第一章 女王フランソワーズ一世 その⑫
「国都に連れてきたという農民たちの代表者どもを今すぐ処刑し、さらに今一度現地に赴いて、蜂起した農民をことごとく捕らえてきなさい。よろしいわね?」
フランソワーズ様の語調はごくさりげないものだったが、僕を含めた参列者たちの驚愕とどよめきを誘い、その顔を青ざめさせるには十分なものだった。
むろん、僕たち以上に青くなったのはヒルデガルド将軍だ。
「し、しかし、それでは農民たちとの約束を反故にすることになります!」
まさかの再討伐命令にさすがのヒルデガルド将軍もたまらずに反駁したが、それに対するフランソワーズ様の返答は冷ややかにして無情をきわめていた。
「私が約束したわけではないわ」
突き放すように言い放つと、広間内のどよめきがさらに増大した。
あちゃ~、それを言っちゃオシマイだよ! フランソワーズ様の無情きわまる言いぐさに、僕は天を仰がずにはいられなかった。
たしかに農民たちと勝手な約束をしたヒルデガルド将軍にも非はあるかもしれないが、それでも騎士団と農民側双方に犠牲を出さずに乱を鎮めるべく知恵を絞り、奔走した将軍の努力というものをもうすこし評価してあげたらどうなのよ、ねえ、どうなのよ(大事なことだから二度言いました)と僕などは思うのだが、一方で、この種の慈悲心や寛容さをともなう手法がフランソワーズ様の御心に沿わない、はっきり言ってしまえば「こざかしい」としか映らないのもまた事実なのである。
なにしろ「この恨み、晴らさずにおくべきかぁ~」がモットーの御方なので。
「わかりましたわね、ヒルデガルド将軍。捕らえた農民たちの首謀者連中は全員磔にして、その首を衆前に晒してやるのよ。今後二度と私に、この女王フランソワーズ一世に不埒な思いを抱かせないためにもね」
「は、はい、承知いたしました……」
フランソワーズ様の為人をよく知っているだけに、これ以上はなにを言っても無駄だと悟ったのだろう。ヒルデガルド将軍はうなだれるように低頭して非情な勅命を受け入れた。
式典の主役の座から一転、まさかの「悲劇のヒロイン」化したヒルデガルド将軍の姿に、広間内はしばし参列者たちがつくる重苦しい、それでいてわだかまるような沈黙につつまれていたのだが、ふいに発せられたカルマン殿下の声がそれを破った。
「おそれながら陛下に言上申しあげます」
そう発言するなり文官の列から一歩前に進みでたカルマン殿下は、玉座のフランソワーズ様をまっすぐに見すえながら語をつないだ。
「不埒にも蜂起した農民たちへの怒りはごもっともですが、しかしながら、たとえどういう形にせよ乱が治まった今、軍を派遣してことさら事態を蒸し返すのはいかがなものかと……」
すると、フランソワーズ様はゆっくりとカルマン殿下に視線を転じ、
「再派遣は無益とおっしゃりたいのですか、宰相殿は?」
「はい。それに農民たちに情けをかければ、市井における陛下の名声や評判というものもまた上がるものと存じます。ご不満もおありとは思いますが、ここはなにとぞヒルデガルド将軍の判断を了としていただきたく思います」
さすがは王族きっての理性と良識の人と評されるカルマン殿下である。理と情に富んだその言葉には万人を得心させる力というものがあった。事実、広間内に立ちならぶ参列者たちの間にも賛同のうなずきが連鎖している。
この温情と良識にあふれた正論の前では、いかにフランソワーズ様といえど拒否できないはず――と僕は思ったのだが、王族きっての「感情の人」たるフランソワーズ様にはまるで通じなかったらしい。
なんとも冷ややかな微笑をたたえてカルマン殿下を見すえると、同様の声音で応じた。
「カルマン卿。私が国民に求めているものは声望ではありません。この女王フランソワーズ一世に対する絶対的な服従心です」
「ですが……」
「それに今、あなたは情けをかけろと言いましたが、私はすでに一度、不平農民たちの蜂起を不問に付しました。宰相殿はそのことをお忘れになったのですか?」
「……いいえ、憶えております」
「それはけっこう」
まるで嘲るかのような薄笑いを浮かべて、フランソワーズ様がさらに続ける。
「ともかく恩知らずにして身のほど知らずの農民たちに、二度もかける情けなど私にはありませんわ。そしてそれは、なにも農民にかぎった話ではありませんことよ」
そう言ってフランソワーズ様は、カルマン殿下をはじめとする参列者たちを舐めるように見まわした。否、睨みまわした。
その目つきたるや、まるで獲物の草食動物を見つけて眼光をぎらつかせる肉食獣を想起させるもので、あれはどう見ても、
「わかっていると思うけど先の内戦で敵対した者はすでに粛正リスト名簿に名前が太字でしっかりと記載されている微妙な立場なんだから子羊のように黙っておとなしく従っていないとギロチン台送りにして首チョンパにしてやるから覚悟しておきなさい」
と、句読点皆無のメチャクチャな文言で警告して、いや恫喝している目である。
さすがに参列者たちもそのことを察したらしい。おもわず息をのむ者もいれば、うそ寒そうに首をすくめる者もいる。意味もなく広間の宙空に視線を泳がせる者もいれば、顔から血色を失わせている者もいる。
むろん、そのほとんどは先の内戦でフランソワーズ様に敵対して「リストアップ」されている人々だが、中には最初から女王陣営に与している者もいた。フランソワーズ様の苛烈な性格を知っているだけに、先の発言が他人事とは感じられないのだろう。
息苦しさすら感じるわだかまった空気が広間内にたちこめる中、「名簿上」の一人であるカルマン殿下はというと、先の進言後、しばし目を閉じたまま佇立していたが、自身の微妙な立場もあいまってもはや女王を翻意させるのは無理と判断したのだろう。ふいに目を開けて静かに低頭すると、そのまま一歩退いて列に戻った。
そんなカルマン殿下の姿に満足したようにうなずいたフランソワーズ様は、もはや孤立無援状態のヒルデガルド将軍にじろりとした視線を投げつけ、そして言った。
「いいわね、ヒルダ。今日中に処罰をおこなうのよ」
まさにムチの響きにも似た声で言い放つと、またしてもどよめきかけた参列者たちの機先を制するように「これにて閉会!」と、なかば吠えるように宣言し、自らも階を降りてそのまま広間から足早に出ていった。お側付きの女官たちが慌ててその後を追いかけていく。
当然ながら僕もその後を追って広間を出ようとしたのだが、その途中、ふいに足を止めて広間の一角を見やった。ガブリエラ、パトリシア、ペトランセルの三将軍が武官の列から進みでてきて、うなだれる不憫なヒルデガルド将軍に慰めの声をかけている。
そんな彼女たちの姿を眺めやりながらため息を漏らすと、僕はふたたび歩きだして広間を出ていったのである。