第二章 救国王侯同盟 その⑬
かくして太陽が一日の役割を終え、月や星々に空の主役を譲ろうとしていた時分。前線であるウェミール湖から急遽、四人の将軍たちが軍議のために屋敷に呼び戻された。
屋敷の広間に集められた彼女たちは、そこでフランソワーズ様の口から思いもがけぬ言葉を聞かされた。すなわち、今夜、軍を動かして攻撃にうってでる、ということをである。
フランソワーズ様の「突飛な」言動や思考というものに、四人の騎士団長は耐性や免疫というものが十分備わっていたはずなのだが、そんな彼女たちでもとっさの反応に窮し、黙したまま困惑の視線を交わしあっていた。ま、そりゃそうだわな。
ややあって、小さく息を吐いたヒルデガルド将軍が一同を代表して声を発した。
「陛下のお決めになられたことに、私どもは身命を尽くすのみにございます。ただ、ご深慮の一端をお教えいただければ、私たちも迷いなく戦いに臨めるのですが……」
フランソワーズ様はうなずき、自ら立案した作戦の中身を語りだした。
フランソワーズ様の策。それは軍を二手に分けて湖畔を左右両側から攻めあがり、湖畔北側に陣を敷く同盟軍を挟み撃ちにしようという、いたってシンプルなものだった。
それだけに、かえって「粗」が見えやすかったのかもしれない。
四人の将軍たちはふたたび視線を交わすと、今度はペトランセル将軍が疑問の声を発した。
「おそれながら陛下。兵力を二分しては逆に敵の思うつぼにございませんか?」
ペトランセル将軍の懸念は用兵の知識に乏しい僕にもよくわかる。
こちらの兵力四千に対して、同盟軍はおよそ三千。せっかく兵力で勝っているというのにそれをわざわざ二分して挟み撃ちなどをしかけたら、敵は全軍をもって左右いずれかの半数になったわが軍を攻めて、下手をすれば挟撃する前に壊滅の憂き目にあうかもしれない。その危険性をペトランセル将軍は指摘したのである。
もっとも、その点について指摘されることはフランソワーズ様も予想していたようで、手にする紅茶のカップをテーブルにおくと穏やかな口調で応じた。
「そのとおりよ、ペティ。だから攻める際にはちょっとした奇計を用いるのよ」
「奇計……?」
戸惑った様子の四将軍に、興がった表情でフランソワーズ様が説明を続けた。
先に話したように兵力を二手に分けるが、単純に半数ずつに分けるのではなく、湖畔を右回りで攻めあがる右翼部隊はガブリエラ将軍のタイガー騎士団がうけもち、左回りで攻める左翼部隊は残りの三騎士団が連合してうけもつ。
その際、タイガー騎士団は松明を一人が二本使用しながら進軍し、逆に三騎士団側は三人で一本の松明を掲げながら進軍する。こうすることでタイガー騎士団を倍の兵力に見せ、逆に三騎士団側を三分の一の兵力に見せる。当然、それを見た敵は松明の灯火の数が少ない三騎士団側を兵力が少ないと確信し、挟撃される前に各個撃破してやろうと全軍をもって攻めこんでくるだろう。
あとはタイガー騎士団が駆けつけてくるまで敵軍をその場に釘付けにして、敵を前後から挟撃する。視野のきかない闇夜と松明の灯火を利用した、まさに奇計戦法である。
「なるほど、奇計というのはこのことでしたか」
一様に感嘆したようにうなずく四将軍に、フランソワーズ様が薄く笑ってみせた。
「松明の数を見れば、当然、敵は左翼の三騎士団側を少数と思いこみ、まずそちらを潰してやろうと攻めてくるでしょう。擬装とも知らずにね」
低声の笑いを漏らしながらフランソワーズ様はガブリエラ将軍に視線を転じ、
「ガブリエラ。交戦を確認したら、そなたは得意の高速行軍をもって湖畔を回りこみ、敵の背後を強襲しなさい。暗闇の中とはいえ、フクロウのごとく夜目が効くそなたが指揮すれば一刻とかからずに到着できるはず。いいわね」
「かしこまりました、陛下」
低頭して応じるガブリエラ将軍にフランソワーズ様はうなずき、さらに強い語調で断じた。
「いつまでもこんな所でグダグダしていられないわ。今夜中に奴らとは決着をつけて、一日も早く国都に向かうわよ!」
語尾に重なるように僕たちは椅子から立ち上がり、いっせいに頭を垂れた。
かくしてその日の深夜。作戦は決行されたのである。
昨日まで地上を明るく照らしていた月は厚い雲に隠されて、今宵のウェミール湖は濃い闇と深い静寂につつまれていたが、夜半過ぎ、その闇と静寂はわが軍の馬蹄のとどろきと、兵士の気勢とその手に掲げられた松明の灯火によってに破られた。
わが軍同様、昼夜こちらの動きを遠眼鏡などで監視している同盟軍がそれを看過するわけもなく、案の定、時をおかずして彼らも動きだした。こちらの注文通り、三騎士団側に全軍を進めてきたのである。
多数をもって少数を攻めるのは兵法のセオリーとはいえ、フランソワーズ様考案の「松明奇計戦法」が見事に成功したのだ。
進軍を開始してから半刻と経たずうちに、両軍は湖畔西側の中腹付近で激突した。
たちまち兵士たちの怒号や絶叫、馬のいななきといったものがこの離れた本陣にまでとどろいてくる。
入り乱れ、闇の中で激しくゆれ動く無数の松明の灯火が遠眼鏡越しに僕にも見えた。
戦いが始まった以上、それはしごく当然のことなのだが、それでも僕が「あれ?」と思ったのは、交戦開始から半刻ほどが過ぎても、その種の声や音がいっこうにおさまる気配がないということだ。
おそらくは同盟軍も、いくら闇夜の中とはいえ、こちらの兵力が想像以上に多いことに交戦中にも気づいたはずである。自分たちが謀られたこと、このまま戦っていたら挟撃される恐れがあることもだ。
となれば、ガブリエラ将軍のタイガー騎士団が湖畔を回りこんでくる前に、同盟軍は形勢不利を察して戦場から逃げだすであろうと僕は考えていたのに、現実には戦端が開いてから半刻近くが経ってもあいかわらず戦いは続いている。
ふと僕は遠眼鏡から目をはなすと、ちらりと横を見やった。
松明の灯火で淡い朱色に染められた湖畔の一画に佇みながら、遠景を黙して眺めているフランソワーズ様のお姿が視線の先にある。
甲冑は着けておらず、絹織りの軍装に膝丈まである白い長革靴。さらには白いマントという全身白づくめの装いが、これまたこの美貌の女王様をいっそう映えさせている。
それはともかく、そのフランソワーズ様に内なる疑問を向けてみると、「そりゃそうよ」という端的な答えが返ってきた。真意をはかりそこねた僕に、フランソワーズ様が続けて言う。
「目と鼻の先に女王がいるかぎり連中は――というか主将たるクレメンス将軍はそう簡単には逃げださないわよ。人間、誰しも欲には勝てないからね」
「欲……にございますか?」
「そう。先の人事でうけた屈辱を晴らしたいという個人としての報復欲。女王軍を撃ち破ったという武人としての名声欲。それによって回復できる公人としての権力欲。ま、そういったものね。それらの欲に将軍が固執するかぎり、奇計にかかろうと敵兵が多かろうと戦い続けるわよ。私を倒さないかぎり復権への道は閉ざされたままなのだからね」
「な、なるほど……」
理にかなったフランソワーズ様の推察に、僕は心底から感服した。
たしかにそれなら同盟軍が、というより主将クレメンス将軍が逃げださずに交戦を続ける理由も納得がいく。かの将軍にしてみればフランソワーズ様の治世が続くかぎり、宮廷においても軍部においても再浮上できる目はない。
となれば、女王が戦場に身をおいているこの機を逃してたまるかと、目の色を変えて戦うのは道理というものだ。そんな将軍の個人的な欲のために、困難な戦いを強いられる将兵たちにとってはたまったもんじゃないだろうが。
ややあって、フランソワーズ様の低い独語が僕の耳をかすめた。
「そろそろガブリエラが到着する頃ね……」
戦場と本陣とをつなぐ伝令係の騎士がフランソワーズ様のもとにやってきたのは、それから間もなくのことである。湖を右回りに進軍していたガブリエラ将軍のタイガー騎士団が戦場に到着し、みごと敵軍の後背を突いたというのだ。
こちらにとっては予定通りのことであるが、同盟軍にしてみればこれもまた予想外だったことにちがいない。この広大で、しかも闇夜につつまれた湖を回りこんでくるには、いかに騎兵の集団といえど最短でも一刻以上はかかると考えていただろうに、高速行軍の名人にしてフクロウなみに夜目が利くことで知られるガブリエラ将軍はそれを半分の時間で達成し、戦場に駆けつけたのだから。
「あと一刻ってところかしらね」
とは、先の報告に対するフランソワーズ様の言葉である。つまり、あと一刻ほどで戦いが終わるとフランソワーズ様は計算しているのだ。
事実、本陣の天幕内に腰を据えていたフランソワーズ様のもとにふたたび伝令の騎士が甲冑を鳴らしながら駆けこんできたのは、タイガー騎士団の戦場到着の一報から一刻後、戦端が開いてから二刻弱が過ぎたときのことだった。
「おそれながら女王陛下にご報告申しあげます。敵はわが軍の挟撃の前に戦場から逃走いたしました。お味方、大勝利にございます!」
伝令の騎士の報告に、本陣に詰めていた兵士たちから歓声があがった。
もちろん僕も声をあげた一人だが、そんな中にあってただ一人、サーベルの剣環に手をおいたまま無言を保っていたフランソワーズ様は、やや間をおいてから伝令の騎士に問うた。
「それで、敵主将クレマンス将軍はどうしました?」
「はっ、残念ながら討ちもらしたとのことにございます。おそらくは闇夜に乗じてブルーク城に逃走したものと思われます」
すでにヒルデガルド将軍が追撃の準備をしていることを騎士が告げると、フランソワーズ様が微笑まじりにそれを制した。
「追撃は無用とヒルデガルド将軍に伝えなさい。もはや敗軍の将などに用はありません」
そうフランソワーズ様は笑い捨て、続けて命じた。
「四騎士団長に通達。敵兵の残存を掃討したのち、この本陣に集結するようにと。それをもって本作戦の終了とします」
伝令の騎士が天幕内から駆け出ていったのをみはからい、僕は弾んだ声をフランソワーズ様に向けた。
「うまくいきましたね、陛下」
「当然じゃない。誰が作戦を考えたと思っているのよ」
フランソワーズ様が得意顔で誇らしげに胸をそらすと、絹服の下の巨乳が上下にプルンと揺れた。どうやら今日はノーブラらしい。
「一戦して敵の力量を探り、その出鼻をくじくという当初の目的は果たしたわ。あとは国都への征路に就くのみよ。ランマル、その準備を整えておきなさい」
「かしこまりました。しかし、主将たるクレマンス将軍を討ちもらしたのは残念でしたね。どうやらブルーク城に逃げこんだようですし。かの将軍が健在なうちは城を放って進軍させるわけにもいきませんし……」
もはや敗残兵など放っておいてもいいだろうが、しかし、進軍した後、後方でちょこまか蠢動されてはなにかと厄介である。ここは城を陥して後方の憂いを断ちたいところだが、敵の大将たるクレマンス将軍が健在であるかぎり、やすやすと城が陥ちるとも思えない。
そう僕が懸念を漏らすと、フランソワーズ様はなにやら含みのある笑みを浮かべ、
「心配ないわ。私にちゃんと考えがあるから」
「お考えがあると?」
「そうよ。数日のうちにもブルーク城はわが軍のものとなり、ついでにクレマンス将軍の生首とも対面することになるでしょうね。それも味方の血を一滴も流さずにね」
わずかな沈黙をおいてから、僕はうやうやしく低頭してみせた。根拠のない大言を吐くような主君をもったおぼえはないからだ。
事実、フランソワーズ様の「予言」は、これより六日後に現実のものとなったのである。
ウェミール湖畔での夜戦終了後、僕たちはいったん件の商家に戻って丸一日休息をとってから、あらためてクレマンス将軍らが立てこもるブルーク城へと進軍した。
ブルーク城は四方を遠方まで見はるかすことができる高い丘陵の上に建ち、おまけに灌木の繁みや断層に囲まれているまさに要害で、普通に考えれば攻略は不可能ではないものの容易でもないように思われた。
しかし、そこは「ドレスをまとった兵法書」を自認するわれらが女王様。四千の軍兵で城を包囲したものの攻城戦に出ることはなく、かわりに城の中に無数の矢文を投入させたのだ。
その矢文には「武器を捨てて投降すれば命を助ける」とか「クレマンス将軍の首を獲った者には金貨五百枚の報奨金を与える」とか、とにかく城内の兵士たちの反乱を誘う殺し文句がずらずらと書かれてあり、それはすぐに効果をもたらした。
城を包囲すること五日目。矢文に打算と私欲と、なにより生きることへの渇望を刺激された下級兵士たちが城内で反乱を起こし、クレマンス将軍をはじめとする幹部将兵の生首を手にぞろぞろと投降してきたのだ。
かくしてブルーク城はわれらの手に落ちたのである。ウェミール湖畔での戦端が開いてからここまで、わずか一週間ほどの出来事であった。