序章 ホンノー城の変 その③
「おいおい、マッサーロ。ここは王国領のど真ん中だぞ。敵軍があれだけの兵力をひきいてこんなところまで来れるはずがないだろう。あれはどう見ても数千人はいるぞ」
「す、すると、あの松明を持った集団は、いったいどこの何者でなんでしょうか?」
その疑問に対する答えは、僕の中ではすでに出ていた。
このあたりが「並」エリートのマッサーロと「超」エリートである僕との差であろう。
ま、ようするに僕の見解はというと、
「おそらく、陛下の行幸を聞きつけた地元の民衆たちだな」
「地元民……でございますか?」
困惑の態で両目をパチクリさせるマッサーロに、僕はうなずいてみせた。
「そうだ。ありがたくも自分たちが住む地に玉体をお運びになられた陛下を讃えるため、ああして深夜にもかかわらず集まってきたのだろう」
「な、なるほど……」
僕の理論的な見解にマッサーロが得心したようにうなずき、ほっと息を漏らしたまさにその瞬間。突然、ワーとかオーとか、とにかくもの凄い怒号のような叫び声がとどろいてきた。
おかげで仰天した僕とマッサーロはおもわずひっくり返りそうになったのだが、なんとか堪えると、すぐさま窓から乗りだすようにして同一方向に視線を走らせた。それらの怒号が湖岸沿いから発せられていることに気づいたからである。
しばしの沈黙後、湖岸を眺めていたマッサーロがおそるおそる口を開いた。
「ラ、ランマル卿。民衆どもがなにやら不穏な声をあげておりますが……」
「不穏?」
マッサーロの言葉をうけて、僕は耳を澄まして彼らの声をよく聴いてみた。
すると、たしかにマッサーロの言うとおり、群衆からはワーだのオーだのといった怒号や奇声にまじって、「女王を捕らえろ!」だの「敵はホンノー城にあり!」だのと、なにやら物騒なことを大声で叫んでいるのがわかった。
「と、とても陛下を讃えているようには思えませんが……」
声をわななかせてマッサーロはそう言うが、僕の見解はやはり異なる。
たしかに表面だけをとらえればそう思えるかもしれない。しかし、僕くらいの「超」エリートともなると物事の表面だけに目を奪われることなく、その裏に隠されている本質というものを見抜く洞察力を有しているのである。ようするになにが言いたいのかというと、
「おそらく、彼らは酔っているのだろう」
「酔っている……でございますか?」
またしても両目をパチクリさせるマッサーロに、僕は再度うなずいたみせた。
「そうだ。なにしろ今宵は満月。月見酒としゃれこむには絶好の夜だからな。ついハメをはずしたくなるのも人間の性というものだ。大目に見てやろうじゃないか」
「な、なるほど……」
僕の理論的分析にまたしても感銘をうけた様子のマッサーロが安堵の息を漏らした、その直後。「どぉん」というなにかが爆発したような異音が、僕たちの鼓膜をしたたかに刺激した。城の外壁の一部が音をたてて吹き飛んだのはさらに直後のことである。
砕け散った壁材が滝のごとく崩落し、それによって生じたもうもうたる砂塵が風に乗って城の周辺の宙空に広くまき散らされた。
突然のことに僕とマッサーロの思考は同時に停止し、なかば惚けた態でその光景を見つめていたのだが、いちはやく自己を回復させたマッサーロがヒステリックな声を飛ばしてきた。
「ラ、ランマル卿、今のは大砲ではありませんか!? 奴ら、大砲を撃ってきましたぞ!」
「ハッハッハ! なあに、いまどきの民衆ともなれば、大砲の一門や二門くらい所持していてもぜんぜんおかしくはない……」
――わけがなかった。
そんなハイレベルな武器マニアの民衆など、わが国にはむろん、このジパング島全域を探したっていやしないだろう。
それはともかく、夜の夜中に女王の滞在先に松明を手にひそかに集結し、不穏なことを口々に叫びながら城に大砲を撃ちこんできた。この事実を僕はどう解釈すればいいのだろうか?
ここは理論的に分析してみよう――と言いたいところだが、じつのところ分析するまでもなく、
「大砲まで所有しているハイレベルな武器マニアの地元民が行幸祝いに来たけど月見酒の酔いがまわりすぎてつい大砲をファイアーさせて城壁をクラッシャーしてしまった」
という極小の可能性を除けば、考えられることはやはりひとつしかないのだ。それはつまり……。
「て、敵襲だーっ!」
まさに周章の極み。つい今しがた、いちはやく敵襲を疑った副官を鼻で笑ったことなど都合よく忘れた僕はヒステリックな声をあげると、語調そのままに傍らのマッサーロに叫んだ。
「マ、マッサーロ、僕の部屋から遠眼鏡を持ってこい!」
僕がそう命じると、マッサーロは文字どおりの飛びあがってその場から走り去っていった。
ほどなくして戻ってきたマッサーロの手から遠眼鏡をひっくるように受け取ると、すかさず覗きこんで遠眼鏡越しに湖岸に視線を走らせた。
「そ、それにしても、いったいどこの勢力だ!?」
遠眼鏡を覗きこみながら僕は脳裏で襲撃してきた「敵」の正体を探ろうとしたのだが、なにしろ方々から恨みや憎悪を買って「敵」の存在には事欠かないわれらが女王様なので、どこのどんな勢力が襲ってきたのか皆目見当すらつかない。それでも大砲を持っているあたり、不平農民の蜂起などでないことはわかる。
そうなると、先頃攻め滅ぼしたカイン王国の残党が報復のためにやってきたのか?
それとも〈神教徒〉を厚遇する女王に反発を募らせているホンガン寺院の僧兵どもか?
それともそれとも、現在はまだ敵対関係にはないものの、東の大国オダワラーム王国が〈天下布武〉の名の下に領土拡張を続けるわが国に脅威を感じ、攻められる前に攻めてやろうと考えてこの地にまで遠征してきたのだろうか?
現在のわが国をとりまく状況を基に、僕は必死に襲撃をしかけてきた勢力の特定をはかったのだが、どんなに思考を働かせても結論をだすことができなかった。
そりゃそうだ。あまりにも「候補者」が多すぎるのだ。
俗に「敵・味方・敵」という言葉があるが、わが国、というよりわが女王の場合「敵・味方・敵敵敵敵(以下略)」という四方八方敵ばかりの人なので、月下の襲撃を断行してきたあの集団が単一の勢力ではなく、すべての敵対勢力が大同団結して、共通の怨敵たるオ・ワーリ女王の命を狙ってきたとも考えられるのだ。
「ほんと、あちらこちらで敵ばかりつくっているからな、あの女王は……うん?」
そのとき、遠眼鏡越しに湖岸を眺めていた僕の目がふいに止まった。無数の松明の灯火がいっせいにゆらめいたかと思うと、木々の奥陰に身を隠していた集団がぞろぞろと出てきたのだ。
ややあって、月星の光に照らされたその姿を見て、僕はおもわず息をのんだ。
やはりというべきか。姿をあらわした集団は皆、闇夜に同化するような黒塗りの甲冑をまとい、手には剣や槍などをかまえて武装していた。絵に描いたような軍兵の姿である。どうやら月夜に襲撃をしかけてきたあの集団は、いずこかの国の兵士のようだ。
ともあれ、これで多すぎる「該当者」から敵の正体が絞りこめることになったが、だからといって喜んでなどいられない。むしろ事態はより複雑に、かつ深刻なものになったと言える。
当然であろう。どこの国の軍兵かはさておき、ともかくあれだけの軍勢が王国領深くにあるこのホンノー湖にまで進軍してきたのだ。それもわが国の人々の目にいっさい止まることなく。はたして、そんなことが可能なのだろうか?
「くそっ、どうやってあれだけの兵力をこの地にまで……いや、それよりも国境警備の兵士たちはいったいなにをやっていたんだ! 事と次第によっては俸給をカットしてやるぞ、まったく……おっ、あれは?」
屁の役にも立たない国境警備兵を罵りながら湖岸を眺めていたとき、僕の視線がその一点に固定された。視線の先の兵士たちが、いつしか軍旗のようなものを陣頭に掲げていたのだ。
軍旗といえば、その国を表す紋章が描かれているのが定番である。
三十を超える国々の紋章に精通している僕は「これで敵が特定できる!」と、勇んで旗の絵柄を遠眼鏡越しに凝視した。しかし――。
「あ、あれは……!?」
その紋章を視認した瞬間。僕は底知れない驚愕に、背筋に氷滴がすべり落ちるような感覚をおぼえた。
それも当然で、彼らが掲げる旗の紋章を僕はよく知っていたのだ。
それはカイン王国のものでもなければオダワラーム王国のものでもなく、そもそも異国の軍旗ではなかった。あれはわがオ・ワーリ国軍の、しかも「あの騎士団」の軍旗だ……。