(3)
やっぱりな、と思った。アベルが前にしたことと同じことをしようとしているのだから、対策を立てないわけがないのだ。でも、そこにいた人物はあたしが知らない人で、その肩に鳥の姿を模した人形を載せていた。
「――逃げるのではないかとアベル君に言われていたもので」
赤みがかった髪の男があたしの前に立ちはだかった。見た目は二十代後半といったところだろうか。胸の部分にエーテロイド協会の紋章を入れた上着をはおっている。しかし見慣れないデザインの服だ。ちょっと華美な感じがする。
あたしは警戒する。現在は消灯時間が過ぎた時間帯であり、もちろん面会時間は終わっている。こんな時間に待ち構えているとは準備がよい。
――念には念を入れて、姿を隠す術を使っておくべきだったようね。魔術の使いすぎで倒れていた手前、病み上がりに使うのはどうかと自粛したのが甘かったか。
「お手洗いへ行こうかと思いまして」
しれっと嘘をついてみる。反応をみるためだ。
「その大荷物で?」
やんわりと指摘。――ま、簡単には見逃してくれないか。あたしはきちんと身支度を済ませており、身の回りの荷物もしっかり抱えていた。もはや言い逃れはできまい。
「……あなた、誰?」
話題を変える。相手の指摘を肯定する意味も込めて。
「テン=ローズと申します。アベル君の迎えを頼まれましてね」
――あ、なるほど。あたしが動けなかったばかりに協会に追いつかれてしまったのか。それで実家に帰るって……そういうことね。
それにしても、なんだろう。一般職員には見えないわね……。
「あたしはアンジェリカ=アンジャベルです。アベルにはいつもお世話になっております」
ぺこりと頭を下げる。
「それはそれはご丁寧に」
「――そういうことなんで、あたしはこれで。アベルにはよろしくお伝えください」
にこっと笑んでさっさとその場を抜けようとしたが腕を捕まれた。――当然か。
「出ていくなら出ていくで、きちんとアベル君に説明すべきです。こっそり去るなんて卑怯だと思いますよ」
「…………」
テンと名乗るこの男の言い分はわからないでもない。始めはあたしもそうしようと思っていたのだ。ちゃんと事情を説明して彼の元を去ろうって。だけどそう考えただけで苦しくなっちゃうんだから仕方ないでしょ? こんなんじゃ彼の顔を見て話せるわけがないじゃん。それでも首都に、アベルとともに行くのは無理だって判断したんだから、こっそり様子を窺って脱走するしかないわよね?
アベルったらあたしの行動を読んでいたのか、簡単に逃げられないように高層階――眺めの良いここは六階である――に閉じ込めてくれるんだもん。まいっちゃう。
「――やはりアンジャベル家の者だからですか?」
その台詞に身体がびくりと反応する。
「否定はしません」
はっきりとあたしは告げる。
「それならそうと伝えるべきですよ。彼もアンジャベル家との出来事については把握しているはずです」
「…………」
あたしは視線を床に向けたまま黙り込んだ。
アンジャベル家とクリサンセマム家の確執というのは、エーテロイド職人と傀儡師が定義されたことを発端としている。
陣魔術師から派生して生まれたこの二つの職業は、私の曾祖父の研究により確立された。『エーテラーナ』『アストララーナ』と呼ばれる二冊の本の発表によって。当時それらの本は注目されていなかった。応用研究の一つとしか見られていなかったからだ。
しかしこの本に目を付けた人間がいた。クリサンセマム家である。この時代からある程度の富を築いていた当時のクリサンセマム家当主は、これらの本の増刷を買って出た。先見の目があったのだろう。その頃の印刷技術は大したことはなく、手書きで写すよりも読みやすい程度の代物で急激に冊数が増えるということはなかったが、それでも本の総数が増えれば増えるだけ情報は伝達される。
にわかに曾祖父の研究が騒がれるようになると、クリサンセマム家はその売上金でエーテロイド協会を設立。これにより陣魔術師からエーテロイド職人や傀儡師に転職する人間が増えた。クリサンセマム家の働きで法が整備されたということも影響している。
この程度のことで陣魔術師がいなくなるわけはない。最大の原因とされるのは、現クリサンセマム家当主クリストファー=クリサンセマムの改革によるものだろう。
彼はそれまで王家――といっても現在その権限はほとんどなく形骸化している――が管理していた図書館を買収、エーテロイド協会の一機関にしてしまった。その長に王家の血を引きかつ自分の妻であるコーネリアを据えて。それに伴い、今まで一般に広く公開していた『エーテラーナ』『アストララーナ』はその閲覧を制限されることとなった。つまりは神聖化がはかられたのである。
それに加えていよいよエーテロイド職人、傀儡師が国家資格として管理されることが決まった。協会も国営化が進む。名前としては国営だが、その実、ほとんどがクリサンセマム家に委託されている。そして現在に至る。
その一方でアンジャベル家は滅びの道をたどっていた。
本の権利がクリサンセマム家にあるせいでお金は入らず、かといって法で整備された以上勝手にその知識を広めることはできない。その上今まで陣魔術を使っていた人間は新たに確立された二つの魔術へと流れ、これまでやっていたように陣魔術の研究をしているだけでは食べていけなくなったのだ。もともと短命であるアンジャベルの一族は研究を捨てて別の道を模索するようになったというわけである。
多少主観的意見が紛れるもののあたしが把握している限りではそんなところだ。大っぴらに対立したことはないが、これらの出来事に対し陣魔術師はクリサンセマム家をよく思っていない。仕事を奪われたわけだし。で、アンジャベル家に同情する人間もいるわけだ。元は曾祖父の研究なんだけどね。クリサンセマム家のやり方に対する反発がそういう形となっているのかもしれない。
とにかく、あたしとクリサンセマム家の間にはこういった経緯があり、疑問を持っているのだった。
「――とにかく、一度話し合うべきです」
言いながらテンはあたしの手首を掴んだまま歩き出す。
「えっあっ? ちょっと待って下さい! あたしまだ心の準備がっ」
振りほどこうとするものの、こうもしっかりと握られてしまっては歯がたたない。テンの大きな手のひらはあたしの手首をすっぽりと覆っている。なんとかして行くのを止めさせようと考えているうちにある部屋にたどり着いた。
「アベル君? 入るけどいいかな?」
テンはドアを叩くと確認する。
「どうぞ」
アベルの声。反応が早かったことから起きていたらしい。
その返事を聞くなりテンはドアを開けた。
「君の言う通りだったよ」
あたしを部屋の中に連れ込むとようやく解放した。テンは入口の前に立ち、逃げ場をふさいでいる。
この部屋はあたしと同じ階にあり、個室であった。また襲撃を受ける可能性があるので当然かもしれない。
「でしょう? ――ひょっとしたら明け方に実行するかもと考えていたんですが、よほど急いでいたんですね」
アベルは始め部屋に備え付けてあった机に向かっていたが、ドアが閉まる音を合図にこちらを向いた。
「…………」
視線を床に落としてあたしは黙る。
「私は急がなくて良いと言ったはずですが」
「……だって、あの男の話を聞きたかったから……復讐だなんてやめてって言わないといけないって……早く追わないと見失ってしまうから……」
「それだけじゃないでしょう?」
とても優しい声。
あたしは恐る恐る視線を上げる。彼は困ったような気持ちがこもる笑顔をこちらに見せていた。
「……どうも追い詰めてしまったようですね」
アベルは立ち上がり、あたしの前にやってきた。そしてふいに抱きしめた。
――ふぇっ!
「あなたが何に苦しんでいるのかを知っていながら、あんなことを言った私を許してほしい」
「べ、別にあたしは……」
ぎゅうっとされてあたしの心音は余計にはねあがる。
「あなたがうなされている原因を知っているんです」
「!」
――え? どうして?
あたしはゆっくりと顔を上げた。アベルの顔が間近にある。ドキドキ。
「ずっとうわ言のように呟いていましたよ。あの日の朝も、そして眠り続けたこの三日間も」
「な、なにを?」
――あの日の朝って、寝室侵入事件の日のこと? 寝言を聞かれていたとはなんたる失態かしら。さすがにそこまでは気付かなかったし、気付いてもどうしようもないじゃない。
「クリサンセマム家のせいじゃないから――と、まるでまじないのようにずっと」
「それを知っていて……!」
「だからあなたに無理してついてくることはないと言ったのです。毎晩うなされていたのでしょう? 私のせいだと思いました。でもついて行きたいというのはあなたの意志であって、私の意志ではありません。――そりゃああなたがそばにいてくれたらどんなに楽しいかとは考えましたけど、それによってあなたを苦しめるのなら本末転倒です。私はあなたが幸せならそれでいい」
「なっ!」
あたしは咄嗟にアベルの手から逃れる。そして警戒。
アベルは悲しそうな顔をする。
「あたし、あなたにそこまでしてほしくはない! あなたは勝手だわ! あたしはあたしのやりたいようにやるの。――ここでお別れね。今までありがとう。楽しかったわ。それじゃ」
――思った通りね。あなた、絶対に悲しげな表情を浮かべるだろうって、そんな予感がしていたの。
あたしはアベルに背を向ける。
「嫌だっアンジェ! 行かないで!」
彼の必死な声。それと同時に腕を引き寄せられて強く後ろから抱き締められた。
――あぁ……あたしは……。
やっと自分の涙のわけがわかった。
――あたしはアベルのことが……好きなんだ。
再び涙が溢れた。
「……気持ちは嬉しいんだけどさ……やっぱりあたしは……」
「――どうしたら、そのわだかまりを取り去ることができますか?」
「!」
――どうしたら?
そうか。この胸のしこりさえなくなれば、あたしは彼のそばにいられるの?
「どうすればあなたの心を救うことができますか?」
――あたしは彼に救いを求めているの?
ううん、それは違う。あたしは彼を救いたいの。彼の寂しさを埋めてあげたいの。だから彼のそばにいたかった。だけどそのためにはあたしの気持ちが…………整理できないよぉっ。
次から次へと大粒の涙が頬を伝う。
――彼のそばにいたいけど、彼のそばにいたら混乱してしまうから。彼のことが好きだけど、彼はクリサンセマム家の人間だから。あたしは彼を憎んでいるわけじゃないと信じたい。あたしは彼を信じているのだと思いたい。……だからっ!
「私がクリサンセマム家の人間であるがためにあなたを苦しませるというのなら、私はその名を捨てたっていい!」
「――ちょっと待ってアベル!」
――そういう問題じゃないのよ。あたしにとってはそういう問題かもしれないけど、そう簡単なことじゃないってわかってる。だって今のあなたは……。
泣き顔のままあたしは振り向いてしっかりとアベルを見据える。そしてはっきりと告げた。
「だってあなた、次期当主となる人間なんでしょ? そんな大切なこと、軽々しく言わないで!」
「……どうして……それを……」
目を丸くしてアベルはあたしを見つめる。
「ばかにしないでよっ! あなたは兄がいるって言ったわ。そしてあの男に対してあなたは兄が殺されたと言ったじゃない。……そしたら、次の当主になれるのはあなたになるでしょう?」
アベルが名を捨てると言い出すのではないかと密かに予感していた。命さえ場合によっては捨てる気になる人だ。もともと家を出るつもりだったとも言っていたので、可能性はあると思っていた。そして彼は予期した通りの台詞を言った。その台詞はたぶん本気だ。




