襲え!
意外でした。
バラク様が連れて行ってくれたのは、洒落た食堂だった。それなりに混んでいたのに、予約をしていたのか顔パスなのか私たちは個室に通された。
店の雰囲気も、料理の見た目ももちろん味も大満足。ただしあまり食べていない。
女性諸君、よく覚えておきたまえ。事を致す前にはあまり食事しないこと。特に意中の男性とのときは要注意だ。
食べると自然現象で胃が膨れる。そうすると裸になった時に出ちゃうのよ、ポッコリと。これが意外と目立つのよね。特にやせ気味の女性は注意してね。だからといって食べないと体持たないから、適度に食べて力はつけといてね。あの行為は体力勝負だから。
な~んて、全部受け売りだけど。
私自身、男性経験はない。だから押し倒すといっても本当に押し倒すだけ。そこまですれば男性側が何かアクションを起こすでしょう。起きなければ………頑張る! 何をって、いろいろよ。いろいろっ。
で、今私は自宅のキッチンにいる。
食事の後、どこに行こうかと悩んでいるバラク様を強引に説き伏して、自宅に引っ張り込んだ。理由はお茶を飲もうということだったので、私は紅茶の準備中。
こう見えても私は結構紅茶にはこだわりがある。種類も取り揃えて、気分によって葉を変えたり蒸らし時間を変えたりしている。今日の紅茶はちょっと面白いのが手に入ったのでジャスミンに似た香りの紅茶にそれをブレンドしてみた。お店の人曰く『ムラムラ』するらしい。もちろん怪しい葉っぱではない。ちゃんとした紅茶だし、試しに一度飲んでいる。ムラムラは来なかったけど。
私は白の上着を脱いで、薄手の空色のワンピース姿になっていた。胸は自分で何度見てもやはり残念なので谷間は作れないけれど、襟ぐりが広いので首元とか鎖骨とかはアピールできる。
「よしっ、勝負よ!」
気合一発。バラク様の待つ自室へと向かう。
バラク様を客間には通していない。私の部屋に直接案内した。もちろん下心ありありの予定行動だ。だって自室にはベッドという最大の武器がある。ここに押し倒してしまえば後は野となれ山となれ、的な感じでしょ? あとはどうやってあの巨体を押し倒すかだけど、それはもう行き当たりばったり。臨機応変で行くしかない。
ああ、お父様お母様。私は今日、二十八歳にしてようやく大人の階段を上ります。
自室の前について深呼吸。やっぱり緊張する。押し倒すことはもちろん、経験自体ないものだから少し怖い。
落ち着いて自室の扉をノックする。自分の部屋の扉をノックするのもおかしなものだけど、そこはやはり淑女ですから。一応ね。
でも返事はない。
思い切って扉を開けると、部屋の中央で立ち尽くしているバラク様と目が合った。寛いでいてと言ったのに、上着を脱いで少しだけラフな格好になっただけでとても寛いでいるようには見えない。
「ああ、良かった。いらっしゃらないかと思いました」
ここまで来て逃げられたら困る。私はほっとしてそう声をかけた。
部屋にはベッドと大きめのテーブル、椅子が二脚。その一つにバラク様の上着がかけられている。
ベッドや壁際の棚、ベッドサイドのそこかしこに置かれている愛らしいぬいぐるみはお母様の趣味だ。女の子は可愛くがモットーのお母様は、ぬいぐるみを見つけるたびに私の部屋に飾っていく。外面を整えられても中身は私なので可愛くないんだけど。
私はテーブルにティーセットを乗せたお盆を置いた。
「どうぞ。お座りに……」
と言ってから私は固まった。なぜバラク様が所在無げに部屋に突っ立ているかを理解したからだ。
椅子が小さい!
私の体に合わせて購入した椅子は肘掛もついていて、バラク様のお尻が物理的に入らない大きさだった。どうねじ込んだって入らないだろう。たぶん無理やり座ったらお尻が抜けなくなるか椅子が壊れるかしてしまう。
「申し訳ありません。私ったら気付かないで」
「いや、俺の尻……体がデカいのが悪いんです。気にしないでください」
これは椅子が小さいのかバラク様がでかすぎるのか。たぶん両方だ。
しかしこのままではまずい。座らなくては落ち着くこともできない。かといって今更客間に案内するのも間抜けな話。私は部屋を見回した。けれど、見慣れた部屋にほかに椅子があるわけでもない。
そこで目についたのがベッドだ。
「けれど、座る場所が……あ、ベッド! ベッドに座ってください」
グッドアイディア! 私ってば天才。
ベッドに座るなど日本じゃ当たり前のことだったけど、日本みたいに狭い部屋でもなく椅子のある場所では抵抗もあるのだろう。女性の部屋ならなおさらなのかもしれない。バラク様の腕を引っ張ってベッドへ誘うが、妙にアタフタと焦っている。それでも本気で抵抗しないところを見ると、少しくらいは期待してもいいのかもしれない。
何をって? 押し倒し計画に決まってるじゃない。嫌いな人の部屋のベッドには私だって座りたくないもの。
ま、出会ったばかりで好き嫌いもないけど。かく言う私もどっちつかず状態。嫌いじゃないから好きになる? みたいな感じ。その好きも友人としてという意味を抜け出せずにいる。それでも子供を産むための協力者としては申し分ない。
座った後も落ち着きなくおどおどしているバラク様をよそに、私は着々と準備を進める。
まず椅子をベッドの脇に持っていく。もちろん私が座る用。バラク様のできるだけ近くに置いた。ティーセットをサイドテーブルに移し、テーブルを移動させにかかる。
その間もバラク様は何かあるたびに立とうとするので、営業スマイルと有無を言わせぬ口調で座ってもらっている。
高圧的な態度も今は目をつむってほしい。
女には勝負を挑まねばならぬときというものがあるのだ!
テーブルに手をかける。このテーブル、お父様が一目見て気に入ったという品で結構重厚な造りになっている。私の部屋には正直似つかわしくない。本当は細身デザインのテーブルが良かったんだけど、太い脚と大理石のテーブル板を誇る様は部屋の中でも目を引く存在になっていた。
持ち上げようとして止まる。
持ち上がらない!
じゃあ引きずってみようかと引っ張るも、重厚な見た目と同様に重たいテーブルは動かない。
嘘~、ここまで来て計画に支障が出るなんて。しかもこのテーブルに阻まれるとは思ってもいなかった。
ぐぬぬぬっ、どうしてくれようか。ベッドに紅茶セットを置くのはさすがにためらわれる。
そんなことを思っていたらバラク様が立ち上がった。
もう、座っててって言ってるのに! 今焦ってるんだから動かないでほしい。
「バラク様、どうぞ座っていてください」
声をかけるもバラク様は私のそばまで来ると、重厚なテーブルに手をかけた。腕の筋肉が膨れる。ぐっと力が入るのがわかった。
あっけないほど簡単に浮き上がるテーブル。バラク様って見た目通り怪力怪獣男なんだ。いつの日か本当に口から光線を出しそう。
「どこに置きますか?」
「あ、そこの、ベッドの脇で」
呆然と見ていたらそう問われ、慌ててベッドの近くを指し示す。重いものを持っていることを感じさせない動きで、バラク様はテーブルを移動させた。
なんだか申し訳ない。バラク様はお客様なのに手伝ってもらうなんて。おもてなし精神の日本人の性格が私の中で顔をのぞかせる。しかも、襲われる準備を手伝わされているなんて思ってもないだろうな。
「申し訳ありません」
「これくらい、騎士の訓練に比べれば軽いものです」
謝罪するとにこやかに笑われた。笑って言ってるけど、騎士の訓練って大変なんだろうな。私もこれくらい運べる程度には力をつけたほうがいいのかもしれない。布地は意外に重いし、力があったほうが店の手伝いの際も便利に決まっている。
私はバラク様を見上げた。目を細めてその筋肉を見つめる。
今日から腕立て伏せでもしてみようか。
うん、そうしよう。
心の中で決心し、私はベッドサイドに避難させていたティーセットをテーブルに移動させた。
お客様に手伝ってもらっても、そのお客様を襲うことに変更はない。私の恩返しのために、襲われてくれたまえ。
お湯をポットに入れてから少し時間がたったのでぬるくなっているかもしれない。それに苦味も出ているかも。成分がいっぱい抽出されて『ムラムラ』度が増してたりして。
ポットから紅茶をカップに注ぐ。ジャスミンに似た香りが部屋に広がる。ん~、いい香り。
「自分のことは自分でというのが我が家の決まりなんです。紅茶も何度か淹れたことはありますが、お口に合えばいいんですけど」
苦味が出ていることの言い訳めいた言葉を口にし、ベッドに座るバラク様に紅茶を渡す。自分の分も入れた後、椅子に座るのをやめてバラク様の横に座った。ムラムラ度が増しているなら距離は近いほうがいいに決まっている。
「いただきます」
そう言ってバラク様がカップに口をつける。
私も一口飲む。甘い香りとわずかな苦みが口に広がる。やはり紅茶独特の苦味が出ている。時間を置きすぎてしまったようだ。
文句を言われないかとちらっと横を見ると、バラク様は紅茶を一気に飲み干していた。苦すぎて分けて飲むのがためらわれたのか、喉が渇いていたのか。
「もう一杯いかがですか?」
「いえ、結構です。ありがとう。おいしかった」
ああ、前者だ。喉が渇いているならもっと欲しがるはず。
どうしよう。椅子に座れなかったり、セッティングを手伝ってもらったりと最初からつまずいている。
もうムラムラも関係なく一気に襲ってしまおうか。そのうちムラムラしてくるかも。でもしなかったらどうする?
それよりも、もしかしたら私に呆れているかもしれない。だから早めに飲んで早く帰ろうとしてるんじゃないだろうか。
ええいっ、女は度胸!
私は紅茶の入っているカップをテーブルに置いた。バラク様も空になったカップをテーブルに置く。
よし。落ち着け。大丈夫、大丈夫。怖くないよ。大人の階段を上るだけだからね。落ち着け、私の心臓。
胸に手を置いて心臓を落ち着けながらチラッとバラク様を見上げる。視線に気づいたのか、バラク様もこちらを向いた。
よし、行け!
「バラク様!」
私は言って立ち上がると、彼の両肩に手をかけた。座高の高いバラク様と私の身長はちょうど同じくらい。目の前にある茶色い瞳を見ないようにして肩を押す。
力いっぱいグイグイ押しているのに、揺らぎすらしない巨体。
嘘、なんで?
いや、もちろんわかってたけど、ぐらつくくらいはすると思っていたのに。微動だにしないその体をとにかく押し続ける。
視線が痛い。こちらを見ているであろう茶色の瞳を見れるはずもなく、自分の行為が恥ずかしくて真っ赤になりながらそれでも押し続ける。
ええい、この壁男め。怪獣壁男! 倒れろっ。
心の内の声を聞かれたわけじゃないだろうけど、突然バラク様の全身から力が抜けた。と同時に後ろに倒れ込む。
「きゃあ!」
全身を使って全力で押し倒しにかかっていた私は勢い余ってその体の上に乗っかった。瞬間的にバラク様の手が私の背に添えられる。
ちょうどお腹の上あたりに跨った形で私はバラク様の上に倒れこむ。お尻の下に感じるのは硬い腹筋。自分の体重を支えている腕の下には分厚い胸板。わかっていたことだけど、まるで私とは違う筋肉質の肉体が急にリアルに感じられて、今更ながらに羞恥心を覚える。
胸の上から見上げると、どこまでも冷静な茶色い瞳。ムラムラどころか困惑でいっぱいだ。自分のしていることが恥ずかしくて情けなくて泣けてくる。
ところが、見上げている間に急にバラク様の瞳に宿る光が変わった。困惑と驚きからわずかな怒りと色欲。
瞬間、世界が反転した。
気付けば私はベッドに背をうずめていた。見上げれば私に覆いかぶさるようにし見下ろしているバラク様の姿。
私、もしかしなくても押し倒されてる状態!
今更だけど、本当に今更だけど、私これからどうしたらいいの!?
必殺途中切り!
ここまで読んでくださりありがとうございます。
ごめんなさい。すごく中途半端な位置でぶっちぎりました。バラクとの兼ね合いがあるので、ここで一旦休憩です。
次話はできるだけ早くお届けできるように頑張ります。