第三章 ゴッド・セーブ・ザ・クイーン その①
ウェミール湖畔での戦いで敗北して窮地に追い込まれた救国王侯同盟の軍勢は、起死回生の勝利を得ようとアセナール平原に軍を進めて女王軍に野戦を挑む。
対するフランソワーズも同盟軍を完全殲滅するべく、同様にアセナール平原に軍を進める。
かくして女王軍と同盟軍の最後の戦いが始まろうとしていた……。
後世において「アセナールの戦い」と称されることになる、国内におけるフランソワーズ様の権勢が盤石のものとなることを決定づけた戦いが始まったのは、救国王侯同盟を称する反女王勢力が国都を占領してからちょうど一ヶ月後のことだった。
この日、両軍はまるで示し合わせたかのように同一の行動を取った。
早朝、日の出とともにわが女王軍はヴェンゲル城を、同盟軍はアーセン城というそれぞれの拠点を進発すると、やはり同様にアセナール平野の中央域にまで軍を進めてそこにともに布陣した。
正午まであと一刻ほどに迫った時分である。
その平野の一角に設けられた女王軍本陣の天幕内では、われらが大将であるフランソワーズ様がきらびやかな白銀の冑、膝丈まである真っ赤な長革靴、王家の紋章が刺繍された純白のマントという三点セットの装いで、こんな所にまで運びこませた革張りのソファーに座り、まず優雅と称するにたる態で紅茶を飲んでいた。
いついかなるときであろうと、ワインと紅茶をたしなむ時間は絶対に欠かさない女王様なのである。
そんなフランソワーズ様をよそに、布陣直後から天幕の外で遠眼鏡を覗きこみながら同盟軍の様子を監視していた僕は、彼らがにわかに陣形を変えつつあることに気づくとすぐに幕内に駆けこんでフランソワーズ様に告げた。
「おそれながら陛下にご報告いたします!」
「どうしたのかえ?」
「はっ。同盟、いや反乱軍は密集体形から左右に隊列を広げる陣形に変えつつあります。その形から推測するに、敵の狙いは鶴翼の陣にあるかと思われます」
いっぱしの軍師気取りで僕がそう報告をすると、フランソワーズ様は紅茶を飲む手を止めてそっけなく応じた。
「五十点ね」
「……五十点?」
言葉の意味がわからず両目をパチクリさせた僕を、フランソワーズ様は薄く笑いながら見つめ、
「表面の変化に惑わされてはだめよ、ランマル。たしかに隊列を左右に広げる陣形は鶴翼の陣だけど、まずまちがいなくそれは擬装よ。こちらをあざむくためのね」
「擬装?」
「そうよ。そもそもなぜ連中が国都から出てきて、しかも兵力で劣っているにもかかわらず野戦にうってでてきたか。それを考えれば、おのずと敵の真の狙いがわかるというものよ」
「それは陛下が彼らに送りつけた挑発文、いや、勧告文に刺激されたからでは?」
「それもあるでしょうけど、一番の理由は連中が起死回生の勝利を得るための可能性が野戦にうってでることだったからよ」
「可能性? それはなんでございますか?」
「簡単よ。戦場で私の首を獲ることよ」
「な、なんと……!?」
フランソワーズ様の一語はなにげないものだったが、僕を絶句させるには十分だった。
しかし、よくよく考えてみればたしかにフランソワーズ様の言うとおりかもしれない。
先のウェミール湖畔での戦いで半数の兵力を失い、そればかりか、いずれは味方に引き入れようと考えていた中立派の貴族たちがこぞって女王軍に馳せ参じ、女王陣営との戦力差は致命的なものになってしまった。
同盟側にしてみれば、もはや援軍のあてがなくなった今、王城に引きこもっていてもいずれ物資が尽きればその先にあるのは自滅の二文字。ならば、いっそのこと野戦にうってでて、女王の首を獲ることに活路を見いだそうと考えるのはもはや必然かもしれない。
僕はひとつ息を吐いてから声を継いだ。
「そうとわかっておいでなら、陛下。なにも御自ら戦場に立たれることはないでしょうに。ここは四騎士団長に戦いをゆだね、ヴェンゲル城に退かれてはいかがですか?」
「ばかね、私が戦場に身をおくからこそ、連中に縛り( ``)をかけることができるんじゃないの」
「縛り?」
「先のウェミール湖での戦いもそうだけど、私が戦場にいたからこそクレマンス将軍は冷静な判断力を欠いたのよ。奇計に気づいた時点でさっさと逃げだせばいいものを、私の首に固執してずるずると戦い続け、結果、敗北を招いた。そして、それはダイトン将軍も一緒。これみよがしに陣形をごちゃごちゃ動かしているようだけど、頭にあるのは女王を討ちとることだけ。そうである以上、どういった戦法をしかけてくるのか私にはもう読めているわ」
「それは?」
「兵力も少ないし、まずまちがいなく全軍塊となって、私がいるこの本陣めがけて一直線に突っこんでくるでしょうね。いわゆる中央突破ってやつよ。金貨十枚を賭けてもいいわよ」
「中央突破……」
「そう。まさに暴走イノシシのごとく、わき目も振らずにね」
愉快そうに語るフランソワーズ様に、僕は生唾をひとつ呑みこんでからあらためて問うた。
「それで陛下は、どのようにして彼らに対応するおつもりなのですか?」
「基本、交戦時の対応は四騎士団長の判断にゆだねるけど、万が一にも彼女たちの手に余るような事態ならば、とっておきの手段を考えてあるわ」
「とっておきの手段?」
いぶかる僕に、フランソワーズ様は自ら考案したという「とっておきの手段」をとくとくと語ってきかせた。
それに対する僕の反応は「絶句」の二文字だった。その手段というのがあまりに過激で、かつ苛烈きわまるものだったからだ。
「ほ、本当にそこまでおやりになるおつもりなのですか?」
動揺を隠せない僕とは対照的に、平然とした口調でフランソワーズ様は応じた。
「あたりまえでしょう。これは戦いなのよ、ランマル。殺るか殺られるかの」
「そ、それはわかっておりますが、しかし、なにもそこまで……」
言いさして僕はふいに口をつぐんだ。本陣詰めの騎士が天幕内に息せききって駆けこんできたのである。
「おそれながら女王陛下にご報告申しあげます。敵軍、動きだしました。騎兵を先頭にこちらに向かって進軍してきます!」
「来たわね……」
薄く笑って赤い舌で唇をひと舐めすると、フランソワーズ様はソファーから立ち上がり、伝令の騎士をひきつれて颯爽と天幕から出ていった。
一方の僕はというと、ある種のわだかまりからその場からすぐに動けなかったのだが、胸隔を満たすそのわだかまりを打ち消すかのように頭を振ると、フランソワーズ様の後を追って天幕を駆け出ていった。