第一章 女王フランソワーズ一世 その⑧
「それで、昨今の農民たちの蜂起にミノー王国が関与していることが事実だとして、陛下はいかがされるおつもりなのですか?」
「そうね……」
そう言ったきりフランソワーズ様は沈黙し、手にするティーカップ内の紅茶を軽く回していたが、それも長いことではなかった。
「まあ、ミノー王国に関しては私も性急に結論を出す気はないわ。農民たちの蜂起も鎮まったことだし、なにより今はほかに優先しなければならないことがあるしね。しばらくは静観することにするわ。それよりも……」
そこでフランソワーズ様はふいに話題を変えた。
「ランマル。お前、今宵なにか予定があるかえ?」
「えっ、今宵ですか?」
唐突に問われ、僕はとっさの返答に窮したが、
「いえ、今宵はこれといって用事はありませんが」
あんたが思いつきの急な仕事を押しつけなければね。僕は胸の中でつけくわえた。
「よろしい。ではクレイモア伯爵の屋敷に赴きなさい。馬車を用意させるから」
「クレイモア伯爵の?」
「そう。今宵、伯爵の屋敷で例のパーティーが開かれるわ。名目は伯爵家当主就任二十一周年を祝うということになっているけれどね」
「パーティーというと、例の糾弾会ですか?」
「そうよ。どんな面々が参加してどんなことをのたまっているか。実際にお前の目と耳で確かめておいで」
なるほど、そういうことね。僕は得心したが、一方で疑問もある。
伯爵の屋敷に赴くのはいいとして、僕のような女王の側近として知られている人間がパーティーに参加したところで、彼らだってバカじゃないんだから警戒して誰も本音など語ろうとはしないのではないか。つまり屋敷を訪れてもなんの意味もないのだ。
そんな簡単な理屈がわからないフランソワーズ様ではないはずなのだが、まあいい。
城にいたらまたなにかとムチャな仕事を押しつけられる可能性もあるし、それなら伯爵の屋敷で料理を愉しんでいたほうが精神衛生上いいというものだ。
ともかく僕はソファーから立ち上がり、うやうやしく低頭した。
「わかりました、陛下。ランマル、この目と耳でしかと確かめてまいります」
†
で、その日の夜である。
日没直前に王城を発った僕は、フランソワーズ様が用意してくれた馬車で一路、国都内にあるクレイモア伯爵の屋敷を訪れた。その伯爵邸は国都の中心部から西に拠った、椎や白樺といった木々が無数に生え茂る閑静な郊外にある。
城を発って西に進むこと一刻弱。僕の乗った馬車は、高い石塀に囲まれたクレイモア伯爵の屋敷に到着した――はずなのだが、パーティーの参加者と思われる人々の馬車が屋敷の正門から続々と敷地の中へ入っていく中、僕の馬車だけが正門を素通りしてしまったので、不審に思って馭者に声を向けた。
「ちょっと、門を通りすぎてしまったみたいだけど?」
「はい。裏門から入るように事前にご指示をうけておりますので」
「裏門から?」
僕にはますます訳がわからない。だってそうだろう。かりにも僕は女王の命令で来ているのに、その僕に裏門から屋敷に入れとは無礼千万もいいとこである。
ここはひとつ、女王の側近という立場を活用し、屋敷に着いたらクレイモア伯爵を散々なじってやろう。
揺れる馬車の中でそう心に決めていたのだが、裏門から屋敷に入り、使用人や出入りの業者が使うような勝手口みたいなところに乗りつけた直後、そんな怒りや決意もどこかに消えてしまった。
それというのも馬車が停止した場所には、幾人かの家人を従えた屋敷の主人たるクレイモア伯爵が僕を出迎えるためにわざわざ待っていてくれたのだ。
クレイモア伯爵はこの年五十歳になる、痩身で半白髪頭の中年の貴族である。
その伯爵。僕が馬車から降りると、およそ大貴族とは思えないほど腰が低いというか、丁重すぎるというか、とにかくうやうやしい態度で僕を出迎えてくれた。
「これはこれはランマル卿。お待ち申しあげておりました」
態度だけではなく声までうやうやしい。こうなると、こちらとしてもさすがに調子が狂い、怒気がそがれるというものだ。
さらに伯爵は語調そのままに、事情を説明してくれた。
「このような場所で、女王陛下の主席侍従官たる御方を出迎えるのは失礼の極みとは思いましたが、なにぶん陛下からも、屋敷への来訪をほかの参加者に気づかれないようにとのご指示がございましたので、やむなくこのような手段をとりました。ランマル卿にはさぞご不快のこととは思いますが、平にご容赦を」
「そうでしたか……」
なるほど、そういうことだったのか。どうりでおかしいと思ったよ。
それにしてもフランソワーズ様も人が悪い。事前に話ができていたのなら城を発つ前に教えてくれればいいのに、なにも話してくれないんだからなあ。ほんと底意地の悪い女王様である。
ま、フランソワーズ様が底意地悪いのはおそらく生まれる前(?)からなので、愚痴ってもしょうがない。とにかく僕はクレイモア伯爵に誘われるままに屋敷の中に入ると、すぐに階段を降りて地下室のひとつに足を踏み入れた。
地下室といってもそこは大貴族の屋敷にある地下室。市井の民家にありがちな、ネズミが徘徊しているような物置代わりの部屋などではない。
僕が通されたその地下室はワインカラーを基調として配色された、重厚さと華やかさを備えた印象の部屋で、天井の位置も高く、広さにいたっては地下室にもかかわらず市井の民家一軒がまるまるおさまるであろう。
そして当然というべきか。室内のいたるところには絵画、彫像、陶器品、さらに大理石造りのテーブルに黒革張りのソファー、厚手の手織り絨毯などが絶妙に配置されていて、豪奢すぎるほどの室内空間をつくりだしている。これで地下室というのだから恐れ入る。
しばし僕は感心したように室内を眺めていたのだが、ふと心づいて伯爵に訊ねた。
「それで伯爵。例の糾弾会というのは、ここでおこなわれるのですか?」
「いえ、彼らが集まるのは隣の部屋です」
「隣の部屋?」
「はい。こちらへどうぞ」
そう言うなりクレイモア伯爵は壁際に向かって歩き出し、ほどなくその前で止まると壁面の一点を指さした。なにやら小さい穴のようなものがそこにはあった。
「この穴には小さなレンズが埋めこんでありまして、こちらから隣の部屋がよく確認できるようになっております。どうぞ覗いてみてください」
言われるままにその穴を覗きこんでみると、なるほど、埋めこまれたレンズでたしかに穴越しに隣の部屋が隅々まで見ることができる。
この地下室と同様、ホールと見まごうほどの広さと豪奢さを備えた部屋で、部屋の中央におかれたビリヤード台級の大きなディナーテーブルがこれまた圧倒的な存在感を見せている。
それはともかく、例の糾弾会が始まるまではまだ時間があるというので、僕は室内のソファーに腰をおろしてそのときがくるのを待つことにした。
もちろん、ただ待っているのではなく、その間にも伯爵家の家人たちが、上階のパーティーで出されているものと同種の料理やお酒を次々と地下室に運んできてくれたので、僕は遠慮することなくそれらをおおいに食べ、かつ、おおいに呑んだ。
仔牛の赤肉のワイン煮、ローストターキー、サーモンマリネ、鴨肉のペースト、メロンのハム巻き、りんごのシャーベット、そして赤白数種類のビンテージワイン。どれもこれも絶品の一語に尽きる料理や酒ばかりである。ま、このくらいの役得がなくては、こんな諜者まがいのことなどやっていられない。
時間にして一刻ほど、僕はそんな充実した時間を過ごしていたのだが、ふいに部屋の扉がノックされたかと思うと、数人の屋敷の家人が地下室に入ってきた。糾弾会に参加する人々が隣の部屋に集結しつつあるというのだ。
僕はあわてて例の覗き穴を覗きこんだのだが、なるほど、たしかに隣の部屋にはすでに幾人かの「不満分子」たちが集まっていた。その数はたちまち五人、十人と増え続け、最終的には二十人ほどが地下室内に集結し、例の巨大なディナーテーブルを囲んでいた。
それにしても、地下室に集ってきた面々はどれも見憶えのありすぎる顔ばかりである。