第二章 救国王侯同盟 その⑧
新生・黒狼団を装っていたミノー軍の別動隊を壊滅させたあの夜から、今日で三日ばかりが過ぎていた。
この間、僕たちは――というよりフランソワーズ様は、目的の盗賊団退治を果したというのになぜかすぐに国都には帰還せず、そのままグレーザー男爵の本邸に拠を移して、そこに居座っていた。
そこでなにをしていたのかというと、男爵やヒルデガルド将軍らをひきつれて鹿狩りやキツネ狩りに興じたり、領内にある湖に船をだして今がシーズン真っ直中というマス釣りを愉しんだりと、ようは遊んでばかりいたのである。
例の捕らえた盗賊をミノー王国に引き渡す段取りをつけろだの、屋敷を提供してくれたグレーザー男爵への感謝の宴を開けだの、その屋敷もろとも灰となった盗賊たちの慰霊の儀式を執りおこなえだの、僕にはメンドーな事後処理を押しつけておいて自分は狩猟に釣りにと遊行三昧。ほんと、いいご身分である。のんびりしていないでさっさと戻ればいいものを、いつまで国都を留守にしているつもりなのかね、この女王様は?
そんなこんなで三日が過ぎたわけなのだが、四人の騎士団長らとともに僕が男爵邸内にある談話室のひとつに呼び出されたのは、あと一刻ほどで四日目を迎えようとしていた時分のことだった。
こんな夜更けになんだろうと訝りつつも僕がその部屋を訪れたとき、そこにはすでにフランソワーズ様をはじめ、ヒルデガルド、ガブリエラ、パトリシア、ペトランセルの各将軍の姿があった。
丸い大理石造りのテーブルを囲む彼女たちは、なぜか一様に硬いというか重苦しい空気を発していて、そのことを敏感に察知した僕は不審をおぼえたのだが、ともかく一礼して席に着くとさっそくフランソワーズ様に問うた。
「いったい何事でございましょうか、陛下?」
「国都から急使が来たのよ。クレイモア伯爵が送ってきたね」
「クレイモア伯爵の?」
僕は軽く首をひねり、「それで伯爵はなんと?」
「伯爵が言うには、どうやら国都で謀反が起きたらしいわね」
「ほう、謀反ですか。それはまた……」
フランソワーズ様のなにげない語調もあって、僕は一瞬、納得してうなずきかけたが、すぐにその言葉がもつ重大すぎる意味に気づき、ぎょっと目玉をむいた。
「む、謀反ですとっ!?」
驚愕のあまり声を裏返させた僕に、フランソワーズ様は皮肉っぽく笑ったみせた。
「そうよ。あの不満分子どもがとうとうなけなしの勇気を総動員して、重いへなちょこ腰を上げたらしいわね」
そう応じるフランソワーズ様の声にはどこか愉快そうな響きがあったが、僕はというととてもじゃないが平静を保つのは無理だった。混乱する頭とざわめく胸中を落ち着かせるので精一杯だったのだが、それは僕にかぎったことではない。
若いながらに胆力に優れているはずの四人の女将軍たちですらその表情は硬く、あいかわらず重苦しい沈黙を保っている。僕や彼女たちの反応はいたって当然で、どこか愉しげな様子のフランソワーズ様のほうがイカレて、いや、おかしいのだ。
ともかくクレイモア伯爵から送られてきた書状には次のようなことが記されていた。
それはフランソワーズ様が盗賊団討伐のために国都を発った日から五日後のことであった。
いわゆる不満分子と称される彼らは、国都郊外にあるダイトン将軍の屋敷に極秘裏に集合したという。
名目は将軍の軍歴三十三年周年を祝う宴というよくわからないものだったが、ともかく集結した彼らは邸内でひそかに女王の打倒を誓う決起集会を開き、そのための組織「救国王侯同盟」なるものを結成したというのだ。
とうに女王派に転じたことも知らずに集会に誘われ、そればかりかその場に居合わせたために否応なく反女王同盟に参画させられたクレイモア伯爵によれば、決起した貴族は前宰相のペニンシュラ侯爵や前宮廷大臣のヒルトン伯爵をはじめ百人を超すというから、これはオ・ワーリ王国の全貴族の三分の二にあたる数である。
その決起集会において彼らは、フランソワーズ様の「専横」を糾弾し、このまま女王の治世が続けばオ・ワーリ王国は滅亡しかねないという「危機感」を表明し、ことのついでに即位そのものも「無効」であると断言し、ついにはオ・ワーリ王国に正統なる秩序と正義を回復するための「行動」を起こすべきと高らかに宣言し、そしてそれはすぐに実行に移された。
決起集会の翌日。ダイトン将軍ひきいる国軍と貴族たちが所有する私兵団とによって組織された軍勢によって、国都および王城は占領されてしまったのである。
青天の霹靂ともいうべき事態に直面して狼狽する王城勤めの人々をよそに、ダイトン将軍はまず三人の副宰相を捕らえて城内の一室に監禁して城の支配権を握ると、女王の廃立を一方的に宣言し、国都中にその触れを出した。二日前のことだ。
幸い、粛正されたり厳罰にかけられた人間はまだいないとのことらしいが、それもこの先どう転ぶかわからない。一刻も早く国都に戻り、彼らから国都と王城を奪い返さなければならないのだが……。
ひとつ息を吐きだし、僕はふと心づいた疑問を吐露した。
「それにしても、あのダイトン将軍にこれだけの統率力があったとは意外です。いくら大将軍とはいえ、よくほかの貴族たちがかの御仁に素直に従っているものです」
いかに国軍の司令官であろうと武門の名家出身であろうと、ダイトン将軍はつまるところ騎士階級の人間である。おそらくは例の〈天下布武〉の話を利用して、反女王派の貴族たちの危機感と反発心をあおって決起させ、彼らを謀反に与しさせたことは容易に想像できるのだが、それでも疑問が残る。
爵位も私領もない下級貴族たちはともかく、ペニンシュラ侯爵やヒルトン伯爵のような大臣経験もある大貴族から見れば、ダイトン将軍などは家柄や格式において一枚も二枚も劣る人物だ。いくら女王の天下布武構想に危機感をおぼえたからといって、はるか目下の人物であるダイトン将軍の呼びかけに応じて謀反を起こしたばかりか彼に軍勢の主将を託し、その指揮下に入って唯々諾々と従っていることが僕には不思議でならなかった。
そんな疑問を口にした僕に、フランソワーズ様がせせら笑いまじりに応じた。
「そりゃそうよ。ダイトン将軍など、しょせん虎の威を借りるキツネでしかないのだからね。あのヒゲに諸侯たちを従わせる力量などあるわけないわ」
「……威を借りるキツネ? それはどういうことでしょうか?」
「つまり、貴族たちは別にダイトン将軍に従っているわけではないということよ」
ますます意味がわからなかったのでさらに僕が訊き継ごうとしたとき、同席するヒルデガルド将軍が先に声を発した。
「クレイモア伯爵の書状にはさらに続きがあります。伯爵いわく、救国王侯同盟なる組織の盟主に就いたのは王国宰相カルマン大公殿下であると……」
「な、なんですと、カルマン殿下が!?」
またしても驚きのあまり目玉をむいた僕に、ヒルデガルド将軍が小さくうなずいてみせた。
「そうです。貴族たちに決起を呼びかけたのも、反女王同盟を結成させたのも、蜂起して国都を占領させたとのもすべてはカルマン殿下の御名においてです。ダイトン将軍はその手足となって動いたにすぎない。そう伯爵は文に記しています」
「…………」
もはや僕は声もなかった。
たしかにダイトン将軍ら不満分子たちは大義名分を得ようと殿下を担ぎ出そうとしてはいたが、まさか本当にあの殿下が担がれることになろうとは……。