(2)
「――なんとなく、お母様の策略にはめられたような気がするんですが……」
やや不満げにアベルが呟く。
「そうねぇ。久し振りに二人っきりだわ」
肩を竦めてあたしは答える。
テンが迎えに来てからは二人っきりになることはなかった。というのも、テン曰く「二人で逃避行されてはかないませんからね」とのこと。護衛だけでなく監視役も兼ねていたとあって、簡単にまくことはできなかった。
「そうですね。頭が軽くなって清々していますよ」
そしてため息。
「カイルさん――いえ、ローズさんに監視されちゃってるの?」
「えぇ。あなたのために名を捨てるだなんて宣言したせいでしょうか?」
「勢いでそんなことを言うからいけないのよ」
あたしが笑うと彼はむっとした。
「私は本気で言ったんですよ! それを笑うなんてっ」
その台詞に対して小さくため息をつき、落ち着いた声を作ってあたしは諭す。
「――わがままが許される子どもじゃないのよ、もう」
覚悟はしていた。だからあたしはここまでやってきたのだ。あたしが式典で何をするかによって未来が変わるかもしれないという可能性。それに気付いたときから、何を選ばなくてはならないのかをずっと考え、それがどのように影響するかを想像した。そんな大事じゃないと笑ってくれて構わない。いや、そうであってほしい。でも、あたしが直面していることってそんなあっさりしたものじゃないでしょう?
――だからアベルも覚悟を決めてほしいんだ。たとえあたしがあなたを裏切る結末を選んでも、あなたはあなたが望む未来を描き続けると誓ってほしい。なにが最善なのかはわからないから、だからこそ。
「――その通りです」
しばしの沈黙のあとにアベルは頷く。
彼は賢い。気持ちに流されやすい面は多少あるけども、それでも物事をきちんと考えられる人だ。理解している上で、ダメ元でも何かをしようとするのがアベルという人。――あたしと同じだ。結構強情で、一度決めたら譲らない性格。そこがあたしは好きなんだな、厄介なことに。だからあたしを幻滅させないでね。
「ですが、その台詞を言ったときの気持ちに偽りはありません。ゆえに、後悔はしていない」
「でしょうね」
いまだに気持ちは真っ直ぐあたしに向いているってことはベルを見ていればわかるわよ。人形には術者の感情が出るものなのよ?
「それを踏まえた上で提案があります」
彼は真剣な表情だ。慎重に言葉を選んでいるように感じ取れた。
「なに?」
「良ければなんですが……感情論は抜きにして考えてほしいんですけど……」
「前置きはそのくらいにして、本題を言いなさいよ」
言いよどむアベルをあたしは急かす。仕事はこれからなのだ。時間が惜しい。
アベルの二色の瞳があたしを捕らえた。
「どうせなら、協会ごとあなたの手で変えてはみませんか?」
「……はあっ?」
――一体なんの話だ。
あたしがきょとんとしているとアベルは続ける。
「短刀直入に言い過ぎましたね。――これらの本を読んで私たちのことをどう思おうとあなたの自由です。しかし、その結論から導き出された選択肢の一つとして、このままクリサンセマム家に残り、改革を行うことを考えほしいのです。――運が良いのか悪いのか、私にはクリサンセマム家を継ぐ機会が与えられます。現時点においては全くの無力ですが、このままなにごともなければ、いずれ協会の頂点に立つことになるでしょう。今までその地位については面白く思わなかったのですが、あなたに改革を行う意志があるならば、その地位を持って手助けをしても良いと考え直しました。いかがでしょう?」
「――そ……それって、プロポーズと取って良いわけ?」
半ば茶化すかのように振ってみる。まさかそれはないだろうと思いつつも。
「あなたがそう解釈なさるならそう取ってもらって構いません」
――おいおい。
「――一つ補足するなら、私は今回の件であなたをお飾りに据えるつもりはありません。一時的にこの混乱状態を緩和させるためだけにあなたを呼んだわけではない。長期的に取り組み、陣魔術師たちとの軋轢を解消させる時期なのだと考えているからこそです。それができないのなら私は何もしないで見送るつもりでいます。つらいことですが、私一人では何もできないでしょうから。――ですが、あなたとならなんとかなるような気がするんです。あなたが私を変えたように」
「……変えた?」
これまた話が別の方向に転がってきたものだ。
「えぇ。あなたが」
アベルは頷いてにっこりと微笑む。
――訳がわからないんだが。
あたしが首をかしげると、アベルはくすっと小さく笑った。
「理解できなくても構いませんよ。私の根幹にあなたは触れた、それだけを知っていただければ結構です」
「それらをひっくるめて出した案の一つがそれってことね?」
わかることといえばそのくらいか。
「はい。――あぁ、別に結婚してくれと強制しているわけではありませんよ。そりゃああなたのことは好きですし、そうなれば良いなぁなんてひそかに思っていますが、結婚せずともあなたを援助することは充分に可能ですからね。だってあなたは腕の良いエーテロイド職人だ。順調に出世すれば首都にやってくることになりましょう。私のそばにいられないならそれまで待ちますよ」
「やたら気の長い話ね……」
「そうですか?」
アベルはきょとんとして首をかしげる。この男は自分が言っていることの意味をちゃんと理解しているのだろうか。ときどき不安になるんだけど。しかもどさくさに紛れて告白されたわよね、あたし。
「――よし、わかったわ。候補の一つとして考えておくわよ。選ぶのはあたしだし、勝手にさせてもらうわよ」
――あなたのそばにいられたらどんなに良いことか。あたしがそう思っていることをあなたは気付いているの? あたしがどれだけ悩んだのか、あなたはわかってくれているの?
「あなたならきっと良い結論を導くと信じていますから」
ごまかしのない澄んだ瞳がこちらを見つめている。それがあたしの心に痛みを生む。
「よくそんなことを言えるわね。出会ってからひと月くらいしか経たないのよ?」
――裏切るかもしれないんだからね?
「あなたは信じるにあたう存在です」
――あなたを敵に回すかもしれないんだからね?
「人を好きになるって、そういうことじゃありませんか? あなたが私に示したんじゃないですか。あなたは私を信用できないのですか?」
不意にあの男の台詞が脳裏を過ぎる。――君にとっても彼女は憎むべき対象なんだろう?
あたしはアベルを信じることができるのだろうか。あんな男の台詞で動揺してしまうあたしに、アベルを好きになる資格があるのだろうか? ――苦しいよぉっ。
「……それは答えられないよ。あたしはまだよくわからないから。――でもさ、こんなに迷ったり悩んだりするのはあなたのことが気になるからなんだと思うわ」
素直じゃないな、とは思う。自分に正直になってこの想いをぶつけることができたらどれだけ楽だろうか。
だけど、気軽に口にできる台詞じゃないってことぐらいわかっているつもり。あたしは限りなく一般市民の一人で、彼は国に口出しすることさえ可能なクリサンセマム家の人間。たとえあたしにアンジャベルの名の知名度があろうとも、普通に暮らしていたら出会うことさえなかっただろう相手だ。それに今は敵対の可能性がある。あたしは陣魔術師で彼は協会側の、いずれはその頂点に立つかもしれない人物。おいそれととやかく言える立場じゃないってことぐらい承知しているわよ。アベルがそうするみたいにあたしだっていろいろ伝えたい想いはあるけども、あたしまで同じようにしていたらどうにもならないじゃない。この状況でどう素直になったら良いわけ?
「……それだけ聞ければ充分です」
あたしの困惑を察したのか、アベルは頷いた。この話は終わりにしようという合図。
「……あなたの気持ちはちゃんと受け取ったから。だからあたし、気持ちが整理できたら必ず返事をするからね」
「はい」
――ごめんね、アベル。答えをきちんと出すから。そのためにもこの機会を無駄にはできない。
「そうと決まれば行くわよ」
大きく息を吸い込むと、あたしは本に手を伸ばした。
本を手に取るなり、指輪が淡く光り出す。表紙をめくると指輪の役割がわかった。
「なるほどね」
「面白い作りですね、それ」
指先で文字をなぞるとその下から別の文字が浮かび上がる仕掛けになっていた。確かにこれなら指輪のない人間には書いてある内容を知ることはできない。
「無駄な演出だわ」
呆れた口調で答えながらあたしは文字を追った。
今開いているのは『エーテラーナ』の方である。話を聞く限りでは人形の作り方についてまとめたものらしいのだが……。
読み進めていくうちにあたしの手は震えてきた。何もこの本の偉大さに感動を覚えたからではない。驚愕の真実――今後この国を脅かすだろう危機についてを示唆するものだったからだ。
「そんな……」
陣魔術は比較的万能な魔術である。知識があれば誰でも使うことができる技術だ。その程度には多分に個人差があるが、光を灯すくらいの芸ならすべての人間が扱うことが可能だと思ってもらって構わない。
しかし、魔術はなんの対価もなしにその効果を得られるものではない。陣魔術では使えば使うほど体力を消耗する。つまり、肉体に負荷がかかる。これは陣魔術から枝分かれしたエーテロイド職人や傀儡師が扱う魔術にも同じことが言えるし、これらの知識は試験に出されたら確実に点数を取れるとされるくらい基本的なことで、魔術に関わらない人たちにとっても常識となっている。――そう、この認識が当たり前で誰も疑問に思うことはなかった。もしもこの現象が重大かつ深刻な現象の一部分に過ぎなかったとしたら、一体どうなる?
ジュン=アンジャベルはそのことに最も早く気付き、書物にまとめた人物だったのである。このまま陣魔術を使い続けたらどうなるか、それを示して警告することが『エーテラーナ』に課せられた役割。アンジャベル家の人間にしか読めなくなっている部分は『エーテラーナ』を書くに至った経緯が記されており、この本によって陣魔術師たちが窮地に立たされる可能性さえ指摘していた。そしてそれが彼の望みでもあるとも書いてある。たとえこの本によってアンジャベル家が滅ぶことになろうとも、子孫繁栄を捨てるだけの意味があると。
「…………」
薄々予感していた。昨日の勉強会で気付いていたからだ。なんでこれらの技術が生まれたのか、よりその使用環境が制限される魔術が広まるに至ったのか、それらの事実に。
あたしは一通り目を通すと、震えが止まらない手で『アストララーナ』を取る。こちらの本も同じ仕掛けがされていた。
「!」
――なっ! それってどういうこと?
視線を上げて横から覗き込んでいたアベルを見る。彼の目も驚きで見開かれていた。
「……未完成って」
そこにはそうはっきりと書いてあったのだ。人々の目を欺き、問題を先送りにするために創られたのがこれら人形を中心とした魔術であると記されている。ゆえに未完成で不安定な要素も、陣魔術で回避不可能な問題さえ内包する魔術なのだとも。
『アストララーナ』は傀儡師がどのようにして人形を操作するのかをまとめた本とされている。事実、インクで書かれている文章は教科書でよく引用されている内容で埋めつくされていた。しかしその下に隠されていた文章は別の可能性を示唆するものだ。
人形を中心とした魔術の再構成は、陣魔術が持つ危険を先送りにするために行われた。より多くの人に安全に使用してもらうためにも必要なことだったとある。だが、陣魔術の使用が減れば待ち受ける深刻な事態への時間かせぎにはなりうるだろうけども、根本的な解決を得ることはできない。そこが肝心な部分である。それを知りながら人形を軸とした未完成の魔術の使用を推奨したのは何故なのか。この本に書かれている予測された危機に直面していたということなのだろうか。――そんな馬鹿な。
「――ねぇ、アベル? あなたのお父さんはこのことを……ここに書かれている内容を知っていたの? それで図書館の改革を行なったっていうの?」
「…………」
アベルは黙って顔を上げたが視線を合わせようとはしなかった。
「――まさかあなたも知っていたのっ!」
「……知ったのはここに戻ってきてからですよ。あなたのことをお母様に話したら教えてくれました。ですが信じていなかったのです。まさか陣魔術にそんな特性があり、その特性をエーテロイド職人や傀儡師が使う魔術も引き継いでいたなんて……。協会が危険を承知で使用を推奨していたなんて、そんなことがあってよいとは思えない」
――もしや……。
そこであたしはひらめくものがあった。本を開く直前にアベルがあたしに言ったこと、それはここに書いてあることを知っていたからこそ生まれてきた選択肢ではないかと。
「だからあなた、改革をしないかって誘ったの?」
アベルは戸惑いが感じられる様子を含んで頷いた。
「これは公表すべきことだ。こんな危険をはらんでいるのに、そのまま放置しておくだなんて許されることでしょうか?」
「――しかし、それがこの国には必要だったのだよ、アベル」
扉が開かれると同時に響いた低い声。あたしたちはぱっとそちらを見つめた。




