第三章 ゴッド・セーブ・ザ・クイーン その②
戦いの火蓋が切って落とされたのは、薄い雲の上で春先の太陽が中天に達した時分のことだった。
二千を数える同盟軍の騎兵が遮るものもないままに、平たんなアセナールの野を突進してくる。
その軍列はやはり例の鶴翼の陣形であり、左右双方に伸び広がった騎兵の群が地表に生え茂る草を馬蹄で巻きあげながら迫ってくる。
これに対してわが軍はというと、先発隊である四騎士団がすでに応戦すべく本陣を発って同様に進軍していた。
先陣はヒルデガルド将軍のフェニックス騎士団とパトリシア将軍のドラゴン騎士団がつとめ、その後方を第二陣としてガブリエラ将軍のタイガー騎士団とペトランセル将軍のタートル騎士団が続く。両翼を伸ばしてわが軍を左右から包みこむように進軍してくる同盟軍に対して、四騎士団は密集隊形を維持したまま野を駆っている。
本陣におかれた塔車台の上にのぼり、そこから遠眼鏡を使って戦場の様子を窺っていた僕はふと横を見やった。そこには同じように塔車台の上に立ち、腕を組んだ姿勢で黙したまま遠景を見つめているフランソワーズ様がいる。小さく息を吐いて後、僕は声を向けた。
「陛下、このままではわが軍は左右から敵に挟みこまれてしまいます。こちらも陣形を広げて対処された方がよいのでは?」
するとフランソワーズは意味ありげに微笑し、
「さあ、それはどうかしらね。見なさい、ランマル。敵の動きを」
その言葉にふたたび僕が遠眼鏡を覗きこむと、その先で同盟軍の陣形に変化が起きようとしていた。
左右に広がっていた敵の騎兵の列が、四騎士団との距離が縮まるにつれて徐々に狭まり、やがて両軍の距離が数百メイルほどに近づいた頃にはわが軍と同じ密集隊形となっていた。やはり敵の狙いはフランソワーズ様が看破したようにわが軍への中央突破にあったのだ。
ほどなくして両軍は激突した。
フランソワーズ様の台詞じゃないが、まさに暴走イノシシの群を想起させる勢いで突進してくる同盟軍の騎兵に対し、先頭を駆る二人の騎士団長――ヒルデガルド将軍はサーベルを、パトリシア将軍は長槍をそれぞれ振りあげて、怯むことなく敵兵の群に斬りこんでいった。
二人の女将軍は一軍の将としてはもちろん、一人の戦士としても傑出していた。
愛用するそれぞれの武器を手に敵陣の中を突っ切るたびに、その周囲で鮮血が宙を染め、馬がいななき、騎手が死者となって地上に落下していく光景が繰り返されているのだが、とりわけパトリシア将軍の戦いぶりは凄まじいの一語に尽きる。
細身のサーベルをまるでムチのようにしなやかに乱舞させ、次々と敵兵を馬上から斬り倒していくヒルデガルド将軍を華麗な強さとするならば、パトリシア将軍はさしずめ「猛烈」な強さになるだろうか。
とにかくなにが凄いかって、百九十セントメイルになんなんとする長身の彼女が自身の背丈に匹敵する長槍をぶんぶんと振りまわすたびに、相対する敵兵の首が二つ三つ同時に血しぶきをあげて胴体から吹っ飛んでいくのだ。もうここまで凄まじいと「男勝り」なんて言葉が陳腐に思えるほどだ。
ともかくそんな彼女たちの勇戦ぶりもあって、僕の中には「こりゃ楽勝だな」という戦いへの楽観めいた心情も芽生えていたのだが、しかし、時間が経つにつれてそんな思いは徐々にしぼみ、ついには完全に消え失せていた。
それも当然で、同盟軍はヒルデガルド・パトリシア両将軍の武勇の前に蹴散らされるどころか、逆にわが軍のほうが押されてじりじりと後退を余儀なくされていたのだ。
「驚きました。あのヒルデガルド将軍とパトリシア将軍が押されています。同盟、いや、反乱軍もなかなかやりますね」
「ま、あっちは崖っぷちだからね。そりゃ必死になるわよ」
驚きと困惑を隠せないでいる僕とは対照的に、フランソワーズ様が淡々と評する。
たしかにこの平野での戦いにすべての戦力を投入している同盟軍は、敗れたらもう後がないだけに必死に戦うのはわかる。もっとも、それは同様に全兵力をこの平野に布陣させているこちらも同じ話だ。
「陛下。ここは両将軍に救援を送るべきではありませんか?」
「そうしたほうがよさそうね」
めずらしく僕の意見を素直に受け入れたフランソワーズ様が片腕を頭上にかざすと、本陣の後方から一発の花火が打ち上がった。
白い光が上空で散華した直後、後方で待機していたガブリエラ将軍のタイガー騎士団が瞬時に動きだし、後方から飛び出すとそのまま弧を描くように右から回りこんで、同盟軍の隊列に真横から突っこんでいった。
高速行軍の名人で知られるガブリエラ将軍は、一方で投剣術の達人としても知られ、事実、将軍が馬を駆りながら両手の指にはさんだ小型の短剣を四方に投げ放つたびに、眉間や喉をつらぬかれた同盟軍の騎兵が次々と落馬していく。ひきいる麾下の騎士団が敵陣の横腹を的確に突いたこともあいまって、同盟軍はたちどころに陣形を乱し、混乱のはてに崩壊するものと思われたが、現実にはそうはならなかった。
たしかにタイガー騎士団の強襲をうけた直後は、さすがに敵の隊列も乱れて勢いも落ちたが、すぐに隊列を直すと勢いまでも回復させてしまったのだ。たちまち再前進を始めた敵軍の姿に僕は声をわななかせずにはいられなかった。