(5)
「ったく、良い身分だな、カイルは」
キースは視線をアベルに合わせる。
「――さてアベル君。君は復讐するつもりはあるのか? 生憎、俺はあんたらをいまだに恨んでいる。理由がどうであれ、協会がこの症状を公表しないなら、死をもって償うくらいの覚悟を求める」
「復讐するつもりも、隠し通すつもりもありませんよ」
アベルはつかつかとキースに歩み寄り、消えた右腕の先を見つめた。
「なんだって?」
「明後日、私はクリサンセマム家の次期当主の権利を譲り受けるために式典に出ます。そこでエーテル乖離症の事実を、その資料とともに公表するつもりです。これで各地で行われている陣魔術復権の運動には変化が生じることでしょう。その場にはアンジェも同席してもらうつもりです」
キースが驚いた表情であたしを見る。
「なるほどな。部屋にあったドレスはそのためのものか」
あたしはキースに頷いて見せる。しっかりと彼の目を見つめた上で。
「……ついに動き出すか。そりゃ嬉しい話だな。立ち会えないのが残念だ」
言って彼は表情を苦痛で歪ませた。
「何を言っているのよ」
心音が大きくなる。キースの額には汗が浮かび、頬には流れたあとが残っていた。
「もう持ちそうにない」
息がわずかだが上がっている。キースは無理をして平気なふりをしているのだ。
「……ごめんなさい」
励ましの言葉なんて言う資格があたしにはない。
「君は悪くない」
キースは首を横に振る。
「お母さんがかけた魔法が解けたのは、あたしが解除魔法を使ったからなんでしょう?」
あんなに泣いたのに、また視界が歪んでしまう。
「……違う」
彼はそう答えたが、それが嘘だとあたしには思えた。――解除魔法を使用した直後に感じた疲労は今まで経験したものよりもはるかに激しかった。確かにあの部屋には複数の陣が展開されていたけれど、見える範囲に展開されていたものだけではそれだけ消耗するようには思えなかった。あたし自身の身体に刻まれた陣を一時的に無効にしてしまうほど解除魔法は強力だったが、それにしては計算が合わない。だからお母さんが施した肉体の時間を遅らせる魔術を誤って解除してしまったのなら、あたしが寝込んでしまったことにも納得がいく。
「あたしは……あなたを救えない」
「気にするな。これから俺みたいに命を落とす可能性のある人間を一人でも多く救うべきだろう? こんなところで泣いている場合じゃない」
あたしの頬を伝う涙をキースは左手で拭う。
「お母さんが命をかけて救おうとした命を……あたしは奪ってしまったんだわ。あたし、そんなことに気付かなくって……」
「――人間は生きている以上、必ず死ぬ。カイルも言っていたな。あの魔術を解くことができない限り、俺は死ぬことができなかった。もはやその時点で生きているとは言えなかったんだよ。気にするな。あの魔術を解いた君は、すでにベス以上の才能を持っているってことだ。期待している」
キースはそう言うと、あたしの頬に口付けをして一気に飛び退いた。
「アベル君。君にも期待しているよ。カイルが命をかけて選んだ人間だ。必ず解決させてくれ」
「あなたはどこに行くつもりですか? そんな身体で」
アベルはあたしを支えると、去ろうとしているキースに声を掛ける。
「過激派の連中に報告をな。式典まで休戦しろと伝えておくよ。だから――くれぐれもしくじるな」
そう言い残し、キースは去った。彼の後姿はどこかほっとしているかのように見えた。
「――今日は泣いてばかりですね」
アベルはあたしを引き寄せて抱きしめる。
「だってキースさんに止めをさしたのはあたしなのよ?」
あたしはアベルの胸に顔を埋めて呟く。
「ですが、あれは仕方がなかったことではありませんか。もしあなたがあのとき解除魔法を使わなかったら、おそらくここに私はいませんよ」
「でも……あたしが彼に会っていなければ、もっと別の形で出会っていたら、こんなことにはならなかったのに」
「仮定して話すのはお互いやめませんか? そんな話は不毛です」
あたしは顔を上げる。視界が歪んでしまって、アベルの顔はよく見えない。
「あなたがすべきことはなんですか? 目的を見失ってはいけません。失われた命たちに失礼です」
「だけどあたし、耐えられないよぉっ」
「だから私があなたのそばにいるのではないですか」
言って、アベルはあたしの唇に自分の唇を重ねた。
「私を信用できませんか? 私じゃ力不足でしょうか?」
「アベル……」
胸が高鳴る。
「――キースさんが言っていたことはほぼ事実ですよ。
私はあなたを殺すつもりで人形屋を狙いました。ですが失敗してしまった上に、あなたは私を助けてくれた。そのときはっとしましたね。私は何を考えていたのかと。考え直し、出直すべきだと思いました。なのにあなた、私を解放してくれなかった。かなり焦りましたよ。私の胸のうちを知られてしまったのではないかと。その上で何かを企んでいるんではないかと。
――でもそうではなかった。あなたがクリサンセマム家との付き合い方に悩んでいることを知りました。あなたが苦しんでいることを知りました。あなたが憎むべき相手ではないとわかりました。
それだけではありません。あなたは私を一人の人間として対等に扱ってくれました。私のことを友達だと言ってくれました。命を懸けて守ってくれました。だから惹かれたのです。
――私はあなたのパートナーにはなれないのでしょうか?」
――そっか。そうだったんだ。
キースに襲撃されたあと、急にアベルの態度が変わったからどうせあたしを利用するためなんだろうと思っていた。なんとしても式典を成功させる必要があったから。それにあたしは彼について行こうとして、その気もないのに言い寄っていたから余計にそう感じた。
だけどそうじゃなかったのだ。アベルは本当に、パートナーとしてそばにいてほしいと思っていたのだ。
――なのにあたし……信じることができなかった。ごめんね。もう、大丈夫だから。
あたしは一生懸命に首を横に振る。
「あなた以外にパートナーは考えられないわ」
――アベル以外にふさわしいパートナーなんていないじゃない。どうしてそんなことがわからないのよ。
「ならばそろそろ笑顔を取り戻して下さい」
「これは嬉し涙よ」
拭っても拭っても次から次にあふれてくる。
「あなたが泣かせたんだからね。責任取りなさいよ」
「そんなことを言うなら、私の部屋まで連れて帰っちゃいますよ?」
「つまらない冗談だわ」
「本気だってところ、見せてあげましょうか?」
アベルはくすっと小さく笑うと、いきなり軽々とあたしを抱き上げた。
「わっ」
「知りませんよ、私」
抱き上げたままアベルは屋敷に向かって歩き出す。
「あなたのことだから、おとなしく部屋に送ってくれるはずだわ」
「さて、どうしましょう」
あたしが強がって言うと、アベルは意地悪そうに笑んだ。――な、なに? 本当に部屋まで連れていくつもりなの?
「あ、あたし歩くっ! 自分で歩けるもん!」
「おとなしく抱き上げられたままでいて下さいよ。何を照れているんです?」
「お姫様だっこなんて恥ずかしいわよ! 下ろしてってばっ!」
「下ろす前に、その泣き顔をどうにかして下さい。まるで私が泣かせたみたいじゃないですか」
ばたばたするあたしを制してアベルは諭す。あたしは言われておとなしく彼に抱き上げられたままでいることにした。
「ごめん……」
「わかってくださったならそれでいいんです」
あたしたちはその状態のまま屋敷に戻った。




