第三章 ゴッド・セーブ・ザ・クイーン その⑫
あれをしなきゃならない、これをやらなきゃならないと頭でわかっていても、なにもする気になれない、なにも手につかないというときが人間にはあるものだ。
この三日間の僕がまさにそうだった。
決裁しなければならない仕事は執務室の机の上に山のように積まれてはいたのだが、僕はほとんどそれらに手を付けることなく、朝から晩までぼんやりというか、無気力の態でこの三日間を過ごしていたのである。
すべての理由は三日前、あの式典の翌日にフランソワーズ様から下された勅命にある。
あろうことか現在、国都内の某貴族の屋敷にて軟禁中のカルマン殿下に対し、先の内戦における女王の御沙汰、すなわち「自裁命令」を通達する使者の役を僕にやらせるというのだ。
その勅命を告げられたとき。はじめ僕は理解できずにポカンとなり、ついで腰が抜けるほど仰天し、最後には頭から蒸気が噴きでんばかりに憤った。
これまでフランソワーズ様から散々ムチャな命令をうけてきた僕であるが、それでも今度の使者の役は過去最悪の超ドイヒーでムチャな命令だったからだ。
当然、僕は別の人間に任せるようフランソワーズ様に懇願した。もしも、
「使者の役を断りたい? そんなのダメよぉ~、ダメダメェ~」
などと、もはや死語にも近い無情な台詞を愉快げにのたまったときは、「そのスイカップ、モミクチャにしちゃる!」とまで決意していたくらいだから、勅命に対する僕の強い憤り(たんなる欲望?)というものがわかってもらえると思う。
ともかく僕は頑として使者の役を固辞したのだが、そんな僕にフランソワーズ様は驚くべき一語を返してきた。使者の役を僕に任せるように、なんとカルマン殿下が依頼してきたというから二度ビックリである。
どうして殿下は僕なんかを使者に指名したのだろうかと、仕事そっちのけでそればかりを考えているうちに三日が過ぎ、そして今日、運命の日がやってきたのだ。
この日の正午過ぎ。一人で王城を発った僕が王家所有の四輪馬車に乗って向かったのは、ドメネク子爵という貴族の屋敷である。
先の戦いで途中から女王軍に参じてきた「日和見貴族」の一人なのだが、その子爵の屋敷にカルマン殿下は軟禁されているのだ。
王城を発って一刻弱。子爵邸に到着した僕は正門を通り抜けて、大理石造りの屋敷の玄関の前に馬車を止めた。そこでは館の主人であるドメネク子爵が僕の来訪を待っていて、馬車から降り立った僕を邸内に迎え入れてくれた。
手揉みせんばかりにやたら愛想を振りまいて、あれこれ饒舌に話しかけてくる子爵を適当にあしらいながら邸内を歩くことしばし。やがて通されたのは屋敷のメインホールである。
重厚なオーク材造りの扉を押し開いてそのホールに足を踏み入れたとき、そこには黒を基調とする正装に身をつつんだカルマン殿下が一人、ホールの中央付近で静かに佇んでいた。
遠目にも凜とした威厳を漂わせているその姿は、とても軟禁中の罪人には見えない。
僕の来訪に気づいて振り返った殿下のもとに足早に近寄ると、うやうやしく一礼した。
「お待たせいたしました、殿下。事前にお知らせしましたように、これより女王陛下からの御沙汰をお伝えさせていただきます」
「承知した。だが、その前にひとつだけ教えてくれないか、ランマル」
「はい、なんでございましょうか?」
「同盟に与した貴族らへの処分は定まったのか?」
そう問われることを予期していた僕は、やや声調を整えてから殿下に応えた。
「はい、殿下。彼らの処分はすでに定まっております。女王陛下はすみやかに降伏したことを考慮なされて罪一等を減じ、同盟に参画したすべての貴族に死罪ではなく、爵位および領地の没収を申し渡しました。むろん財産もですが、こちらはわずかではありますが彼らの手元に残ることになっております。全財産の一厘ほどではありますが……」
一厘という具体的な数字を口にしたのは余計だったかなと僕は思ったが、とくにカルマン殿下には落胆した様子はなかった。それどころか満足したように微笑み、
「そうか……それはよかった。爵位や領地を失えど、生命さえ永らえれば彼らもいつかは名誉を回復できる日が来よう。それで、ダイトン将軍らへの沙汰は?」
「は……将軍たちには、その……」
一転して返答に窮して口ごもった僕に、殿下はわずかに眉を曇らせ、
「その様子だと、やはり減刑は無理であったか?」
「は、はい。再三にわたる投降勧告を拒否したこともあって、女王陛下はダイトン将軍および将軍に追従する者たちすべてに極刑を命じられました。いずれ投降ないし捕縛された時点で刑が執行されることになっております」
そう僕が伝えたとき、カルマン殿下は重い沈黙におちいったがそれも長いことではなく、やがてしぼりだすようにつぶやいた。
「そうか……どうやら私の首ひとつでは、彼らまでは救えなかったようだな」
なんと言葉をかけていいかわからず、今度は僕が黙りこんでしまったのだが、しかし、いつまでも黙しているわけにはいかない。僕には果たさなければならない使命があるのだから……。