第一章 女王フランソワーズ一世 その⑪
「フェニックス騎士団長ヒルデガルド将軍、北部アダン地方において武装蜂起した農民の一群を掃討されたし!」
その一報がもたらされると、王城内は二種類の声であふれかえった。
ひとつは、ごく短期間のうちに農民蜂起を鎮圧したヒルデガルド将軍の武才に驚き、その勝利と凱旋を喜び、讃え、笑い声まじりに祝う歓喜の声。
もうひとつは、ごく短期間のうちに農民蜂起を鎮圧したヒルデガルド将軍の武才に驚き、その勝利と凱旋に落胆し、嘆き、心の底から残念がる声である。
そんな悲喜こもごもの声が交錯する中、僕は式典開催のために奔走していた。城に勤める侍従官や女官を総動員し、カルマン殿下やダイトン将軍ら文武の重臣たちに急使を送って登城を要請させる一方、謁見の間に装飾をほどこさせるなどして参列者たちを迎える準備をさせたのだ。
急すぎる登城命令をうけて、重臣や貴族たちが愚痴まじりに息せききって城に駆けつけてきた頃にはすでに夜になっており、ことのついでに僕も疲労のあまり口から泡を吹きかけていたのだが、それでもわずかに残る気力体力をかき集め、すばやく湯浴みを済ませて正装に着替えると報告のためにフランソワーズ様の寝所に向かった。
僕が部屋を訪れたとき。フランソワーズ様はすでに湯浴みを済ませていたらしく、バスローブ姿でソファーに座りながら女官たちに濡れた髪の手入れをさせていた。さらにその周囲に控えている女官たちの手には、式典で着用するドレスやティアラなどがすでに用意されていた。
ともかくその傍らにまで歩を進めると、僕は一礼の後に報告をした。
「陛下、式典の準備が整いました。現在、重臣の皆様、ならびに各貴族の方々、謁見の間に参集しつつございます」
「ずいぶん時間がかかったじゃないの。エリート侍従官の名が泣くわよ、ランマル」
「は、はい。申し訳ございません……」
開口一番、慰労の言葉どころか、いきなり欠伸まじりの嫌みが飛んできたのでさすがの僕もむかっ腹を立てたが、ローブの胸元からはだけて見える圧倒的ボリュームのスイカップが目に止まるやいなや、そんな怒気も一瞬にして吹き飛んでしまった。
どうやら人並み外れた巨乳には、怒気や苛立ちといった「負の感情」を鎮める視覚効果があるようだ。
これは機会があれば母校の王立学院あたりに、「研究題材としてどうですか?」と推奨してみるのもいいかもしれない。
僕がフランソワーズ様の大迫力バストに圧倒されている間にも、そのフランソワーズ様の準備も女官たちによって手際よく進められていた。整髪し、化粧をほどこし、純白のドレスに身をつつみ、指輪をはめ黄金のティアラを頭上にいただく。
わずか半刻ほどで、たちまち美と威厳を兼ねそなえた女王陛下に変身を遂げたフランソワーズ様は、女官が差しだしたグラスの冷水を一気に飲み干すと僕に向き直り、
「さあ、いくわよ、ランマル」
「はっ!」
フランソワーズ様と僕は執務室を出て、城の謁見の間に向かった。
なお、執務室を出てから謁見の間へと続く過程と、広間に入ってからのフランソワーズ様の態度と台詞、それに対する参列者たちの表情と心情といったものは前の国議のときと同じなので、そこまでの描写はあえて割愛させてもらうのであしからず。
さて、舞台は整った。あとは本日の主役の登場を待つだけだ。
「フェニックス騎士団長ヒルデガルド将軍!」
進行役の式部官が甲高い声で名を呼ぶと、楽奏隊のラッパの音に呼応するように広間の扉が開き、奥から甲冑姿のヒルデガルド将軍があらわれた。甲は着けておらず、露わになっている光沢の美しい長い黒髪が歩を進めるたびに背中で左右に揺れ、それがまたこの女騎士の凜とした美しさをひきたたせていた。
そのヒルデガルド将軍は、参列者たちのさまざまな感情が入り乱れる中を武人らしくきびきびとした歩調で通り抜けると、階の下にやってきたところでうやうやしく片膝をついた。
その姿を見やりつつ、玉座のフランソワーズ様が微笑する。
「ヒルデガルド将軍。こたびの蜂起農民の鎮圧、まことに見事です」
「恐れ入ります。ひとえに女王陛下のご威光の賜物にございます」
膝をついたまま低頭するヒルデガルド将軍に、さらにフランソワーズ様が賞する。
「騎士団長就任間もない身でありながら、ごく短期間の内に蜂起を鎮圧した手腕は見事というほかありません。よくぞ三日で乱を鎮めましたね」
間もないとか、短期間とか、三日とか、フランソワーズ様がことさら「時間」を強調しているのは、むろん思惑があってのことだ。
ただたんに鎮圧に成功しただけではなく、「所要時間」を強調することでヒルデガルド将軍の有能さや功績の凄さ、なによりそんな将軍を抜擢した自分の見識の高さというものを参列者たち――とくに不満分子たちに――思い知らせようとしているのだ。
実際、それは効果をあらわしているようで、ダイトン将軍ら不満分子派の武官たちは皆、苦虫を五匹ほどまとめて噛みつぶしたような渋面を浮かべている。
あの表情から推察するに、ヒルデガルド将軍を賞揚するフランソワーズ様の言葉に、自分たちへの嫌みや皮肉が含まれていることにさすがに気づいたらしい。ま、気づいてもらわなくては式典を開催した意味がないのだが。
一方、階の周辺ではいまだ女王の賞賛の声が続いていた。
「このフランソワーズ、そなたの武才にはあらためて感心いたしました。現地での戦いにおいてどのような手法をとったのか、ぜひとも教えてもらいたいものですね」
「恐れ入ります。じつは農民たちの説得に成功いたしまして」
「……説得ですって?」
その瞬間、フランソワーズ様の語調が微妙に、だが確実に変わったことにどうやら気づいたのは参列者中、僕だけのようだった。
聡明なヒルデガルド将軍も気づかなかったようで、そのまま淡々と語をつないだ。
「はい。相手がいかに農民といえど、蜂起した時点で死を覚悟したいわば死兵。正面から激突すれば農民側はむろんのこと、わが騎士団側にも犠牲者がでることは必至。それを避けるため、私が自ら彼らの代表者のもとを訪れ、和睦を提案しました。即座に武装解除して降伏すればこちらも攻撃を中止し、蜂起の罪も問わない。また王城での陛下への直訴の機会も与えると伝えたところ、彼らはたちどころに武器を捨てて降伏してきました。以上が、現地での顛末にございます」
ヒルデガルド将軍が説明を終えると、たちまち参列者の間に感嘆のざわめきが広がった。
それも当然だろう。蜂起した農民たちのもとを自ら訪れるその勇気もさることながら、双方に犠牲者をだしたくないという一念から和睦をはかった優しさといい、彼らを説得して降伏に導いた交渉力の高さといい、どれひとつとっても凡人の成せる業ではない。
ヒルデガルド将軍の凜とした気品のある美しさも、農民たちを軟化させた一因であったことだろう。結果として双方に無益な犠牲者を一人としてだすことなく乱を鎮めたのだから、これはもう参列者たちが感嘆するのも当然である。
これが鎮圧を命じられたのがダイトン将軍あたりだったら、そのいかつい顔と高慢な態度もあいまって、農民たちの反発と戦闘意欲をさらに刺激して全面衝突に発展したであろう。もっとも、あのヘタレなコウモリ将軍には敵のもとを訪れる度胸もなければ、降伏を勧める優しさもないだろうが。どうせ戦って死ぬのは自分じゃないと思って。
そういう意味においても、ヒルデガルド将軍に鎮圧を命じたフランソワーズ様の思惑は見事にはまった結果となったのだが、しかし、ちらりと玉座に視線を走らせた瞬間、僕はおもわず息を詰まらせてしまった。
それも当然で、なにしろさっきまで上機嫌という言葉を絵に描いた顔つきであったフランソワーズ様が、いつしか不満分子たちのお株を奪う「しぶ面」に様変わりしていたのだ。
いや、あれは「しぶ面」などという生やさしいものではない。あきらかに不快がって、いやいや、すこぶる憤っている顔つきだ。他人には無表情に見えるかもしれないが僕にはわかる。
事実、しばしの沈黙をはさんでフランソワーズ様の口から発せられた声質は、あきらかに先刻までのものとは異なるものだった。
「ヒルデガルド将軍。どうやらそなたは、私の命令をよく理解していなかったようですわね」
「……は?」
一瞬、ヒルデガルド将軍はハッとしたように顔をあげると、たちまち表情を凍らせた。
どうやら彼女も、フランソワーズ様の態度が変わったことにようやく気づいたらしい。
「私は武力をもって蜂起を鎮圧せよと命じたはずです。なぜなら、そうすることで他の地域の農民たちを牽制し、今後二度とこのような不埒な行動に走らせないためにです。それが一戦も交えずに和睦してしまったら、彼らに変な誤解を与えてしまうのではありませんか。蜂起すれば国は、いや女王はわれわれの要求を聞き入れてくれると。そうは思いませんか?」
「は、はい。たしかに……」
返答するヒルデガルド将軍の声は小さく低く、元気もすっかりなくなっていた。それどころか美麗なその顔には翳りのようなものすらあった。
そんな将軍を見やりながら、フランソワーズ様が小さく息を吐きだした。
「まあ、いいでしょう。私のほうも言葉足らずだったかもしれませんし、そなたを責めるつもりもありません」
その瞬間、僕は内心で安堵の息を漏らした。
たしかに農民側の要求を受け入れる形となった和睦という手法は、フランソワーズ様の意に反したものだったかもしれないが、とはいえ結果としてそれが乱を早期に鎮め、犠牲者もださずに収束したのだから、いくら不満があろうとフランソワーズ様としてもここは受け入れるしかないはず。そう僕は思ったのだが、この直後、それがとんだ思いちがいであることを知った。
「かわりに、あらためてそなたに命じます!」
にわかに玉座から立ち上がったフランソワーズ様は、眼下のヒルデガルド将軍に向かってムチの響きにも似た声を投げつけた。




