(2)
やってきた医者に診察をしてもらい、あたしは再びベッドに横たわった。
この部屋に置いてある調度品がしっかりしている様子から、かなり良い部屋なのだろうと推測する。しかも個室だ。アベルのはからいだろうか。町でも大きな建造物にあたる総合病院の一部屋らしいことはここから見える景色から知れた。今はあたししかいない。
しばらくして食事が運ばれる。味気ないオートミールを口にしながら、ぼんやりとあの夜のことを思い返す。
あの男はあたしのお母さんを知っていた。今どうしているのかも知っているようだった。
『――だがな、アンジェリカ。クリサンセマム家のせいで君のお母さんは死んだんだぞ! クリサンセマム家がベスを見捨てたせいで彼女は命を落としたんだ! 復讐するのは当然の権利だろうがっ!』
あたしはその台詞に対して何も答えることができなかった。アベルが割り込んできたからということもある。
――あの状況で彼が割り込んできたのは聞かれたくないことがあったからだろうか? いや、考えすぎね。アベルはアベルであの男に確認しておかなければならないことがあったんだもの。つまり、アベルの兄がどうして死んだのかということを。
アベルは自分の兄がすでに他界していることをあたしに隠していた。今思えば見抜くこともできたのかもしれないけど、あたしはあたしのことでいっぱいいっぱいだったから全く思いもしなかった。――始めから彼は兄が他殺だと考え、復讐するつもりであの陣を描いた人物を捜していた。アベルが実家に戻りたくなかったのはそのためであろう。
前に一度、捜すなら実家に戻って協会に協力してもらえば早いのではと提案したことがある。そのときアベルは表情を曇らせて「それはできません」とはっきり答えている。あたしに会ったときからすでに復讐の気持ちは固かったのだろう。――あの穏和な感じのするアベルがそんなことを考えているとは微塵も想像していなかったんだけど。
――……うーん、話がそれたわね。アベルのことはあとで良いのよ。今はあたしがどうすべきなのかが問題なんだから。
美味しいと思えないオートミールをもごもごさせながら思考を仕切り直す。
あの男の台詞が事実ならお母さんは死んでいることになるし、その原因はクリサンセマム家ということになる。しかし因果関係が見えてこない。あの男とお母さんの関係も、だ。復讐を誓うぐらいだから相当親しい間柄だったのだろう。――でも、親戚には思えなかったけど。
年の頃なら二十代前半。背は高く、ぱっと見た感じでは細身に思えるがそれは無駄な脂肪がついていないだけで、質の良い筋肉がついているのだろうと想像する。あの俊敏な動きは魔術だけで生み出せるようには見えなかったもの。あとは夜の闇よりもなお深い黒い髪と光を吸い込んでしまいそうなくらい真っ黒な瞳。やや目尻が吊り上がっていて迫力があるの。目だけじゃない。存在自体に凄みがあった。威圧感というべきかしら。戦いに慣れている感じがしたし、負けるとは思っていないようでもあった。確実に仕留めるという強い意志……。
雰囲気はもちろんだが、髪や瞳の色からすればアンジャベル家の血筋とは無縁のように思える。あたしの髪は黄土色だし、瞳は森の緑と同じだから。髪が縮れ気味なのもお母さん譲り。どう考えても親戚とは思えない。
じゃあ、どうして復讐を誓えるくらいクリサンセマム家を憎んでいるのか。あたしがクリサンセマム家に対して持っている疑問からくるものだろうか。
――そういえば、陣魔術の復権を願う団体がアンジャベル家の復興を望んでいるみたいな話もしていたわね……。お母さんは知っていたのかしら。
そこまで考えて、あの男の名を聞いてなかったことに気付く。
――しまったなあ……。これじゃ捜したくても情報が少なすぎる。ここはアベルと別れて独自に調査するべきか……。
『そんなに大事か? 君にとっても彼女は憎むべき対象なんだろう? 違うか?』
ふと男が言った台詞が蘇る。あの言葉の意味はなに? まだ引っかかることならある。
『――どうして君は格好をつけたがる? 君は彼女を利用したいだけだろう? ならばそう言えばいいじゃないか。どうして自分を綺麗に見せたがる? そんなんだからアイツは……!』
この台詞の意味を、あたしはどう解釈したらよいのだろう。男の台詞を鵜呑みにするなら、アベルはあたしに恨みを持っているけれど、別の意図があって連れていくことにしたってことになるだろう。じゃあアベルの意図ってなに? あたしを利用して何をしようっていうの?
――あぁ、そういえばあたし、告白されたんだっけな。一緒に首都に来てほしいって言われたんだった。あれには何か裏があると警戒しておくべきなのかしら? だけど……。
唇に手をあてる。まだありありと思い出すことができる。――心が痛い。
「……あたしは……」
手に温かなものが伝った。慌てて離してそれがなんなのかを確認しようとするが、像を結ぶことができない。それで初めて自分が泣いていることに気が付いた。
「どうして……?」
――どうして涙が溢れてくるの? 悲しいことなんかないじゃない。つらいことなんてないじゃない。
「違っ……」
ひっくひっくと嗚咽が漏れる。止まらないし止められない。食べかけのオートミールはそのままに、あたしはわけもわからず泣き続けた。




