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嘘とキス

 白い指にくっきりと残る私の歯型。かさぶたの残る指から私は視線を外した。あれは私が付けた歯型。犯人である証。

 わかっていたことだった。自分で追い詰めたとわかっていても、直視できなかった。


 私が付けたものだし、人の指であるけれど、やっぱり痛々しい。



「参りました。まさか、こんな短時間でバレるとは思いもしませんでした。一番の誤算は貴方ですよ。ミナお嬢様」

 ロドスタさんが笑みを浮かべて私を見つめる。その瞳に怒りや憤りはない。静かな濃紺の瞳は、表情と同じで清々しい光が宿っている。


「あなたがこんなに頭の良い方だと知っていれば、もっとほかの方法をとっていたかもしれません。あなたは襲撃者を恐れない。冷静な判断力とその度胸には驚かされました」

「ほかに言うことはないのか?」

 今まで聞いたこともない低い声がバラク様の口から洩れる。それにロドスタさんが首を振った。

「ありません。私を斬るというのならば、その剣を甘んじてこの身に受けましょう。ですが、黒幕がダイツだということは忘れないでください。奴だけは絶対に逃さぬよう、どうかお願いいたします」


 私は黒幕の話をするロドスタさんが一瞬見せた怒りに目を見開く。やはり、黒幕はダイツで間違いない。そしてやはりロドスタさんは何か弱みを握られている。


 頭を下げたロドスタさんに、バラク様が立ち上がってソファに立てかけていた剣を取る。ロドスタさんはそれを当然のように見つめている。柄に手をかけた瞬間、私は無作法と知りながらテーブルの上に足をかけてジャンプ一発、バラク様の頭にチョップを叩き込んだ。


 六つの瞳が驚愕の表情で私を見つめる。私は華麗にテーブルに着地……したと思ったら足が滑った。


 ドンガラガッシャンッという派手な音を立てて私は床に落ちた。打ち付けた腰が痛い。


「ちょっと! 反射神経のいい男が三人もいて、なんで私一人支えられないのよっ」

「いやいや、この緊張した場面であんなことされたら誰だって固まるだろう。君は本当に突拍子もないことをする」


 いち早く驚愕から回復したバン様が私の手を取って立たせてくれた。見れば、バラク様はまだ剣の柄に手をかけたまま固まっている。不満な表情をして見つめていると、ハッとした後、慌てて私に手を伸ばしてきた。


 遅いっての!


「バラク様。ここでハッキリさせておきたいことがあります」

「なんだ」

 いまだに低い声を保ちながら、バラク様が私を見下ろす。私は負けじと茶色の瞳を睨み上げた。

「襲われたのはバラク様ですか、私ですか?」

「ミナだ」

「じゃあ、なぜ襲われていないバラク様がロドスタさんを裁こうとしているんですか。ロドスタさんもロドスタさんです。何勝手にバラク様に裁かれようとしてるんですかっ。ロドスタさんに怒っていいのは襲われた私だけです!」

 言葉にバラク様が目を見張る。


「ロドスタさんには、私の裁きを受けてもらいます。いいですね?」

「もちろん、どのような処罰も受け入れます」

 ロドスタさんはソファから立ち上がると、私の前に両ひざをついて頭を垂れた。じゃあ、と私はバラク様の剣を鞘ごともぎ取った――ら、剣の重さに潰されそうになった。


「やだ、なにこれっ。めちゃくちゃ重たいじゃない」

 バラク様が片手で持ったり簡単に振ったりしてた剣。それなりに重いとは思っていたけどここまでとは思わなかった。さすが鉄剣。潰されそうになったところを、裁かれるはずのロドスタさんが剣を支えてくれて、私の腰は折れずにすんだ。こんな鉄の塊、両手で捧げ持ってもプルプルしちゃう。


 ロドスタさんの髪なんかを切って『今までのお前は死んだ。これからは私のために生きろ』とカッコよく決めるという私の計画は見事に失敗した。頑張ってプルプルしたまま剣を振り回したら、間違ってロドスタさんの首を落としてしまいそうだ。

 そんなの冗談ではない。


「返す」

 バラク様に剣を押し返した。バラク様は剣を受け取りながらどこか呆れたような、ほっとした表情を浮かべている。


 計画変更。もうこうなったら、私の持っている武器でロドスタさんに制裁を与えるしかない。


 私はチョップを三発、ロドスタさんの頭に叩き込んだ。騙されていた私とバラク様とバン様の分だ。痛がらせるためにやったけど、負傷を負いそうになったのは私の手の方だった。地味に痛い。


「はい、制裁終了! それよりも、これからのことを話さなくちゃ。夜は短いんだから、ちゃっちゃと話すわよっ」

「え?」

 一番びっくりしているのは当のロドスタさん。頭を押さえながらも、私を呆れた目で見てくる。

「私を捕えてないんですか?」

「それで黒幕が捕まるならいいけど、ロドスタさんはトカゲの尻尾。簡単に見捨てられて黒幕まで手が届きません。だったらロドスタさんをたどって黒幕の一党丸ごと捕まえるのが一番いい。被害者の私がいいって言ってるんですから、いいですよね? バン様、バラク様」

 私は二人を振り返って聞いた。バン様はあのとろけるような笑みを浮かべてうなずいた。バラク様も目を細めてほっとしたようにうなずいている。


 二人だって本当はロドスタさんを裁きたくなんかないはず。今でもロドスタさんのことを信頼しているのはその目を見ればわかる。嘘をついていても、裏切られてもロドスタさんは私たちの仲間なんだ。


「ロドスタさん、これからは私たちに対して嘘をつくことは禁止」

「私の言葉をまだ信じていただけるのですか?」

「信じるわよ、もちろん。それに私はロドスタさんの嘘を見抜ける。だけどもし嘘をついたら、そのたびにキスするわよ」

「キス!?」

 叫んだのはロドスタさんじゃなくてバラク様。慌てるバラク様をバン様が情けない顔をしてみている。私も同じ顔でバラク様を見る。チューの一つや二つ、減るものじゃあるまいし、強面の強い騎士様がそんな顔されても誰の同情も引けないみたい。

「もちろん口にチューよ。私がロドスタさんにキスするのが嫌なら、バラク様がしっかりとロドスタさんを見張っててください。ロドスタさんも、バラク様に恨まれたくなかったら嘘はつかないこと。どんなにうまく嘘ついても私は見破る自信があります」

 床にまだ膝をついたままのロドスタさんを見下ろす。まだよくわかっていないロドスタさんに私は笑みを浮かべてそう言った。


 私はソファに座ると、その隣をぱんぱんと掌で叩く。意図を悟ったロドスタさんは、しかしソファには座らず、ソファの横の床に膝をつくようにして座った。

「そこじゃ瞳が見えないでしょ。ここに座ってください」

 再びソファを叩く。上目遣いの目がバン様とバラク様に向けられる。とくにバラク様は凄い目をしてロドスタさんを睨んでいる。私と同じように彼の嘘を見抜くつもりだろうか。正直に私と同等に見抜けるとは思えないけど。ロドスタさんがそんなバラク様にコクコクとうなずいてソファに腰を下ろした。


 ソファに座りなおしたロドスタさんの瞳を見上げるようにして見つめる。黒く見える瞳には、どこか陰りが見えた。まだ、後ろめたさがあるんだろうな。


「私が寛容な女だとは思わないでくださいね。私は今一番重い罰をロドスタさんに与えています」

「許されることが罰ですか?」

「罪悪感を感じている人が一番堪える罰は、許されることです。罰を与えない罰もあるんだって、今ならわかりますか?」

 ロドスタさんは自嘲気味に笑ってうなずいた。


 何かの本で読んだことがある。復讐を果たした人間が最後に望むのは自分の死だそうだ。復讐のためにと犯した罪が最終的に自分を苦しめる。良心のある人間ならば、犯した罪を後悔するものだ。


 罰を与えずに人を許すという行為も、当人にとっては何よりも重い罰になりえることがあるのだ。



「時間がないので、回りくどい質問はナシです。黒幕はダイツですね?」

「はい。仰る通りです」

「じゃあ、そのダイツに何をされたんです?」

「何、とは?」

「何か弱みを握られているか、誰かが人質になっている。ミナ殿はそう思っているんじゃないのかい?」

 バン様が私の代わりに説明してくれた。濃紺の瞳がまた揺れる。


「僕たちもそう考えている。君はアイヤス家に対して忠誠を誓っていたし、外から見てもそう思えた。その君が簡単に心変わりするとは思えない。何があった?」

 ロドスタさんがぐっと拳を握りしめた。


「三か月前。ちょうど、バラク殿とミナお嬢様が初めてお会いになった翌日に、妻が失踪しました」

「奥さん!?」


 初耳だった。ロドスタさんって結婚してたんだ。

 地球みたいに結婚をしたら指輪を交換するというようなしきたりがないから、この世界では既婚か未婚かは外見だけでは判断できない。確かにロドスタさんは五十歳近いし、そこそこのイケメンだから結婚していないのはおかしいと思っていた。けれど、エルディック家には住み込みで働いていたし、女性の影もなかったから未婚だと思ってた。


「へ~、奥さんって美人? どんな人?」

「美人ですよ。金髪に茶色の瞳で……」

「待て待て。今その情報は必要ないだろう」

 バラク様が慌てて止めに入った。そういえばそうだった。イケメンの奥さんって興味あるじゃない? 思わず聞いた私が悪いわけじゃないのよ。秘密にしていたロドスタさんが悪い。


「それで?」

「陳腐な脅しです。誰にも言わず、こちらの要求を呑めというものです」

「なぜ相談しなかった? 俺が誰かに話すとでも思ったのか?」

「相手は名前こそ明かしませんでしたが、ダイツで間違いありません。王宮の奥深くに住む相手です。話したところで、手の届く相手ではありません。あなたの重荷になるだけだと思い、申し上げませんでした」

 バン様の目が私に向く。私はうなずいて今の言葉に嘘がないことを伝えた。瞳にあるのは憤りと怒り。

「どうして脅しているのがダイツだってわかったんです?」

 その問いにロドスタさんは呆れたような視線を寄越して笑った。

「ある男が使いとしてやってきました。名乗りませんでしたが、見当は付きました。特徴を教えていただいてずいぶんと探し回りましたからね。バラク殿もご存知の男ですよ」

「! 髭面かっ」

 ハッとしたようにバラク様が叫んだ。それにロドスタさんが大きくうなずく。


「町中を探しても見つからないわけだ。王宮の中はさすがに探しはしないからな」

 悔しそうにバラク様が呟く。罪人を王族が匿っていたなど、悔しいだろう。バン様を見れば下唇をかんでうつむいている。血の繋がった人が親友を追い詰めた人間を匿っていたという心情は、私では計り知れない。


「それで、ダイツは何を狙っている? ミナを襲ってダイツに何の得がある?」

「それは私にもわかりません。最初はバラク殿とミナお嬢様の関係を軽く報告しているだけでした。しかし先日、バラク殿にとってミナお嬢様がなくてはならない大切な方だと報告した途端、殺せと命じてきました」

「殺せ? 攫えの間違いではないのか?」

「いいえ。命を奪えと言われました。ですが、ミナお嬢様はバラク殿の大切な婚約者。私に殺せるはずがありません。ですから攫ってどこかに匿おうと思いました。パルオットも子供に使用するのは危険だと聞いていたので、ミナお嬢様には使えませんでした」

「どうして首を絞めたの?」

「それは………」

 言いよどんでロドスタさんはちらりとバラク様を見た。


「バラク殿が来たことは気配で察知しました。私にとってもバラク殿が来るのは想定外。かなり焦りました。ミナお嬢様を連れて逃げれば間違いなく追ってくる。パルオットを使って逃げようと思ったのはこの時です。ですが、バラク殿ならば薬など気にせず躊躇なく追ってくるだろうと思いました。ミナお嬢様を危機的状況に追い込んでからでなければ、あなたから逃げおおせる自信がありませんでした。なので致し方なく首を絞めました」

 濃紺の瞳がかすかに揺れる。私はそれを見逃さなかった。

「嘘ついたわね!」

 私は叫んでロドスタさんの顔を両手で挟んだ。唇を近づけようとしたら、ロドスタさんが私の顔を両手で挟んでそれを寸前で阻止した。


「申し訳ありません。嘘を申し上げました。訂正しますっ。ですから、どうかキスだけはご勘弁を」

「嘘ついたらキスするって言ったでしょ! それとも何? 私とのチューは嫌なの」

「冗談抜きでバラク殿に殺されます。罪を裁かれるならともかく、嫉妬で殺されたくはありません!」


「ミナ。ロドスタが嘘をついたのはわかった。放してやれ」

「なによ。チューの一つくらい、男なら受け取れっての」

「いや、婚約者の立場が泣くからやめてくれ」


 バラク様が泣きそうな声で言ったので、私は仕方なくロドスタさんから手を離した。

「それで、今の言葉のどこに嘘がある」

「最後の部分。致し方なく首を絞めたって言ったとき」

 わずかにロドスタさんの目が開く。

「あなたは本当に嘘を見抜けるんですね。あんなわずかな嘘がバレるとは思ってもいませんでした」

「ロドスタ、真実は?」

「え? ここでお話ししてもよろしいんですか?」

 ロドスタさんの目が私に向く。その目が楽しそうな色を湛えている。この色は私をからかうときに見せる瞳だ。私はあわてて止めようとしたけど、バラク様が先を促した。


「当身ではすぐに気付きます。気道を数瞬ふさいで気絶すれば、しばらく目を覚ましません。気を失ったお嬢様を介抱しているうちに、あんなことやこんなことをして二人が結ばれるのではないかと」

 私は真っ赤になってロドスタさんの頭にチョップを叩き込んだ。

「その点は感謝している」

「そこの怪獣、黙りなさい!」

 バラク様まで手が届かないので、ロドスタさんにチョップを入れる。


 私は再びソファに座ってロドスタさんを見上げる。紺色の瞳にはもう何の感情も見えない。あるのは静かな光だけ。すべてを吐き出してすっきりした感がある。


 私は小さく笑うと、ロドスタさんもわずかに口角を上げた。

「話をまとめると、結局のところダイツ公王が悪いんじゃない。あいつを摑まえれば一件落着でしょ」

「どうやって捕まえる? あいつはいつも王宮の奥にいて俺たちでは手を出せない」

「髭面からの手紙は残してあります。ミナお嬢様の歯型という決定的証拠もそろっているのです。私を突き出せばいいのではありませんか」

「おそらく君が証言しても無駄だろう。叔父上につながる確証にはならない。知らぬ存ぜぬを通せば、髭面とて切られる」

 バン様の言葉に拳を握った。ロドスタさんは本当にトカゲの尻尾。ダイツ自身は命令を下すだけで罪を被るのはいつも下っ端。髭面を摑まえたところで、ダイツまでは届かない。黒幕本人がいるのでは私はまた命を狙われかねない。


 どうしようか。私はうつむいて自分の拳を見つめた。その先のオレンジ色のスカートが目に映る。オレンジ色。この間作ってもらったドレスと同じ色。


 あっ!


「捕まえられるんじゃない?」

 私はあることを思いついて呟いた。

「どうやって? 王宮に忍び込むのは無理だぞ。必ず騎士の誰かに見つかる」

「忍び込む必要はないじゃない。だって、堂々と王宮に行ける理由があるもの」

 騎士たちの目を掻い潜る必要はない。堂々と正面入口から入る方法がある。しかもその日まであとひと月半。準備期間は十分にある。



「年末の夜会か!?」

 バラク様の言葉に私は大きくうなずいた。









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