第二章 救国王侯同盟 その⑩
僕たちがノースランド領を発ち、目的地たる西部カナン領に到着した日を前後して、この地に通じる幾筋かの街道や山道は武装した兵士の群と軍馬や馬車の列に埋めつくされていた。
いずれの人々も謀反を起こした救国王侯同盟を打倒すべく立ち上がったフランソワーズ様に協力すべく、各地から集まってきた女王支持派の貴族や騎士たちである。
そんな彼らは今、こぞってその先にあるカナン城に向かっていた。
カナン領内において唯一の城であるカナン城は、この地において王族が静養する際の滞在先として今から五十年ほど前に建てられた古城なのだが、ここ二十年ばかりはこの城を利用する、というよりこの地で静養する王族は皆無で、それにともない城も永らく使われないまま「空き城」状態だったのだが、ここに拠る女王の下に馳せ参じてきた貴族や騎士の群を呑みこんで、カナン城は今、久方ぶりの喧騒下にあった。
城に集った貴族たちはかるく百人を数え、彼らがひきいてきた兵士の数は総数で二千人を超えた。
これに四騎士団を合わせるとこちらの兵力は四千人を数える。これなら十分、五千人ほどと推測される王侯同盟の軍勢とも渡りあえるだろう。
なにしろこっちには知勇兼備でならす四騎士団長がいるのだ。同盟軍の大将たるダイトン将軍の無能さを考えると、むしろこちら側が優勢に立ったと言えなくもない。
そんなこんなで、この城に拠って二日ほどが過ぎたその日の昼。女王の主席侍従官・兼・臨時主席侍従武官として出迎えをはじめとする彼らへのさまざまな対応や雑務に奔走していた僕は、おもだった貴族が城に参集したのをみはからい、その報告のために城内にあるフランソワーズ様の部屋を訪れた。
僕が部屋に足を踏み入れたとき。フランソワーズ様は襟もとが大きく開いた真っ赤なコタルディドレスを着てソファーに座り、そこで一枚の地図を手にしながらそれを真剣な表情でじっと見つめていたが、すぐにそれをテーブルの上に投げて僕をかえりみた。
「なにか用かえ、ランマル?」
「はい、陛下。おもだった貴族の方々がお集まりになられたようなので、そのご報告に参りました」
「聞きましょう。まあ、座りなさい」
勧められるままにソファーに腰をおろした僕は、女官が運んできた紅茶をひと口すすった後、さっそく報告をはじめた。
百人を超える貴族が参集してきたこと。彼らがひきいてきた兵士の数が二千人を超えていること。四騎士団を合わせた全軍の兵力が四千に達したことなどを僕が話すと、さすがにフランソワーズ様も気をよくしたらしく、ニコニコしながらうなずいたものである。
「四千人ね。ま、けっこうな数よね」
「御意にございます。それも国境の警備などを任されていた屈強な兵士がそろっておりますれば、国軍兵はともかく、実戦経験の乏しい同盟貴族の私兵など恐れる何物もないかと」
「油断は禁物よ、ランマル。連中だって腹をくくって事におよんだのでしょうからね」
そうたしなめるフランソワーズ様であったが、やはりその口もとはゆるんでいた。
「失礼いたしました。それにしましても陛下、いつの間にあのような準備をされていたのですか? このランマル、まるで気づきませんでした」
「城内の〈アレ〉のことかえ?」
「はい。あれだけの量があれば、わが軍は兵糧に悩むことなく、ゆうに半年は戦いを続けられることでしょう」
「そんなに長びかせるつもりはないけどね」
そう言って、フランソワーズ様は薄く笑った。
――あの日。フランソワーズ様の命令で訳がわからないままカナン領にたどり着いた僕たちは、廃墟同然と思っていたカナン城の、その手入れの行き届いている状態にすくなからず驚いたが、それ以上に驚いたのは城の中に足を踏み入れたときである。そこで僕たちは予想外の光景を目の当たりにした。
剣、槍、弓、矢、それに火薬に油に松明。およそ戦に必要不可欠とされる武器の数々が、城の地下庫に新品同様の光彩をたたえて大量に保管されてあったのだ。
否、保管されていたのは武器類だけではない。千はあろうかという米俵を筆頭に、獣の干し肉に干し貝、干し芋、干し魚といった保存食から、ジャガイモ、カボチャ、ニンジン、大根などの野菜類まで、いずれも樽詰めされたものが庫内一杯に積み上げられていたのである。
別の地下庫で同じように積み重ねられたチーズの塊とワイン樽を見たときは、「さすがは無類の酒好き女王だ」と内心で笑ってしまったが、ともかくこれだけの食糧があれば四千人の兵士を長期にわたって食わせることができるだろう。
正直なところ、僕はこの地にやってくるまで「国都を占拠された今、どうやって物資の調達をすればいいのだろう?」と頭を悩ませていたのだが、庫内に積まれた食料の山を見て僕の頭からはそんな懸念も吹き飛んだ。
おそらくフランソワーズ様は、国内に潜在する反女王勢力がそう遠くない時期に謀反を起こすことを予期していたにちがいない。だからこそこんな辺境の地にある、誰もがその存在を忘れていた古城にこのような備蓄をされていたのだろう。
「なにごとも転ばぬ先の杖よ、ランマル」
とは、城の中に入り、予想外の光景におもわず声を失った僕に対する、フランソワーズ様の「どや顔」まじりの第一声である。
それを言うなら「備えあれば憂いなし」じゃないのかなと思ったが、まあ、そんな細かいことはどうでもいい。
とにかくフランソワーズ様のおかげで、僕らは武器にも食糧にも事欠くことなく王侯同盟との戦いに挑めるのだ。それを考えればフランソワーズ様にどれだけ大きな胸を、もとい、大きなどや顔を向けられても、僕としては「おみそれしました」と低頭するしかないのである。
紅茶を飲みつつそんな近過去に思いを馳せていると、ふいに部屋の扉が開き、甲冑姿のヒルデガルド将軍が部屋に入ってきた。
「おくつろぎのところ失礼いたします、陛下」
「なにかあったの、ヒルダ?」
「はい。ひそかに国都に放った密偵からの報告ですと、カナン城に拠ったわれらの動きを知った同盟の軍勢が国都を発ち、こちらに向かって西進しつつあるとのことです。軍勢をひきいるのはクレマンス将軍とのことで、その数は騎兵と歩兵を合わせて三千ほど。いかが対処なされますか?」
「――陛下!」
驚いた僕が慌てて視線を転じた先では、やはりフランソワーズ様も同じように驚いた顔をして――はいなかった。それどころかその面上には愉悦にも似た表情が広がっていたのである。まるでこの一報を待ち侘びていたかのように……。
「フフフ、ようやく動きだしたわね」
興がった口調でそう応じたフランソワーズ様が、ゆっくりとソファーから立ち上がった。
そして、僕とヒルデガルド将軍を交互に見やり、微笑まじりに語をつないだ。
「全軍に伝えなさい。明日、この城を発ち、国都に向かうとね」
その言葉に僕とヒルデガルド将軍は一瞬顔を見合わせ、だが、すぐに一礼して応えた。
いよいよ決戦のときが来たのだ。それは言葉にする必要もないことだった。