(3)
「お父様……!」
そこには、エーテロイド協会の制服が豪華になったみたいな衣装に身を包んだ四十歳前後に見える男性とテンが立っていた。アベルがお父様と呼んだその男性はにっこりとあたしに微笑んだ。
「ようやくここにたどり着いてくれたようだね、アンジェリカさん。――私はクリストファー=クリサンセマム。アベルの父親であり、現在エーテロイド協会会長を務めている。あなたに会うことをずっと楽しみにしていたよ」
「はっ初めまして。お世話になっています」
――はて、楽しみに?
あたしは緊張のあまり舌を噛んでしまったが、なんとか言いきって頭を下げる。この人も見るからに雰囲気が違うんだが。どうしたらこんな気配をまとうことができるのかしら?
――ってそうじゃなかった。聞かなきゃならないことがたくさんあるのよ。
「お父様っ! 国のためとはどういうことです?」
つかつかとクリストファーに近づいてアベルは詰問する。
「テン、資料を」
「はい」
テンは腕に抱えていた紙の束を中央の机に置いた。紙の色が変わっているものも数枚あり、年季を感じさせる。
「アベル、お前がいろいろとかぎまわっていることは聞いている」
「お父様、私の問いに答えて下さい!」
クリストファーは厳しい表情を作ると、アベルを無視するかのようにテンが並べた資料の前に立つ。
「協会の成り立ちや図書館の改革を調べていたそうじゃないか」
――調べていた? じゃあ、昨日まで忙しそうにしていたのは調査のためだったの?
あたしはクリストファーの指摘を聞いてアベルに視線を移す。
「……えぇ、そうですよ。なかなかお父様と話す時間が取れなかったものですから」
ふてくされた様子でアベルが答える。
「協会や屋敷に置いてある資料はただの建前だ。『エーテラーナ』『アストララーナ』を読んでわかったろう?」
――やっぱりこの人、知って……。
「人形に関した魔術にリスクがあるのを知っていて、それでありながら隠しているなんて正気とは思えません!」
「――なぜエーテロイド職人や傀儡師が国家資格になったのだと思う?」
「はぐらかさないでくださいっ!」
「これは大事なことなんだよ、アベル」
ゆっくりと諭すようにクリストファーが問うと、アベルは黙って考える仕草をした。少し落ち着いただろうか。
「……それは……管理のため?」
――使用者の管理ができるから?
アベルと同じ答えをあたしも導いていた。だって国家資格にすれば国で管理することができる。誰がどこで魔術を使用しているのかを一括して把握することが可能なのだ。
「そう。そしてこれが得られた結果だ」
言ってクリストファーは机に置かれた紙の束をめくり、ある箇所を指した。アベルとあたしは一緒に覗き込む。
「――原因不明の死者の人数?」
表のタイトルにはそう書かれており、資格所有者とそうでない人との差が記されていた。そのほか、比較できそうな様々なデータがならんでいる。
「統計は協会が国営化されてからだが、それでも充分役に立つはずだ」
見るからに明らかである。魔術使用者の方が死者の数は多く、そして若かった。
「――結局回避できていないではありませんか! 今の政策になんの意味があるんです?」
「……そうだな」
呟いてクリストファーは苦笑した。そこには深い哀しみの念が感じられる。あたしはその表情に引っかかりを覚えた。
「これでも予測されたものよりは遅いペースなんだ」
「早急に対策を練る必要があります。お父様ほどの人間がこんなところで手をこまねいている場合じゃないでしょう?」
「それでもこの国の発展を天秤にかければそう簡単にはいかない。――知っているだろう、図書館の改革以降のこの国の成長を。人形を中心とした社会はもう充分に機能している。今さら人形を手放すわけにはいくまい」
「それはお父様がそうなるように社会を作り変えたからだ! その責任をあなたは取らないおつもりなのですか!」
「正論だけで社会が成立すると思うな、アベル」
静かに響くクリストファーの声。哀しみと迷いの含まれた音。
「私がなんとかしてみせれば良いのですか?」
アベルの問いにクリストファーは首を横に振る。
「――今まで何もしていなかったわけではない。図書館の改革はアンジャベル家の人間を呼び寄せるためでもあったし、実際に彼女たちはここにたどり着いた。私はエリザベスさんに提案したのだ。このままではこの国は成り立たなくなる。力を貸してほしい、と。彼女は少し考えさせてほしいと言ったっきり姿を消してしまった。――アンジェリカさん、あなたがエリザベスさんを捜していたことは協会づてに聞いている。私たちも全力で捜していたのだ。しかし、残念なことに彼女は……」
「えぇ、どうも死んでしまったらしいですね」
あの男が言っていたことは本当だったのだ。もう変な期待はしないようにしよう。――あたし、独りぼっちになっちゃった。
「知っていたのか」
「ついこの前に」
平気なふりをして笑んだつもりだが、あたし、うまく笑顔を作れたかしら。
「それであなたが来るのを待っていたんだ」
「――なぜ? あたしはよくてもエーテロイド職人です。お母さんほどの知識も力も持たない一般人。待たれても何もできませんよ」
――ちょっと陣魔術を扱えるだけの、どこにでもいる普通の女の子じゃない。
「少なくともこの本の解析を行えるのはあなたしかいない。それだけでも充分だ」
「道具になるつもりは毛頭ありません」
よくそんなことを会長相手に言えたものだと思う。あとから思い返せば冷や汗ものだろう。
「……そうか」
落胆するクリストファーにあたしは心が揺れる。――確かにこれらの本を解析できるのは今のところあたしだけだ。うまくすればこの指輪の機能を複製して誰もが読める状態にすることはできるかもしれない。しかし、わざわざ曾祖父がこのような仕掛けを施したのには何か意味があるはずだ。
「協力してほしかったのだが……」
「アンジェ、手伝ってはくれませんか?」
アベルがあたしに向けた瞳には必死な様子が見て取れた。
「……ごめんなさい。もう少しだけ待ってくださらないかしら? どうしても確認したいことがあるんです」
――もう一度、あの男に会ってお母さんの身に何があったのか聞かなくてはいけない。それさえ聞ければきっと答えを出せるわ。
「式典までには必ず返事をしますから」
あの男が式典を邪魔しに来てくれることを祈るしかない。これは賭けだ。
「わかりました」
アベルはしぶしぶ頷く。
「良い返事を期待しているよ、アンジェリカさん。――良ければその資料も使ってほしい」
「助かります」
あたしは頭を下げる。
「ではこれで失礼するよ」
言って、クリストファーはテンを連れて出ていった。




