(4)
「随分と時間が掛かったようですね。お待ちしてました」
ドアから出てきたアベルと鉢合わせ。どうやらあまりにも遅いので呼びに行こうとしていたようだ。
「あぁ、うん。ごめんね。片付けに手間取っちゃって」
部屋に入ると、テーブルの準備は整っていた。
「うわわわぁ。あの台所にあったものでよくこれだけのものを準備できたものね」
食べきれないくらいのご馳走だ。保存食ばかりの材料だが、それは単にあたしが家でろくに調理をしていないことを意味するのであって、誰のせいでもない。
並べられた皿の中で最も気になったのは団子入りスープだ。根野菜をふんだんに使用したスープと楕円型の団子の相性はとくに良さそうである。見る限りではどう考えてもアベルの腕はあたしよりも上である。ちょっぴり嫉妬したのは内緒の方向で。
「あるだけ全部を使ったら明日からの生活に困るでしょうから、分量は気を付けたつもりですよ。――さ、どうぞ」
アベルがあたしに近い席を勧める。
「あぁ、そんなこと気にすることないのに。どうせあたしはあなたについていくのよ?」
何喰わぬ顔で答えるとあたしは椅子に腰を下ろす。自分の家でこれほどのご馳走にありつけるとは正直びっくりだ。
「まだ私は認めていませんよ」
にこやかにアベルは拒否する。嫌われているというより、かなり警戒されているって感じかな。
「あなたはきっと認めるわ」
「すごい自信ですね」
言いながらアベルは正面の席に腰掛ける。呆れた気持ちが滲む声だったけど、あたしは気にしない。
「まぁね」
「――さあ、どうぞ召し上がれ」
気を取り直し、アベルは声を掛ける。機嫌は損ねていないらしく、やはりにこにことしていた。
「いただきます」
手を合わせ、生きる糧となる食べ物に小さな祈りを捧げる。生きていることに感謝し、食卓に上がるまでに関わった全ての生き物に感謝を。
スプーンを握ると真っ先にスープを口に運ぶ。部屋を満たす香りはこの湯気からだ。
「美味しい! 今まで飲んだスープの中では一番よ」
「気に入っていただけたようで光栄です」
彼はスープと一体になった団子を口に運ぶ。
「こんなふうに向かい合って誰かと食べるなんてどのくらいぶりかしら」
「私も久しぶりですよ」
あたしが思わずしみじみと話すと、アベルは頷く。
フォークで団子をつついて頬張る。モチモチとした食感の団子はなかなかに美味である。野菜の味がしっかり出ているスープにとっても馴染んでいるし。
「――ずっと旅をしていたの?」
対面しながらの食事が久しぶりだというアベルに問う。
「えぇ。成人してからですから、二年くらいでしょうか」
成人として認められるのが十五歳だから、今は十七歳ってことね。あたしの一つ上か。
「独りっきりで?」
「いえ、始めの頃は兄と一緒に各地を巡っていました。独りで旅をするようになったのは最近のことですよ」
――ふうん。お兄さんがいるのね。
「独りで旅をするのって寂しくない? あたしも仕事で町を出ることがあるけど、ひと月もしたらホームシックになっちゃう」
「へぇ……。私は寂しいと思ったことはありませんよ。ほら、傀儡師には人形がいるでしょう? だから」
「そういうもの?」
あたしにはぴんとこないんだけど。
「それよりも、独り暮らしをなさっている人もホームシックにかかるということに驚きです」
「この土地に愛着があるからね。生まれも育ちもこの町だから」
「私には馴染みのない感覚ですね。――そうだ、こんな話を聞いたことはありますか?」
アベルがふいに面白そうに笑む。
「どんな話?」
「エーテロイド職人になることを選ぶ人は空間的充足を求める人で、傀儡師になることを選ぶ人は精神的充足を求める人なんだそうですよ」
「うーん、当たっているともなんとも……」
初めて耳にしたアベルの話は興味深い。面白いことを知っているものだ。旅の途中で聞いたのだろうか。
「――そういうアベルは当たっているって思うの?」
「所詮は迷信ですよ。信じる人には当たっているように思えるでしょうし、信じない人にはどうでもよく思えるんじゃないでしょうか?」
「なにそれ? 答えになってないじゃない。あなたは信じてないの?」
「当たっていると思えないだけです」
言ってアベルは小さく肩を竦める。
「んじゃ、迷信自体は否定しないわけだ」
「でなければ話題にしませんよ」
「それもそうね」
くすっと小さく笑う。こんなに楽しい食事は本当に久しぶりだ。お父さんが亡くなってからはずっとなかったし。
「ねぇ、アベル。料理は誰かに習ったの?」
ふいに問う。
「いえ、独学ですよ。小さな頃からずっと家を出るつもりでいましたから」
アベルはさらりと答える。
「あぁ、お兄さんがいるから? さっきそんなことを言っていたよね」
「きっかけはそんなところですが、私は元から何かを作ることに興味があるんです。――だから、本当は傀儡師ではなく、エーテロイド職人に憧れていたんですよ」
――なるほど、それでさっきの話か。アベルは空間的充足と精神的充足のどちらを求めているんだろう?
そんなことが頭をよぎったからかもしれない。あたしは思わず口走っていた。
「今からでも取れば? エーテロイド職人のライセンス」
「へ?」
まさかそんな台詞が飛び出してくるとは思いも寄らなかったらしく、アベルは食べる手をぴたりと止めてこちらを見つめた。
「確か規定にはないでしょ? どっちかのライセンスしか取得できないなんて」
「いや、そうかも知れませんが……」
「エーテロイド職人の技術も傀儡師の技術も、元を辿れば同じ魔術からきたものでしょう? きっとすぐに身につくわよ」
なんだかすっごく力が入ってしまう。どうしてかしら?
あたしがきっぱりと言い切ると、アベルはくすくすと笑い出す。
「アンジェリカさんって面白い人ですね」
本当に愉快そうに笑っている。それでも遠慮がちに思えるけども。
「さりげなくバカにしてるでしょ?」
少しむっとして言うと彼は首を横に振った。
「いえいえ。私なりに誉めているつもりなんですよ。こんなに笑うのは久々で」
ちょっと腹が立ったけど、そういうならここは大らかに対応しておこう。
「――それより、あたしのことはアンジェって呼んでよ。呼びにくいでしょ?」
「いえ、そんなことはありませんが。――お嫌いですか?」
笑うのをやめて聞き返すアベルの問いに、あたしは首を振って否定する。
「みんな、アンジェって呼ぶから、なんか不思議な感じがして」
そう答えると、アベルはしばし考えるように黙り込み、少ししてにこりと笑んだ。
「わかりました。私にとってあまり馴染みがありませんが、呼びたい時にはそうお呼びしましょう」
「いや、そうかしこまらなくっても……。――そだ、あたしはあなたのことをアベルって呼んでいるけど、構わないの?」
「何をいまさら」
アベルは小さく吹き出し、声を出して笑う。さっきの笑い声よりもずっと大きい声で。
――むう、そんなに笑わなくっても……。前言撤回。
「だって、あれほどまでに権力を握っているクリサンセマム家の人間だし、あたしより一つ年上だし……」
小さく膨れて呟く。顔も赤くなっているはずだ。
するとアベルはきょとんとした。
「あれ? 一つ下? てっきり私より上かと……」
「えぇーっ! ショック! あたしは十六になったばかりなのよっ!」
ぼそっと呟かれたアベルの台詞にダメージを受ける。――そんなぁ、あたし老けて見えるわけ? 苦労のし過ぎ?
「あぁっえっと……とても落ち着いていらっしゃるからそう感じただけでして……あの……聞いてます?」
聞こえているけど、返せるだけの元気は残っていない。――十六っていったらね、繊細で微妙な年齢なのよ。傷つきやすいんだからっ。
「……だから、誤解なさらないで下さい」
「……わかった、あたしが呼び捨てにしているのが嫌だったんでしょう?」
視線に憤りを込めてじっと睨む。
「その反対ですよ」
ふっと、アベルは優しげに笑んだ。
「?」
「あなたみたいに対等に扱って下さる方は今までいなかったものですから、とても心地よかったのです。――そんな呼び方一つで機嫌を損ねるような子どもでも狭量な心の持ち主でもないつもりです」
彼を包む空気が穏やかで、慰めるために急ごしらえで作った台詞には思えなかった。
――対等な扱いが心地よい? あたしには理解し難い感覚だ。
「ですから、遠慮なくあなたはこれまでどおりに呼んで下さい」
にっこりと微笑む。だけどそれはどこか寂しげに見えた。――友達、いないのかな?
うまい台詞が浮かばなくって、戸惑いの気持ちのままアベルを見つめる。どんな言葉を掛ければ、彼の孤独に触れることができるんだろう。彼が意識していないのであろう寂しさを、どうしたら拭い去ることができるのだろう。
――うん、どうであれ、あたしはアベルを放っておけないわ。絶対に同伴することを認めてもらわなくっちゃ。
ようやっと、あたしは頷くことでアベルの申し入れに答える。彼が見せたほっとするような表情が心に引っかかった。
「――そうだ。おかわりはいかがですか? まだたっぷりありますよ」
アベルは急に話題を変える。彼が指したあたしのスープ皿はいつの間にか空になっていた。
「ううん。もう充分だわ」
気を遣わせていることに気が付いて、あたしはそれまでの笑顔を取り戻す。
――アベルのそばにいたい。
すっと心に湧いた気持ちに自分なりに納得する。あのときは一目惚れだなんて言葉でごまかそうとしたけど、ひょっとしたら本当に一目惚れしていたんじゃないかしら。あるいは、そう言ってしまったばかりにそんな気分になってしまったか。
だけど、確かなことが一つだけある。それは、彼が彼だからこそついて行きたいと思ったという事実。これだけは信じてもいい。
「――あ、やっぱり少し欲しいな」
あたしは考え直しておかわりの催促をすると、アベルはにこにこしながら「じゃあ、すぐにお持ちしますね」と言って皿を持って出ていった。
そのあともいろいろな話をして笑い合った。二人きりの賑やかな食卓。こんな時間も悪くない。
そんな感じで楽しい夕食の時間はあっという間に過ぎていった。