第一章 女王フランソワーズ一世 その③
グラスを満たすワインをひと口呑み、フランソワーズ様がまたしても薄く笑う。
「まあ、兄上はともかくとして、先の戦いで私と戦った連中のほとんどは表面上は忠誠を誓っているように見えるけど、内心ではいつ私を玉座から蹴落とすか。そんなことばかり考えているのよ。まったく愚かな連中よね。そう思うでしょう、ランマル?」
うかつな返答はできないため、僕はすこしだけ話の角度を変えてみた。
「それにしましても陛下。そもそもそのようなことを考え出されたのは、なにか理由がおありなのですか?」
「お前はクレイモア伯爵という人物を知っている?」
「クレイモア伯爵?」
唐突に問われて僕は返答に窮したものの、すぐさま思考と記憶力をフル回転させて該当する人名と顔を思いだした。
「はい。一応、お名前は存じあげております」
僕の記憶にまちがいなければ、クレイモア伯爵なる人物は最初の内戦ではアドニス王子に加担し、そのアドニス王子が敗死するとすぐにカルマン陣営に身を投じて女王軍と敵対した人物のはずだ。
だが、内戦後にどう処遇されたかまではさすがに知らない。
「それで、その伯爵がなにか?」
「そのクレイモア伯爵の屋敷では、毎月一定の日に、とても興味深いパーティーが秘密裏に開かれているそうよ」
「パーティー?」
フランソワーズ様は小さくうなずき、事情を明かしてくれた。
フランソワーズ様の説明では、クレイモア伯爵なる貴族は毎月一定の日に、自身の屋敷で年代物ワインの品評会なるものを催しているらしいが、それは表向きの顔。実態は国内の反女王派の貴族や将軍らを招き、屋敷の地下室でフランソワーズ様に対する罵詈雑言をかわす「糾弾会」を開いているらしい。
糾弾会というとなにやら物騒な響きがあるが、ようするにフランソワーズ様の下でうだつが上がらない連中がアルコールの力を借りて愚痴を漏らしあい、うっぷんを晴らしているというだけの話だ。
そのような会合が開かれて不愉快なのはわかるが、しかし、とてもフランソワーズ様がいちいち気にされる話ではないように僕には思えるのだが……。
「それにしましても、そのようなことをよくお調べになりましたね。密かに諜者でもクレイモア伯爵の近辺に放っておられたのですか?」
「別に調べたわけじゃないわ。向こうから情報を提供してきたのよ」
「向こう?」
「そう。クレイモア伯爵自身がね」
「はぁ?」
不敬の極み、僕はまたしても間の抜けた反応を見せてしまったが、しかし、これはしかたないだろう。
なにしろ女王の糾弾会を主催している当の貴族が、対象者たるフランソワーズ様に「あなたへの糾弾会を開いていますよ」と自ら告げに来たというのだから。いったいどういうことなのであろうか。
「どういうことでございますか。なにゆえ糾弾会の首謀者たる伯爵が、そのような自身の首を絞めるような真似を?」
「あら、わからないの? 明敏なお前らしくないわね」
「と、おっしゃいますと?」
「いい? そもそもクレイモア伯爵は、私への憎悪で件の糾弾会を開いているんじゃないの。むしろ逆よ」
「逆?」
「そう。会合の場と機会を提供しているのは、すべて潜在的な反女王派の連中をあぶりだすためよ」
「潜在的な反女王派……」
僕はきょとんとしてフランソワーズ様の話を聞いていたが、話の内容を脳内で咀嚼しているうちにようやく話の裏側が僕にも見えてきた。
「……つまり、クレイモア伯爵は自ら反女王派を演じることで、国内の反女王派の人々を罠にかけている、ということですか?」
「罠ねえ……ま、そういう見方も成立するかしらね」
なにやら意味深な一語を口にして、フランソワーズ様はワインの一杯を干した。
僕は紅茶の入ったカップをテーブルにおくと、そのフランソワーズ様を見つめながら語をつないだ。
「しかし、うかつに信じてよいものでしょうか。僕、いや、私にはなにやらキナ臭いものを感じます。そもそも件の伯爵は最初はアドニス王子に与し、次いでカルマン殿下に加担して最後まで陛下に敵対した人物です。今度のことも陛下を追い落とす策謀の一環でなければよろしいのですが……」
するとフランソワーズ様はくすりと笑い、
「用心深いところがお前の美点ね。でも、心配は無用よ。あの伯爵にそんな策謀をめぐらせる知恵もなければ度胸もないわ。あるのは保身と伯爵家の存続、それだけよ。そのためなら同じ貴族ですら<生け贄>にする。正直、ヘドがでる人間だけど、この際、利用するのも一興よね」
「利用すると申しますと?」
「きまっているでしょう。私に逆らう連中を皆殺しにするためによ」
フランソワーズ様の女王らしからぬストレートな物言いに僕は内心で「うっ」とのけぞったが、しかし、先の戦いで敵対した人々がいまだ女王に憎悪や反発を抱いていることがわかった以上、悠長にかまえていたらこちらが皆殺しにされかねない。誰が最初に言ったかは知らないが「先手必勝」とはよく言ったものである。
「それで、陛下はどう対処されるおつもりで? 伯爵の屋敷を憲兵にでも強襲させて、不平貴族たちを一網打尽にでもされますか?」
「そうしてもいいけど、でも、もうすこし高みの見物をしていてもいいと思わない?」
「と、おっしゃいますと?」
「憲兵を動かして連中を捕まえるのは簡単だけど、今集まっている面々だけがすべての反女王勢力とは思えないしね。それに不満分子どもがこれから先どんな行動に出るのか興味もあるし、いますこし静観して楽しませてもらうわ。それよりも……」
グラスのワインを完全に呑み干して、フランソワーズ様は話題を変えた。
「明日、いえ、もうすでに今日ね。とにかく緊急の国議を招集するわ。おもだった重臣や貴族、それに将軍たちを城に集めるのよ。ランマル、お前が手はずを整えなさい」
フランソワーズ様のさりげない、それでいてとんでもない命令に僕は目玉をひんむいた。
「ええっ、きょ、今日ですかっ!?」
「なにか異論でもあるの?」
フランソワーズ様に猛禽類のような鋭く光る目で見すえられた瞬間、僕の「おいなりさん」がキュッと縮んだ気がした。いや、貴族にあるまじき品のなさで恐縮の極みです。
「い、いいえ、ございません。これからすぐに招集文をしたためますです、はい」
「よろしい。では頼んだわよ、ランマル」
そう言ってフランソワーズ様は片手を軽くあげた。退出をうながす合図である。
僕はソファーから立ち上がるとうやうやしく低頭し、そのまま執務室から出ていった。
招集文をしたため、急使の者を呼び集め、彼らに指示を出し、おもだった貴族や将軍に送り届ける。
大半はこの国都内に住居を定めているから連絡をとるのは簡単だが、地方にある自分の領地に住んでいる者もいるから、最低でも夜明け前まで発送の準備をしなければ間に合わない。つまり、僕には寝ている暇などないということだ。
こりゃ、そのうち過労死するな。絶望という二文字を脳裏に思い浮かべながら、僕は自分の寝所へと戻っていったのである。




