事件は少女誘拐
茶色い瞳、黒く短い髪。顔の傷は近くで見ると結構痛々しい。よく見れば首のあたりに火傷のような跡が見える。
どこで何と戦ったんだ、この人は。
バラク様はこちらを見上げたまま呆然としている。唇が薄く開き、また閉じる。鯉のようだと思った。苦笑してさらに首をかしげて見せた。あくまでも可愛く、おしとやかに。
「どうかしました?」
「あ、いや」
バラク様は首を振って立ち上がった。立ち上がると思いのほかデカい。いや、座高も結構あるなとは思っていたけれど、立つと壁みたいだ。たぶん二メートルを超えている。それに対して私の背丈はバラク様のおへその少し上あたり。顔を見ようとすれば首を真上に向けなければならない。
う~ん。この体勢ちょっと辛い。
と思ったら、バラク様は急に私の前に膝をついた。無理に首を上げなくてもバラク様と目線があう。私はほっとして笑みを浮かべた。
「お待たせしてしまって、申し訳ありません」
本人と気付かなかったもので、とは口が裂けても言わない。ヒョロ男が逃げるところをしっかり目撃してましたよ、と内心で思っていても口にしない。今の私はおしとやかなお嬢様だ。押し倒して既成事実を作るまでの我慢。
「いえ、それほど待っていません。それに、ここは木陰になっていて涼しいですし」
バラク様が騎士らしく気の利いた言葉を口にする。それに木陰を作っている樹を見上げた。
湿気を含んでいない風が二人の間を吹き抜けた。さわさわと木の擦れ合う音がする。耳を澄ますと鳥の声も。
「本当。涼しいですね」
思わずそう答えた。昼前の公園って、平和だなあ。
って、違~う!
そんな平和な出会いじゃないのよ、これは。目の前の騎士師団長を押し倒すための決戦場なの。私は自分に気合を入れるために、人知れず握り拳を作る。
視線をバラク様に向けると彼もこちらを見ていた。その瞳が懐疑心で一杯だ。私が件の婚約者なのかを怪しんでいるんだろう。まあ、こんな子供みたいな姿じゃ当然か。
「あの……ミナお嬢さんですか?」
ほら来た。
「はい」
私は慎ましく答える。
「本人?」
「はい」
「本物?」
「はい」
率直な疑いの言葉に私は苦笑した。私がこんなに本人だと認めているのに、バラク様はいまだに疑問の眼差しで私を見ている。その素直に感情が現れる瞳に少しだけ良心が痛む。こっちは押し倒す気満々の腹グロ女なのに。
視線から逃れるようにうつむいた。自分の顔が赤くなっているのがわかる。赤いのは緊張か、それとも罪悪感か。
「子供……みたいですよね、私。これでも二十八歳なんですよ。こんなだから、求婚してくださる方もいなくて、結局こんな年まで独り身で。お恥ずかしい限りです」
「あ、いや、こちらこそ申し訳ない。疑うようなことをしてしまって」
顔が赤いことをいいことに、恥ずかしい様子を見せながらそう言う。するとバラク様は慌てて謝罪の言葉を口にした。こんな傷だらけの顔で体がデカくてもやっぱりそこは騎士。基本女性に優しいから、ちょっとしなを作れば簡単に引っかかってくれる。
チョロイなぁ。
あ、いやいや。引っ掛けるのが目的じゃない。あくまで最終目標は押し倒して既成事実。とにかく家に来てもらわねば。
「あの……」
よかったら家で私を押し倒しませんか?
違う違う。家でお茶でも、と言おうとして顔を上げた瞬間、モンスターの鳴き声のような音がバラク様のお腹から聞こえた。
私は目を開いてバラク様のお腹を見つめた。今の音って、いわゆる腹の虫? どれだけでかい虫を飼ってるんだ。いや、虫なんて可愛いものじゃない。きっと怪獣だ。口から光線を出すような怪獣に違いない。そのうちこの人の口からも光線が出るんじゃなかろうか。
そんな想像をして、私は思わず噴き出した。
「その、良ければ食事に付き合っていただけませんか?」
照れたようなバラク様。傷だらけの顔が少し赤い。案外可愛いところもあるじゃない。
「はい。喜んで」
私は笑ってそう答えるとバラク様が右手を差し出してきた。やはりというか、手もデカい。私はその大きな手に左手を重ねる。本来は右手なんだろうけど、ここで右手を出すと握手になってしまう。立ち上がって手が離れてしまうと、歩くときに手を繋ぎなおしてくれるとも限らない。
ボディタッチはさりげなく、そして確実に!
壊れ物を扱うようにそっと握られる。うん。こういうところは、さすが騎士だね。
バラク様が立ち上がった。再び私の前に壁ができる。
「…………」
「…………」
何だろう、この違和感。明らかに恋人同士ではないよね。だらんと下げられた大きな手にひっしと掴まる私。
左側を見上げるとバラク様もこちらを見下ろしていた。たぶん同じことを考えている。親子か、はたまた人攫いか。
「い、行きましょうか」
引き攣りながらもそう言ってくれる。私もできるだけ笑みを貼り付けながらうなずいた。
そうして歩き出した時、背後からいくつもの足音が聞こえてきた。何か騒動だろうか。野次馬根性が顔を出す。が、慌ててそれを引っ込める。
今の私は狩人。獲物を手にしているのに他のことに目を移しているときじゃない。獲物をこのまま家までお持ち帰りしなくては。
けれど、その努力はあっけなく私の旺盛な好奇心の前に霧散した。
「あ、いた!」
声が掛けられるとほぼ同時に振り返ってしまった。エスコートしてくれていたバラク様も私に引っ張られてか足を止める。
何の事件? 誰が犯人?
振り返った先にいたのは、さっきベンチに腰かけていたヒョロ男。荒い息を吐いているのに顔面蒼白で、目を見開いて私を見ている。
え、なに? 私?
お持ち帰りは禁止なの? それとも女が男を押し倒すのは罪になるの?
いやいや、まだ押し倒してないから。公然わいせつはまだしてないわよ。これからなんだから邪魔しないでよ。
そんなことを考えている間にも、ヒョロ男はバラク様を指さして叫んだ。
「あの男です!」
私じゃなかったと一安心も私は青ざめた。ヒョロ男の後ろから現れたのは、騎士服をまとい腰に剣を佩いた金髪の騎士。すらりとした長身の美丈夫。その顔に笑みは浮かんでいるものの、青い瞳が厳しい目でこちらを見ている。その後ろにも数人の騎士が続いてきている。
突然、ヒョロ男と騎士の姿が見えなくなる。私の前に壁ができたのだ。いや、違った。バラク様だ。彼が私と騎士たちの間に入ってくれたのだ。
庇ってくれたんだろうか、私を。
少し嬉しい。こんな扱いは初めてだから、ほんの少しときめいた。でも計画は変えないわよ。
トキメク女は恐いんだから。必ずモノにしてやるわ!
見上げたバラク様の背が離れる。ついて行こうか悩んで、私は大人しくその場で待機することにした。考えてみればバラク様も騎士。悪いことをするわけがないので、勘違いか手違いか間違いかだろう。
「またお前か。休暇の度に市民を脅かすな」
金髪騎士の声が聞こえてきた。姿はバラク様の体の向こうにあるので見えない。
「不審な男が公園にいるとの報告があってね。君が非番の日だから、もしかしたらと思って僕が来たのは正解だったようだな。それで、君は少女誘拐を現在進行中かい?」
「阿呆か! 俺が誘拐犯に見えるのか」
「バラク・アイヤス君。そろそろ気づいてくれたまえ。君が少女を連れまわしていれば、誘拐犯にだって間違えられる」
ああ、やっぱり勘違いだった。
私たちってやっぱりそういう風に見えるんだ。というか、私って誰から見ても少女にしか見えないんだ。二十八歳なんだけどなあ。若く見られるのは嬉しいけど、子供に見られるのは正直に嬉しくない。
しかし、あの騎士は誰だ?
私は少しずつ右に移動して様子を盗み見た。バラク様とは違う、およそ騎士と言えばこうだろうという体裁を整えて詰め込んだような男の人。身長はバラク様より低くて百八十強。それでも十分高いんだけど、バラク様と比べると低く見えるのよ。その後ろにいるヒョロ男。更にそう向こうには騎士が数人控えている。バラク様がヒョロ男に視線を向けると、ヒョロ男はビクッと体を震わせた。
この人、見た目以上にヒョロ男だ。
「通報ありがとうございます。しかしこの男はこう見えて王国騎士団の一人なのです。凶悪な姿形ですが、無害です。どうかご安心を」
うわぁ、散々な言われようだよ、バラク様。
確かに恐い顔と大きな体をしているけど、私の中でバラク様はすでにデフォルメされた怪獣さん。アンギャーと言いながら歩き回っても、どこか抜けているキャラクター。傷だらけの顔で大きくても怖くはない。
ヒョロ男は私と違ってまだバラク様が恐いのか、びくびくしながらチラチラ見ている。恐いなら見なきゃいいのに。
まだ騎士たちが話している中、そろそろと私は元の位置に戻った。野次馬根性で見ていたことを悟られたくない。私は淑女ですから。
「俺の容疑は晴れたんだろ? もう行くぞ」
元の位置に戻ったところでバラク様がこちらを振り返る。
ぎりぎりセーフ! 大丈夫、バレてないはず。が、こちらに歩み寄ろうとしたバラク様の肩を金髪騎士が掴んだ。と思ったら、バラク様の耳元でひそひそと話をしだした。青い瞳が私を見ている。その眉間には皺が寄っていた。
げっ! バレた。やるな、金髪騎士。私の正体を見破ったか!
私を擁護してくれているんだろう。バラク様が同じようにひそひそ言い返している。それに金髪騎士の瞳がやや見開かれ、私の顔をガン見してくる。
品定めか。品定めだな?
にっこりと営業スマイルを浮かべたら、バラク様が金髪騎士の頭を抑え込んだ。ようやく金髪騎士の視線が外れたことでほっと息をつく。安心したところに、金髪騎士があでやかな笑顔を浮かべながらこちらにやってきた。あの笑顔が危ない。油断させておいて、こちらの猫かぶりを引きはがす気だ。
金髪騎士は私の前に膝をつくと、その青い瞳で見つめてきた。負けてなるものかと見つめ返す。興奮で頬が紅潮してくる。ポーカーフェイスができない自分が恨めしい。
「初めまして。バン・キャラックと申します。バラクとは友人であり、騎士としての戦友でもあります」
名乗りという軽いジャブがきた。この後にフックかストレートが待っている。私も軽くジャブを返すために淑女らしくスカートをつまんで挨拶を返す。
「あ、初めまして。私、ミナ・エルディックと申します」
次いで後ろに立つバラク様に視線を向ける。
「あの、何かあったのですか? 急用でしたら、私、今日は帰ります」
どうだ、淑女らしく仕事を優先してやったぞ。非常に残念だが、押し倒すのは後日でもいい。今はこのバンという私の正体に気付いた男を退散させなくては。
「いえ、たまたま辺りを巡回していましたら、バラクを見つけたので声をかけただけです」
重いジャブがきた。内心思わずグフッと声が漏れる。
嘘丸わかりじゃない。明らかに不審者を捕えに来たでしょうが! 実際そう言ってたし、聞こえていないとでも思ったんだろうか。
しかしこの流れはいい。バラク様と私を引き離す作戦でもないようだ。もしかしたら私の正体に気付きながら、バラク様を差し出す気かもしれない。三十の男に襲い春……いやいや、遅い春を送ろうという気だろうか。
真意を確かめようと青い瞳をじっと覗き込む。楽しんでいるような光がそこに見えた。それと少しの忠告めいた表情。
公然わいせつは駄目だが、家にお持ち帰りはOKと見て取った!
「こいつは気の利かないところもありますが、根はいい男です。どうかよろしくお願いします」
おおっ! さらに襲ってもいいよサインまでもらえた。思わず頭を深々と下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
何だ。案外いい奴じゃない、バン様って。ジャブが二回も来たから次のストレートに構えていたのに、相手が白タオルを投げてきた。しかも人身御供を差し出して。
ふっふっふっ、鬼に金棒じゃない。期待通り襲ってやりますとも!
にやけそうになる表情を引き締める。そんな私に軽く目礼し、バン様は立ち上がるとバラク様の横をすり抜けて去っていく。騎士たちを引き連れていくその背中があまりにもスマートで格好良く見えてしまう。
バン様万歳。よっ、スマートだね! 騎士らしいね。カッコいい、ヒューヒュー。
バン様の背中を見つめ、心の中でよいしょする。バラク様はそんなバン様の背中を何が気に入らないのか、ずいぶん長いこと睨みつけていた。
ふと見上げると、バラク様が私を見下ろしていた。その表情が少し硬い。
「あの?」
「あ、いや。すみません。お待たせしてしまって。行きましょうか」
問うと引き攣った笑いを浮かべながら、先ほどと同じように手を差し出してくる。私は内心首をかしげながらもその手に手を重ねた。握られた手を引かれ、歩き出す。
うん、大丈夫。予定通りのはず。予定通りでいけるはず。
食事→お家に誘う→襲っちゃうよ~!
ここまで読んでくださりありがとうございます。
だんだんミナの本性が出てきました。当初と変わっていくさまが、書いていて面白いです。
押し倒し計画はまだ続きます。ミナの奮闘ぶりにご期待ください。