめぐる兄弟間の争いを制し、王国初の女王となっていた。
女王の主席侍従官として仕える十七歳のランマルは、フランソワーズの人使いの荒さと突飛な言動に悩まされる日々を送っていたのだが、一日、ランマルはそのフランソワーズからある驚くべき意志を告げられる……。
今日も一日、なんとか生きのびることができた……。
陽が沈み、かわって天空の主役に躍りでた星月を見るたびに、僕の胸には祈りにも似た感謝の思いがこみあがってくるのだ。
こんな書き出しで始まると誤解されるかもしれないが、僕は別に人生の終幕が降りかけている老人でもなければ、不治の病をかかえて明日をしれぬ重病人でもなく、最近、国内でやたらと増加している、亜大陸伝来のデウスとかいう神様を崇めている〈神教徒〉でもない。
この年、まだ十七歳になったばかりの、英気あふれる若者なのである。ただ、そんな若さや元気も半年ほど前からお仕えしている「困ったちゃん」な女王様のおかげで、年齢とは裏腹に涸渇気味であることは否定できないところだが。
「さてと、そろそろ寝ようかな」
それまで城内にある自分の執務室で毎日義務づけている日記を書いていた僕は、いいかげん疲労と睡魔を全身に感じていたこともあったので、時間的には少々早いが就寝することにした。
今日はめずらしく仕事も忙しくなかったし、こんな日くらいは早めに仕事を切りあげても罰はあたるまい。なにしろ忙しいときは、あの女王様にそれこそ「殺人的」と称するにたる、デタラメな量の仕事を押しつけられているのだから。
そう思った僕は愛用の羽根つきペンを机の抽斗にしまいこみ、執務室の奥に敷設されている寝所へと向かったのだが、その足はわずか十歩ほどで止まることとなった。突然、部屋に備えつけの呼び鈴の音が僕の鼓膜を打ったのだ。
「……まさか?」
チンチンと小うるさく鳴り続ける呼び鈴の音に、とっさに不吉なものを感じとった僕は眉をしかめずにいられなかった。
一瞬、寝たフリを決めこんで無視しようという考えが脳裏をよぎったのだが、万が一にも訪問者があの女王様の使いであったら……。
それを考えると、やはり無視を決めこむわけにもいかず、僕はしかたなしに踵を返して扉の前にまで歩を進め、誰何の声を発した。
「こんな夜分に誰か?」
「私です、ランマル卿。フォロスにございます」
「なんだ、フォロスか」
僕が扉を開けると、銀色の髪をもつ小柄な中年の男が部屋に入ってきた。
僕の下で働く城勤めの侍従官の一人で、名をフォロスという。先述の銀髪と眠たそうな細い目が印象的な男だ。
そのフォロスは三人ほどいる次席侍従官の一人で、早い話が僕の部下なのだが、そうはいっても年齢はすでに五十近い。ただ、ほかの部下たちも皆、三十代四十代の者が多く、別にフォロスだけが年をくっているというわけではない。十七歳という年齢で主席侍従官の職にある僕のほうが若すぎるのだ。
「それで、なんの用だ、フォロス?」
「ランマル卿。陛下が至急の用件でお召しにございます。ただちに陛下の寝室にまでお越しください」
「陛下の?」
やっぱりね。嫌な予感が的中して僕は内心でため息をついた。
たまには早めに就寝しようと思ったらこれである。まったくあの女王様は、どこまでも僕をコキ使わないと気が済まないらしい。いや、被害妄想なのはわかっているが。
「それで、陛下のご用件とは?」
「さて、私は使いを頼まれただけですので詳しいことは」
「わかった。仕度を整えてから行く」
フォロスが一礼して下がると、僕は服を変えるためにふたたび寝所に向かった。
それにしても疑問なのは、あの女王様、こんな時間まで起きていて、いったいなにをしているのだろうか? いつもなら「夜更かしは美容によくないのよ」とかいって、夕食後はよほどのことがないかぎり湯浴みを済ませたら、寝酒と称してワインを一本干してさっさと寝台に潜りこんでいる人なのに……。
ともかく呼び出された以上はグズグズしていられない。なにしろ気の短い為人の女王様なので、理由もなくトロトロしていたらグーパンチが飛んでくること必至である。僕は急いでガウンを脱いで藍色を基調とした侍従官服に着替えると執務室を後にした。
さて、城の最上階にある女王の寝室に着くまでしばらくかかるので、その間に多少自己紹介をしておこう。
僕の名前はランマルという。年齢はこの年十七歳であり、オ・ワーリ王国の女王フランソワーズ一世陛下のもとで主席侍従官を務めている。わがオ・ワーリ王国は、亜大陸のはるか東の海に浮かぶジパング島の中央域に位置する国で、この小さな島にはほかにも百近い国々がひしめいているのだ。
それはさておき、そのオ・ワーリ王国の女王フランソワーズ陛下の主席侍従官を務めている僕だが、まあ、とりたてて言うほどのことはない。
今年で十七歳になり――これは言ったっけ? ともかく王立学院を卒業し、女王に主席侍従官として取り立てられてはや半年が過ぎる。ちなみに主席侍従官とは、五十人ほどいる城勤めの侍従官たちを統べる侍従官職のトップのことだ。
まだ若いのにずいぶんと偉そうな地位に就いていやがるなと思う人もいるかもしれないが、これはしょうがない。自分で言うのも照れくさいが、じつのところ僕は、超の字が五個も六個もつくほどのエリート官吏なのである。
なにしろ本来なら五年かけて卒業する王立学院を、僕はわずか二年で卒業したのだ。この一点だけでも僕の優秀さというものがわかってもらえると思う。で、学院創設来の英才と謳われた僕の評判を聞きつけたフランソワーズ女王が、主席侍従官として登用したというわけである。
まあ、じつのところ、僕は子爵家に生まれたれっきとした貴族のお坊ちゃんなので、若すぎる要職への登用には多少家柄の良さも影響したのかもしれないが、しかし、それよりなにより僕がすこぶる優秀な人間であったことが、この若さで要職に取り立てられた最大の理由であることは強く主張しておきたい。
さてと、自己紹介(自己賞賛?)している間にも女王の寝室が見えてきた。
衛兵の敬礼をうけた僕は静かに扉の前に立つと、軽くいずまいを正し、声調を整えてから扉をノックした。
「ランマルにございます、陛下。お召しにより参上いたしました」
「お入り、ランマル」
端的というよりはそっけない声が返ってきたので、僕は衛兵に扉を開けさせて部屋に足を踏み入れた。
室内に入って、僕は十歩と歩かぬうちに目的の人物を視界にとらえた。
絵画、彫像、陶器品などの豪奢な調度品に彩られた部屋のほぼ中央。厚手の黒いローブを着た長身の女性が一人、大人十人が一度に座れるであろう大型のソファーに半分横になった姿勢で僕を待っていたのだ。
ジパング人の女性としては極めてめずらしい、百八十セントメイルになんなんとする身長。白すぎるほど白い白皙の肌。溶かした黄金で染めあげたような金色の髪。色調の深い青玉石色の瞳。しゃくれ気味のあご。スイカでも埋めこんでいるんじゃないのと疑いたくなるほど見事な(?)巨乳の所有者であるこの女性こそ、僕の主君にしてわがオ・ワーリ王国の女王、フランソワーズ一世陛下その人である。
そのフランソワーズ様は、この年二十歳になられる。
本名フランソワーズ・マリエンヌ・ド・ウル・ウォダー。先の国王オーギュスト十四世の長女として生まれ、本来であれば内親王として王権だの玉座だのとは無縁の人生を歩むはずであった人なのだが、今から一年ほど前に生じた「運命の悪戯」ともいうべき国史に残る事件によって、誰にとって幸か不幸かは知らないが、ともかく十五代目のウォダー王家当主、そしてオ・ワーリ王国の君主になられたのである。
ま、その種の話はおいおいするとして、部屋に入った僕はそのフランソワーズ様がいるソファーのもとまで歩を進めると、そこでうやうやしく一礼をほどこした。
「それで、ご用件は何でございましょうか、陛下?」
「とりあえず楽にしなさい。それと飲み物はワインにする? それとも紅茶がいいかしら?」
「ありがとうございます。では、紅茶を」
そう答えてから僕が向かいのソファーに腰をおろしたのとほぼ同時、一人の女官が隣の部屋からあらわれて、フランソワーズ様に紅茶を持ってくるように命じられると、一礼してふたたび隣の部屋に消えていった。
女官が去ったのをみはからって、僕はフランソワーズ様に質した。
「なにを見ておいでですか?」
そう僕が訊ねたのは、僕が部屋に入ったときからフランソワーズ様が一枚の紙片を手に持って、それをくいるように見つめていたからだ。
一方の手に握られたクリスタルグラスを口もとで傾け、中になみなみと注がれた赤ワインをひと口干すと、フランソワーズ様は微笑まじりに口を開いた。
「お前を呼んだ理由のひとつよ。まあ、見なさい」
そう言ってフランソワーズ様は手にする紙片を僕に手渡した。
うやうやしく受け取ってその紙片に視線を落としたとき。そこには大きな文字で、
《天下布武》
という四文字だけが書かれてあった。
この国の文字ではないのでなんと書かれてあるのかはわからなかったが……いや、待てよ。この特殊な形の文字はどこかで見た憶えがあるぞ……。