第一章 女王フランソワーズ一世 その⑩
驚愕のあまりおもわず目玉をむいた僕を、フランソワーズ様が薄笑いを浮かべながら見つめている。
今、自分はどんな顔をしているのだろうかと、僕は思わずにはいられなかった。
「ど、どうしてそのことを……?」
「フフフ。ほんと、お前ほど胸の内が表情にでる人間もいないわね。ちゃんと顔に書いてあるわよ。兄上のことで相談したいことがあるって」
「…………」
「おそらくは、私に話すことで生じるかもしれない問題をお前なりに心配しているのでしょうけど、かまわないわ。すべてを話しなさい、ランマル」
こうなったら、もうしかたがない。観念した僕は洗いざらい話すことにした。
「は、はい、じつは……」
ダイトン将軍らが反女王勢力結集のための旗頭としてカルマン殿下の担ぎだしを考えている。そのことを僕が伝えたとき、それに対するフランソワーズ様はとくに驚いた様子もなく、むしろ予期していたかのように淡々とした態で静かに聞いていた。
おそらくフランソワーズ様の中では想定していたことなのだろうと察したが、それでも僕はおそるおそる訊いてみた。
「それで、陛下は今度の件、いかがされるおつもりなのですか?」
「そうね……」
フランソワーズ様は手にしていた紅茶のカップを静かにテーブルに戻すと、足を組み直してからあらためて僕を見やった。その際、黒いパンツがちらっと見えたのは内緒である。
「お前はどうすればいいと思う、ランマル? 思うところを言ってごらん」
そう問われることを予期していた僕は、声調を整えてから答えた。
「さすれば、今すぐにカルマン殿下にご忠告申しあげるべきかと存じます。かの一党とは距離をおき、いらぬ疑いをもたれないように注意されるべきと」
「それだと七十点ね」
「……七十点?」
なんのこっちゃ? と、意味がわからずきょとんとする僕に、デザートのメロンを頬張りながらフランソワーズ様は語を継いだ。
「考えてもみなさい。今の時点で兄上に忠告したら、せっかくの囮の役が果たせなくなるじゃないの。不満分子たちも兄上に距離をとられたら、妄動するのをやめるかもしれないしね」
「囮……にございますか?」
「そうよ。隙あらば反旗をひるがえそうと考えている小悪党は、まだほかにもいるわ。その種の連中を一網打尽にするにはそれなりの囮、いや、餌が必要でしょう。ちがうかえ?」
「え、餌にございますか?」
「そう、餌よ。そういう意味では兄上は最高の餌になるわね。宰相という地位といい、王族という立場といい、小悪党どもがこぞって群がってくることまちがいなしよ。お前もそう思うでしょう、ランマル?」
「…………」
さすがに僕は答えられなかった。
実の兄をも「餌」に利用して反女王勢力を根こそぎ釣りあげようとする、フランソワーズ様の大胆な策にあ然としたこともあるが、それよりなにより僕が発声の意志をそがれた最大の理由は、フランソワーズ様にある「疑念」を抱いたからだ。
僕が抱いた疑念。それは先の戦いで敵対したカルマン殿下を処断するどころか、逆に大公や宰相といった高い身分を与えたのも、すべては反女王勢力が顕在化してきたまさに今日のような場合、その種の勢力にカルマン殿下を頼らせ、いざというときは殿下ごと一掃するするためではなかったのか?
そう、まさに殿下を「生け贄の羊」とすることで、表立った者はもちろん潜在的な反女王勢力を一人残らずあぶりだし、根こそぎ絶つために……。
「ちょっと、ランマル。私の話を聞いているの?」
ふいに鼓膜を刺激したその声に、僕はあわててフランソワーズ様に意識と視線を戻した。
「し、失礼いたしました。何事でございましょうか?」
「だから、不満分子どもに監視の目を付けておきなさいという話よ。今はまだ小物どもが妄動しているにすぎないからそれほど用心する必要はないけれど、もし連中が兄上に接触をはかるようなことがあれば、こちらとしてもいつでも動けるようにね」
フランソワーズ様の言う「動ける」というのがなにを意味するのか。僕には明白すぎることだったのでさすがにとっさの返答に窮したものの、
「は、はい、かしこまりました。すべて御意にいたします。諜者を動かしてダイトン将軍らを監視させておきます。ただ、その前にひとつ陛下にお訊ねしておきたいことがございます」
「なにかえ?」
「もし……もし万が一にも、カルマン殿下が不満分子たちに担ぎ出されたときは、陛下はいかがされるのですか?」
そう僕が問うと、フランソワーズ様は一瞬、形よく整った眉をぴくりと反応させたものの、
「そのときは、兄上に軽挙な行動に加担した責任を取ってもらうしかないわね」
「……それはつまり、殿下に死をもってあがなわせるということでしょうか?」
「そうよ」
と、端的に答えるその様に、悲壮感らしきものはかけらもない。
かくも容赦のないことを平然と口にできるあたりが、この女王様の真骨頂であろう。
他方、そんなフランソワーズ様ほど神経が太くない僕は、どう応じていいのかわからずに沈黙を守っていたのだが、フランソワーズ様は紅茶の入ったティーカップをふたたび手に取ると、僕を見つめながら語をつないだ。
「お前の言いたいことはわかるわ。同じ王族、しかも自分の兄にそこまで容赦のないことをする必要はないのでは。そう言いたいのでしょう?」
自分が容赦のないことを言っていることは、とりあえず自覚しているらしい。
「でもね、ランマル。王位をこの手にしたときから私はもはや王家の一員ではなく、オ・ワーリ王国の君主になったのよ。お前にならわかるでしょう、この意味が」
「え、ええ、もちろん……」
と、僕は首肯してみせたのだが、正直なところフランソワーズ様の言う「この意味」というのがどういう意味なのか、皆目見当もつかなかったのだが、しかし、そこは主席侍従官という立場にある身。ここは理解したフリをしておくのが賢者の知恵というものである。
「まして信賞必罰は治世の根幹よ。それを身内の情なんかでないがしろにしたら、とても一国を統治することなんてできないわ。ちがうかえ?」
「ぎょ、御意……」
身内への「情なんか」か……。そこまではっきりと言われては、これ以上、他人の僕が口をはさめることではない。それに信賞なんちゃらはともかくとして、情より理を優先するフランソワーズ様のお考えは統治者の姿勢としてたしかに正しいと僕も思う。
しかし、正しいからといって、それが人々の共感や支持を得られるかはまた別問題である。むしろ、その正しさゆえに反発や憎悪を買うことだってあるのだ。それが度をすぎた非情さや苛烈さをともなうものであればなおさらだ。
この正しくも容赦のない思考性がこれから将来、フランソワーズ様にとって吉と出るか凶と出るのか。神ならざる身の僕には、むろんわかるはずもなかった。
僕がそんなことを考えながら食後の紅茶をちびりちびり口にしていると、お側付きの女官が一人、フランソワーズ様の傍らにやってきた。
「お食事中のところ失礼いたします、女王陛下」
「どうしたのかえ?」
「たった今、ヒルデガルド将軍が国都にご帰還されました。将軍におかれましては任務の報告をされたいと、陛下への謁見をお求めになられております」
「……そう、ヒルダが帰ってきたの」
女官の報告にフランソワーズ様はしばし黙して何事かを考えていたが、
「わかったわ。ヒルダには騎士団の屯所でしばらく待機するように伝えなさい。こちらから迎えの使者を送るまでね」
「かしこまりました。将軍にはそのようにお伝えいたします」
一礼して女官が去ったのをみはからい、僕はフランソワーズ様に疑問を向けた。
「あの、陛下。ヒルデガルド将軍とすぐにお会いにならないのですか?」
「そうよ。ただ報告をうけるだけじゃ芸がないからね」
「と、申されますと?」
「今度のヒルダによる不平農民どもの早期鎮圧、利用できると思わない? 宮廷内の不満分子どもを牽制するためにね」
いまひとつ言葉の意味がわからず僕が沈黙していると、そんな僕に気づいたのか、意味ありげな微笑を浮かべてフランソワーズ様は自ら意図するところを語りだした。
「つまりこういうことよ。私が将軍に抜擢した人間が不平農民の鎮圧という功績を挙げた。それも実質三日という短期の内にね。この事実を不満分子どもに突きつけてやるのよ。それも大々的な式典の場でね。そのとき連中は嫌でも思い知るでしょうね。ヒルダたち新任の騎士団長の才幹と、なにより彼女たちを抜擢したこの私の慧眼をね」
「な、なるほど!」
フランソワーズ様の一語で、僕はようやくその思惑を察した。
異例の大抜擢をうけた新任の、しかも女性の騎士団長が着任早々、不平農民の討伐という功績をたてた。それも驚異的な早さで。
この額縁付きの「実績」を突きつけられたとき。たしかにフランソワーズ様が言われるとおり、ダイトン将軍ら不満分子のお歴々は否応なく思い知ることであろう。ヒルデガルド将軍の卓越した武才と、なにより彼女を登用したフランソワーズ様の見識をだ。
そのとき彼らは女王に対する嫌悪の念はどうあれ、もはや不平の口を閉ざして沈黙せざるをえなくなるだろう。結果としてそれは、フランソワーズ様の権力基盤の強化につながるわけというわけだ。むろん、そこまで計算してヒルデガルド将軍に農民討伐を命じたにちがいないから、これはもう恐れ入るとしか言いようがない。
「たしかにダイトン将軍たちは閉口せざるをえないでしょう。いや、陛下のご深慮、恐れ入りました」
フランソワーズ様はふてぶてしいほど落ち着いた微笑で僕の賛辞を受けとめると、
「ランマル、式の手配はお前に任せたわ。派手なやつを頼むわよ」
僕は椅子から立ち上がり、軽く低頭した。
「はっ、かしこまりました。今から準備を進めれば、明日の夜には式を執りおこなうことができるでしょう」
「なに言っているのよ。式典は今宵やるのよ」
「はっ、今宵でございますね。しかと承り……えっ!?」
一瞬、僕はぎょっとしてフランソワーズ様に向き直った。優美と称するに足る態度で紅茶をすする姿がそこにあった。
「こ、今宵と言いますと、つまり、今日の夜という意味でしょうか?」
「辞書を引けばそうでるんじゃない」
そう言ってフランソワーズ様は愉快そうにケラケラと笑いだした。
まったく、なにがそんなに面白いのかさっぱりワカラン。
こっちはメラメラと燃えあがりそうな殺意を抑えるのに必死なのに。
「し、しかし、陛下。式典ともなりますと宰相閣下ら重臣の方々や、おもだった貴族たちに登城の通知を送らなければなりませんし、その数はゆうに三百人を超すわけですからして……」
ようするに「今夜じゃ時間がぜんぜん足りないんだよ!」と、僕は遠まわしに訴えてみたのだが、それに対するフランソワーズ様の返答は簡にして要をえて、なにより無責任をきわめていた。
「それは、お前のほうでなんとかしなさい」
「な、なんとかと申されましても……」
「善は急げと言うでしょう。それに功績をたてたヒルダをいつまでも屯所に待たせておいたら気の毒じゃないの。ちがうかえ?」
将軍を待たせるのは気の毒で、僕にムチャを押しつけるのは気の毒じゃないんですか?
ええ、気の毒じゃないんですよね。はい、わかってますって。
「わかったわね、ランマル。式典は今宵やるのよ」
「は、はい。かしこまりました……」
僕が脱力感全開の態で応じると、フランソワーズ様はにこりと笑い、
「じゃあ頼んだわよ。私はそれまでひと眠りするから。準備ができた頃に起こしてくれればいいわ」
どうせなら永眠しやがれってんだ、この横暴女王め!
胸の中で毒づき、ことのついでに脳裏でフランソワーズ様の横っ面に往復ビンタを十発ほどくらわせた僕は、底知れないむなしさを自覚しながら自分の執務室に戻っていったのである。




