(1)
あたしの期待は裏切られなかった。
アベルとの夕食後に部屋に戻ると、机の上に一通の封筒が置かれていた。表に宛名はないし、差出人の名もない。どうやら直接ここに届けられたらしい。裏の封がしてある部分には特殊な魔法陣が描かれていた。確かこの陣は封が切られたかどうかを術者に知らせるものだったと思う。こんな陣を使いそうな人はそうそういない。
「さすがに連絡を取りにきたか」
あたしは迷わず封筒を手に取り、封を切った。
中に入っていた手紙には几帳面な文字で用件だけが書かれていた。
――話がしたい。今夜、外に出られないか。
名前がここにも書いてなかったのだが、よく考えてみたらあたしはあの男の名を知らないのだ。あろうがなかろうがそこに違いはない。
「……丁度あたしも用事があるの。その誘い、乗るわ」
廊下が静かになるのを見計らって外に出る。こんなとき夜目が利くというのは便利だ。ランプを持って出たりしたら目立ってしょうがないもんね。
表玄関には人の気配があったのであたしは庭に出る扉から外に出てきた。空には星が散らばっている。とても静かに感じられるのは通りに面した場所じゃないからか。風の音、虫の声、木々の囁きが空気に混じる。
――さて、意外とあっさり外に出てこられたけど、何処に行ったら会えるのかしら? 部屋に手紙が置いてあったくらいだから、少なくとも街の中にはいるんだろうけども。
なんの当てもなかったので、そのまま庭でぼんやりと空を仰いでいた。こんなふうにのんびりと星を見るのも久し振りで、風で運ばれてくる花の香りにはとても気持ちが安らいだ。たくさん泣いてすっきりしたというのも多少は関係しているかもしれない。
アベルはあたしが泣いた理由を結局訊こうとはせず、黙ってそばにいてくれたんだけど、でもあの様子からすれば薄々感付いているのかもしれない。なんとなくそんな気がする。
「――あたしを外に呼び出しておいて、アベルを襲撃したりしたら許さないんだからっ!」
ふとした思い付きを呟いてみて頬を膨らませる。もちろん、そんなことがないようにこちらもこちらで準備している。なんせここは首都フェオーセルにあるクリサンセマム邸。簡単に落とされちゃあ恰好つかないでしょ?
「……それは考えてみたんだがな。見送ることにしたのさ」
声はあたしの真後ろから。茂みの中からあの夜の襲撃犯が現れた。あたしは反射的に身構えるが、相手から殺意は感じられない。
「かなり丸くなったものね。嵐の前の静けさみたいなものなのかしら?」
「さあね」
闇に紛れるには丁度良い黒い髪黒い瞳の青年は肩を竦める。衣装も黒っぽい色で統一されていた。アベルとは真逆だ。だってアベルの場合、頭の天辺から爪先までほぼ真っ白だからね。体格も正反対だし。
「――さて、アンジェリカ、君は本当に俺たち側につくつもりはないのか?」
雑談はさっさと終わり、男は本題に入る。声色も真剣さが増していた。
「気持ちは揺れていたんだけど、お生憎様ね」
答えならもう決まっている。あたしは式典で自分の思いを述べる約束をしていた。その内容は誰にも知らせていない。それでも構わないとアベルが答えたのだから、式典のプログラムにはあたしが何かを語る機会が組まれているはずだ。
「それは君が女だからか?」
あたしが答えるとすぐに男は問う。
「どういう意味よ?」
変な質問をしないでほしいものだ。
「好きなんだろう? アベル=クリサンセマムを」
「そんな個人的なこと、あなたに教える義理はないわ」
ついさっき気持ちを伝えたばかりだ。そんな大切なことを他人に言えるわけないじゃない。
つんとした態度で返すと男は切り札とばかりに重大なある事実を持ち出した。
「――彼は君を殺すつもりで近付いたんだぞ。それをわかっていての台詞か?」
――わかっている。そんなこと言われなくたって気付いていた。
アベルがあたしの人形屋を半壊させたあの日、なんで店に突っ込んだのか聞いたが、彼はしれっと嘘をついた。操作ミスだと。怪我をして匿っていた間彼は疲れた顔をして眠っていたから一瞬騙されそうになったけれども、彼の言い分には無理があるのだ。何故なら彼は腕の良い傀儡師で、あの人形は安全装置がしっかり働く質のよいものだから。
「そうじゃないかって疑っていたわ。だってあたしはこれでもエーテロイド職人なのよ。そんなこと、アベルと一緒にいれば自ずとわかることよ」
つまり――故意に操作しない限り、あの人形は落下しない。
「じゃあどうして?」
「恋とは突然落ちるものだからじゃない?」
「冗談で片付く問題じゃないだろうが」
「……あなた、つまらない男だって言われたことない?」
真顔でそんな台詞を返さないでちょうだい。真面目な話の途中でふざけたことは悪かったけどさ。
「ほっとけ」
――あ、身に覚えがあるんだ。
男は一度視線を外したが、再びあたしに合わせる。
「――殺しに来た人間のそばにいられるとは到底思えないな。そんな人間を許し、信じることができるものか?」
それはもう体験済みだ。あたしはアベルを好きだと自覚しつつも、いつか彼が裏切るのではないかと不安で仕方がなかった。また互いを想っていたとしても、あたしが彼を裏切ってしまいそうで怖かった。だからあたしはこの想いを伝えるのを躊躇したのだ。傷つけたくなかったから、傷つきたくなかったから。
――どうだろう? あたしはアベルを信じられるだろうか。
「…………」
「彼は君を利用したいだけだ。騙されるな。君にはやらなければならないことがあるだろう?」
あたしが黙りこんでいると、ここぞとばかりに男は畳み掛ける。
「……そうね」
あたしにはやらなければならないことがある。これはほかの誰にも代わってもらえない。
「まだ間に合う。俺と一緒に来ないか?」
「……だけどそれはあなたも同じでしょう?」
にっこり笑って言ってやる。あたしの切り札。
「あたしがすべきことは誰かを恨んだり憎んだり傷付けたりすることじゃないわ。もっと建設的なことをするべきよ」
「綺麗事を抜かすな、アンジェリカ。君はまだ社会を知らないからそんなことを言えるんだ。もっと世の中を知るべきじゃないか?」
怒りが声に混じっている。迫力があってかなり恐い。――でもあたし、負けるわけにはいかないんだ。
「そりゃああたしはまだまだ未熟者だけど、だからと言ってあなたの言葉をそのまま受け入れるわけにはいかないわ。こっちにも事情があるんだから!」
「クリサンセマム家のせいで君の母親は死んだんだぞ! 俺が言ったことを忘れたのか?」
「忘れてなんかいないわよ! だからわざわざ『エーテラーナ』『アストララーナ』を見にここまで来たんじゃない!」
「!」
男の持つ空気が変わった。




