終章 祝着至極のはずだけど その④
衛兵が報告を終えて四阿から去ったのをみはからい、僕はフランソワーズ様に向き直った。
「お聞きのとおりにございます、陛下。これでわがオ・ワーリ王国もようやく平穏を取り戻すことでしょう。なにはともあれ祝着至極に存じあげます」
「そうであってほしいわねえ。でないと、いつまでたっても天下布武に乗りだすことができやしないわ。すでにミノー王国を最初の侵攻国と決めていろいろ考えているのに……」
まだ言ってるよ、このネーチャン……。
真剣そのものといった顔つきでぼやくフランソワーズ様を見て、僕は心底から呆れずにはいられなかった。
だってそうだろう。
例の黒狼団討伐の軍議の席で発したあの余計なひと言が、ダイトン将軍や他の不平貴族らに謀反を決意させた最大の理由であることは、彼らへの取り調べからも明らかになっているのだ。
もちろん、そのことはフランソワーズ様にも報告している。
にもかかわらず自らの軽挙な言動を反省するどころか、あいかわらずイカレた妄想に執着しているのだから、ほんとダイトン将軍とは異なった意味で度しがたい女王様である。
ここはひとつ、カルマン殿下との約束を守る意味でも「自戒」とか「自省」といったジパング語を知らないゴーマンスイカップめをたしなめてやろうと、そのための一語を(どう言えば怒りをかわずにすむか)脳裏であれこれ考えていたのだが、ふと気づいたとき、フランソワーズ様がお付きの女官らをひきつれて四阿を出ていこうとしていたので、僕はあわてて声を投げた。
「へ、陛下。どちらへ?」
「きまっているでしょう。城の中に戻るのよ」
「なるほど、重臣の方々を集めて将軍への対応を協議されるのですね?」
「ちがうわよ、食事をとるのよ。だいたい協議なんてする必要ないでしょう。国都に連行されしだい、あのヒゲはコレなんだから」
そう言ってフランソワーズ様は、自分の首もとで手首を真一文字に振ってみせた。
ギロチンにかけて首を刎ねる、という意味である。
まあ、たしかにそのとおりなんだけど、それでもこの種の容赦のないことをごく自然体でさらっと言えるあたりが、この女王様の真骨頂というか恐ろしいところであろう。
カルマン殿下や謀反貴族らに見せた温情の一面と、ダイトン将軍や蜂起農民らに対する非情の一面。
対照的なふたつの「顔」を目の当たりにして、いったいどちらがフランソワーズ様の「素顔」なんだろうかという疑問が脳裏をかすめたが、お仕えしてまだ一年にも満たない自分には、その答えを見いだすことはできないように思われた……。
ひとつ息を吐いてから四阿を出ると、僕はなぜともなく頭上を見あげた。
暮色に染まった空が果てしない広がりを見せ、太陽が今まさに一日の役割を終えて退場しようとしている。
至極当然の、ごく見慣れた日常の光景であるにもかかわらず、なぜか僕には今のオ・ワーリ王国を象徴するものに思えた。
その日の役割を終えた太陽が沈み、翌日にはまた新たな太陽が空に昇るように、それまで権力の座にあったダイトン将軍ら旧支配層がその座から追われ、フランソワーズ様を戴く僕たち新たな支配層が取ってかわった昨今の国内情勢は、ある意味、神が定めたもう人の世の摂理にも思える。
それを踏まえて言えば、いずれ僕らも旧支配層となり、いまだ見ぬ新たな支配者たちによって権力の座から追われる日が来るのだろうか……。
――僕にはとても想像できなかった。
いや、僕らなどはともかく、あのフランソワーズ様が他人によって玉座から追われる日が来るなど、どれほど想像力の翼を広げても考えられなかったのだ。
とにかく傲慢で高慢で自惚れ屋で、人使いが荒くて非情で冷徹で執念深くて、おまけにけしからん巨乳の持ち主でトンデモ妄想の癖があるわと、たしかにいろいろと困った女王様ではあるけれど、卓越した政戦両略の才能をもつフランソワーズ様に落日の日が訪れるなど僕にはどうしても考えられないのだ。
あるいは、考えたくないだけなのかもしれないが……。
茜色の空を眺めやりながら一人そんな情緒的な思いに駆られていると、情緒というものとは無縁の声が僕の鼓膜をうった。
「ちょっと、ランマル。いつまでそんなとこに突っ立っているのよ。ヘソを曲げているエマにかわってお前に食事の伴をしてもらうんだから、さっさと来なさい!」
「は、はい、ただいま!」
厳しい声に鞭打たれて慌ててその場から駆けだした僕は、女官らをひきつれてバラ園から出ていこうとするフランソワーズ様の姿を眺めながら思うのだった。
考えてもみれば退場だの落日だのと、今のうちからあまり先走ったことを考えてもしょうがないではないか、と。
女王はまだ即位されて一年余り。年齢にいたってはまだ二十歳である。
人生に終幕が降りかけている老君などではなく、過去よりも未来に多くの可能性を持ち、多くのものを手にすることが約束されたうら若き女王陛下なのである。
万にひとつ、いつの日か落日の剣がその頭上に落ちるようなことがあったとしても、自分が進むべきは道はこの命ある限りどこまでもお仕えするのみである。
たとえ女王の権勢に黄昏の時が訪れ、自分が巻きこまれるようなことがあったとしても……。
胸の内で自分自身にそう強く誓いながら、僕はフランソワーズ様を追ってバラ園を駆けだしたのである。
――わが青春のフランソワーズ――
《完》