序章 ホンノー城の変 その④
「た、大変だ……」
喘ぐような声を漏らしつつ遠眼鏡から目をはずした僕は、じつはこのとき、抑制不能の驚愕になかば喪心していた。目の前で起きている事態の「真相」に気づいたからだ。
そのため「どうしたのですか、ランマル卿?」と、僕を呼ぶ部下の声もしばらく耳に入らなかったのだが、それでもその声で自己を回復させた僕はマッサーロに向き直りざま叫んだ。
「マ、マッサーロ! 今すぐ城の人間を全員たたき起こせ。いいか、全員だぞ!」
僕の突然の命令にマッサーロは目を丸くさせたものの、
「ランマル卿はいかがされるのですか!?」
「きまっている、陛下に知らせてくるのだ!」
吠えるように言い放つと同時に僕はその場から駆けだし、城の最上階にある女王の寝所に向かった。
廊下を突っ切り、階段を駆けあがる。途中、城内を警備する衛兵たちが泡食った態でうろたえている姿が目に映った。どうやら彼らも僕たち同様、城に生じた「異常事態」を察知したらしく、右往左往しながらなにごとかを叫びあっている。この分だとマッサーロが知らせなくとも、城内の人間が事情を悟るのは時間の問題のようだ。
騒ぐ彼らの姿を眺めやりつつ、ともかく僕は城内を走り続けた。女王の寝室がある城の最上階にたどり着いたのはそれからまもなくのことだ。
本来、いかに主席侍従官とはいえ、こういった夜分に女王にお目通りをするときは規則上、警護の衛兵→お側付きの女官→女王という伝言ルートを介さなければならないのだが、今はそんな悠長なことをやっている場合ではないので、「お待ちを! お待ちを!」と制止しようとする小うるさい衛兵どもを強引に押しのけて、僕は女王の寝所の扉を叩きながら声をはりあげた。
「陛下、陛下、ランマルにございます! 至急、ご報告したいことがございましてまかりこしました!」
そう扉越しに叫んでみたものの、昨夜は祝宴の主役として好物のカニ料理を肴にそれこそ浴びるほどお酒を飲みまくっていたので、泥酔しててすぐには反応はないだろうなと思っていたのだが、意外にも四度ほど扉を叩いたところで中から声が返ってきた。
「お入り、ランマル」
その声に僕はすぐさまオーク材造りの重い扉を開けて部屋に入った。
室内に足を踏み入れたとき。そこには白いローブ姿の女性が一人、革張りの豪奢なソファーに深く腰をおろして僕を待っていた。細く長い足を組みながら大きな欠伸を繰り返している。
およそジパング人の女性としては極めてめずらしい、百八十セントメイル(百八十センチ)になんなんとする長身の、それでいてなんとも肉感的な肢体を持つこの女性こそ、僕の主君にしてわがオ・ワーリ王国の女王フランソワーズ一世陛下その人である。
本名フランソワーズ・マリエンヌ・ド・ウル・ウォダー。年齢はこの年二十八歳になられ、わがオ・ワーリ王国の十五代目の国王にしてウォダー王家の当主。そして、わが国の歴史上において初の女王に就かれたお人である。
前述の身長にくわえ、白すぎるほど白い白皙の肌、溶かした黄金で染めあげたような金色の長髪、見る者を魅入らせる色調深い青玉石色の瞳をもつ女性で、ややあごがしゃくれているがかけねなしの美人である。
しかし、その美貌を形成する白皙の肌も黄金色の髪も碧い瞳もしゃくれ気味のあごも、フランソワーズ様の「胸」の前ではとたんに陰が薄くなってしまう。
それも当然で、なにが凄いかってとにかく巨乳い。それこそスイカでも埋めこんでいるんじゃないのと疑わずにはいられないほどの大迫力バストで、僕などは陰で「スイカップ」と呼んでいる。ともかく男であれば見たくなくとも釘付けになることまちがいなしで、このときの僕も例外ではなかった。
なにしろ今のフランソワーズ様は薄いシルク作りのローブ一枚。おまけにノーブラらしく、大きくはだけた胸元からは自慢(?)の巨乳が半ポロリしているのに、当人はまるで意に介することなく直そうともしないのだ。
かりにも一国の女王、いや、それ以前に一人の独身女性として、もうすこし「恥じらい」というものを持ったらどうなんですかと、いつも僕などは思っているのだが、どうせ僕なんか「オトコ」と見られていない……って、今は愚痴なんか漏らしている場合じゃない!
僕は小走りでソファーの近くまで行くと、その前にひざまずき急報を告げた。
「陛下、一大事にございます!」
「なにごとかえ、ランマル? なんだか城外が騒がしいようだけれど」
「敵襲にございます、陛下!」
「……敵襲ですって?」
一瞬遅れた反応が、その心情を如実にあらわしていた。僕の報告に剛胆な為人のフランソワーズ様もさすがに驚かれたらしい。
そりゃそうだ。なにしろここは戦場の最前線でもなければ敵国との国境付近でもなく、国都にもほど近い、王国領のほぼ中央に位置する静養地である。近隣の町には国軍が常駐する城塞も建っている。まさに絶対的安全地帯ともいえるこんな場所で、まさか敵の襲撃をうけるなどと誰が考えようか。
そもそもフランソワーズ様にしてみれば、今回の行幸も自分の庭を散策されるような感覚であったはず。だからこそ行幸に随行させる人間も僕たち近習の者を含めて、わずか二百人弱という少人数しか連れてこなかったのだ。
今回、その余裕が裏目に出た格好だが、しかし、だからといって動揺したり狼狽したりしないところが、この剛胆な爆乳女王様の真骨頂であろう。不敵という表現にふさわしい微笑を浮かべながら、フランソワーズ様が僕に問うてきた。
「それで、ランマル。深夜の襲撃というふざけた真似をしてきたのはどこのどいつ? 例のホンガン寺院のタコ坊主ども? それとも、またぞろ不平農民どもがトチ狂ったのかしら?」
「い、いいえ、それが……」
返答に窮した僕を見て、フランソワーズ様の顔から笑みが消えた。
「なによ、はっきり言いなさい、ランマル」
強い語調でそううながされて僕は意を決した。どうせ伝えなければならないのだ。
僕は顔をあげ、フランソワーズ様の白皙の顔を正視しながら口を開いた。
「現在、この城を取り囲んでいるのは僧兵でも武装農民でもありません。大砲まで有しているれっきとした軍兵にございます」
「軍兵? 正規軍の襲撃だというの?」
「はい。それも異国の軍兵ではありません。彼らが陣頭に立てている軍旗の紋章は火焔鳥。すなわち、現在、この城に攻撃をしかけている軍勢は、わがオ・ワーリ王国のフェニックス騎士団にございます!」
「な、なんですって、フェニックス騎士団!?」
……これほどひびわれたフランソワーズ様の声を、僕はこれまで聞いたことがなかった。驚愕にゆがんだその顔もしかりである。
それだけにフランソワーズ様がうけた衝撃の深さがうかがい知れたが、だからといってここで報告をやめるわけにはいかない。僕はあえて気づかぬ態をよそおい、続けて事態の核心部分を告げた。
「はっ。ほかにも藍色の布地に白バラが描かれたオ・ワーリ国旗も確認しておりますれば、もはや疑う余地はございません。現在、この城に襲撃をしかけているのはまちがいなくフェニックス騎士団であり、これが意味することはひとつ。すなわち同騎士団団長ヒルデガルド将軍、謀反にございます!」
それに対するフランソワーズ様の反応は「無」だった。
この場合、沈黙は怒りの表現ではなく「まさか!?」という底知れない驚愕の発露であり、およそこの剛胆な女王には似つかわしくない、まるで喪心したような態でソファーの上で固まってしまっている。大きく見開かれたその目はまっすぐに僕の顔に注がれていたが、僕など見ていないことはあきらかだ。
それも当然かもしれない。フェニックス騎士団といえば、わがオ・ワーリ国軍の主力たる四騎士団の一翼にして、その団長たるヒルデガルド将軍は、女性ながらに次期王国大将軍の最有力候補と目されている重臣中の重臣だからだ。
まだフランソワーズ様が女王に即位する以前の、内親王時代から近習として仕えてきた側近であり、現在では誰もが女王の右腕と認めている重臣である。それほどの人物が謀反を起こしたというのだから、フランソワーズ様でなくとも驚愕のあまり自己を失ったにちがいない。
「あのヒルダが謀反……?」
ややあって発せられたその独語は小さく低く、おそらく発声者本人ですら自覚していないものと思われたが、ともかく僕はひとつ息をのんで、いまだ自失状態から脱けきれていないフランソワーズ様に退城をうながした。
敵の狙いがフランソワーズ様にあるのは確実で、そうである以上、いつまでも城内に残っていたら捕縛、いや、まちがいなく殺されてしまうだろう。そうなる前にフランソワーズ様には逃げてもらわなくてはならないのだ。
「と、とにかく、陛下。一刻も早く城よりお逃げくださいまし。今ならまだ間に合います!」
何度も言うがこのホンノー城は、この地を治める地元の貴族が自身の静養先として築いたものであり、城塞としての機能は皆無にひとしく、外からの襲撃に対する備えなどまったくされていない。
たとえば扉や壁には鉄板も張られていないし、大砲も一門たりともおいていないし、そもそも武器庫すらない。まさに滞在するためだけの城なのだ。
それでも救いなのは、周囲が湖に囲まれているという点だ。
湖岸から城に入るには一本しかない立橋を使う以外になく、それは今、襲撃をしかけているフェニックス騎士団も同様である。
つまり彼らが橋を渡って城内に攻めこんでくる前に、城からひそかに小舟にでも乗って岸に渡り、そのまま近くの町まで逃れて国軍が駐屯する城塞に駆けこんでしまえばいいのだ。
その後は各地の国軍や貴族の私兵団などを呼び寄せて、あらためて謀反を起こしたフェニックス騎士団を討伐すればいい。残りの国軍と貴族の私兵団とを合わせれば、その兵力はゆうに十万人は超える。
いかにフェニックス騎士団が国軍随一の精鋭とはいえ、その数は一万に満たず、この圧倒的な兵力差の前ではなすすべがないであろう。僕がフランソワーズ様に早急な退城をうながしたのはそういう判断からである。
いくら「不敵で無敵」がモットーの、強情で意固地でわがままでヒステリックで、おまけに家来の諫言をゴキブリ並に嫌っている唯我独尊なスイカップ女王とて、自分の命がかかっているとあればこの退城勧告には一も二もなく素直に従うはず。そう僕は信じて疑っていなかったのだが、しかしこの直後。それがとんだ思いちがいであったことを僕は知ることとなった。
「陛下、お急ぎください!」
「是非におよばずよ、ランマル」
「……は?」
それまでの自失した態から一転、意外なほど明朗な声が返ってきたことに僕は驚き、あらためてその顔を見直した。
その美麗な白皙の顔には、さっきまで浮かんでいた驚愕や困惑の色はすでになく、かわって吹っ切れたというか、ある種の「達観」したような表情が広がっていた。
その表情を視線の先に確認したとき、たちまち僕の胸隔に得体の知れない不安が膨らんできた。
「ぜ、是非におよばずとは……?」