執事と紅茶
5章再開です。
ミナ・エルディック様
最近、特に忙しい。近況報告は悪いが書けない。警護や訓練については外部に出ぬよう徹底している。漏らすわけにはいかない。
また手紙を書く。
バラク・アイヤス
これが婚約者に出す手紙?
私はバラク様からの手紙を放り投げた。そのまま机に突っ伏す。
元気かどうかの近況報告を書けと手紙を書いたのに、その報告すらない。誰が警護とか訓練とかの部隊報告をしろと言ったのよ。そんなことこっちだって知りたくないっての。
私がバラク様のお屋敷に招かれてから二か月たつ。バラク様は訓練と夜会の準備でかなり忙しいらしい。私も商会の仕事が立て込んでいて、なかなか思うように休めない。
カリナの生まれ故郷の町だけでは生地の生産が間に合わなくなってきた。なので新しく生地の製法を伝える町か村を探しているんだけど、生地の織り方がバレるような場所ではマズイ。厳選に厳選をしなければ、エルディック商会が築いたものを失ってしまう。もちろん、カリナのデザインを好んでくれる人も多いけど、やはり魅力はこの独特の織り方をした生地。糸をわざと縮れさせるという技法は、この世界では考えられないらしい。確かに縮む心配もあれば水にも弱い。でもその分しなやかな手触りと染付の良さがある。
年末の夜会がひと月半後に迫っているため、ドレスの仕上げでカリナや針子たちは動けない。製法伝達の町か村探しは両親が担当している。二人であちこちに出かけることも多くなった。時には遠いところまで何日もかけて行くこともある。そのため、両親が担当していた仕事を私が引き継いでやっている。両親がいないこともあり、一人で家にいるのが不用心なためと店と自宅とを往復する時間がもったいなくて自宅に戻らず、店の裏の屋敷で泊まり込む日々も続いている。
忙しさでバラク様が頭から飛ぶこともある。手紙を見て思い出すという有り様だ。
「私、本当にバラク様のこと好きなのかな?」
私は一人呟いた。
バラク様のお屋敷に泊った翌日、私は彼に恋をしたと思った。ドキドキしたし、凄く素敵だと思った。だからほっぺにチューをしたわけだが、ちょっと曖昧になってきた。
恋愛ってさ、難しいよね。どうすればその人に恋してるってわかるんだろう。
漫画とかだと、彼のことを思い出して眠れないとか、食事も手につかないとか、思い出すだけでドキドキするとか。
秋も終わって冬も近いのに、私はぐっすり眠れるし、食欲だって旺盛だ。バラク様のことが頭からすっ飛ぶこともある。忘れてたことを思い出してドキドキすることはあるけど、あの顔と体を思い出してのドキドキはない。
「吊り橋効果……かな」
リリア様の背中とバラク様の体の傷を見て心臓が痛くなった。いつもは見ないような自主練での真剣なバラク様を見た。鋭い視線を向けられてビクッとなった。いろんな意味でドキドキはしたよなあ。
ま、恋してないからといって手放す気はないけどね。
チャンスは逃すな! とはカリナの言葉。でも私の意志でもある。
楽しい家族計画。
なんか、どっかの安っぽい広告みたいね。言葉は安っぽいけど、決意は固い。
「とりあえず、返事の手紙書こ」
私はペンを取った。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
「あ~、う~……」
一応言っておくけど、ゾンビではない。
私は荷物を抱えたまま、家の影から通りの向こうを覗いていた。場所はバラク様のお屋敷近く。前は馬車で来たけど、仕事が久しぶりにお休みのこともあって散歩がてら歩いてきた。
感想。
遠いっ。馬車が正解! 昼に家を出たのに今は日昳正刻、つまり午後二時。一時間半かかりました。馬車なら三十分くらいだったのに私の足、遅っ。というか、お城ってあんなに大きいのね。回り込むだけでえらい時間がかかった。町の中でタクシー代わりの馬車が通ってる理由がよくわかる。帰りは馬車に乗って帰ろう。
で、私は一体何をしているのか。
バラク様とリリア様の服が仕立てあがったのだ。結局マダレイ様の採寸ができないまま、二人の服だけが仕上がった。昼前に疲れた顔のカリナが渡してきて、さっさと納めてこいと背中を押された。リリア様のドレスは年末の夜会に間に合うようにと急がせたからね。無理いった分、私も断れない。まさかバラク様の分まで仕立てあがるとは思わなかった。
でね、
バラク様の屋敷の近くまで来たのはいいんだけど、門の前に強面の門番がいるのよ。前来た時は全然気付かなかった。
門番は、バラク様ほど体は大きくない。顔に傷だってない。でもね、やっぱり剣を差して仁王立ちしてる男の人って怖いよ。目つきも鋭くって、視線で人が石になりそう。訓練場の見張りも恐い顔はしてたけど、騎士っぽくてまだ良かった。でも屋敷の門番は目線に凄味がある。日本でいうところのソッチ系とかアッチ系の人みたい。
どうしよう。このまま届けずに帰ったらカリナに張り倒されるに違いない。
「頑張れ、ミナ!」
自分に気合一発。
私は通りに踏み出し、強面門番の前で立ち止まった。見上げると見降ろしてくる茶色の瞳。やはり目つきが鋭い。正直にチビリそう。
「バ……」
バラク様は御在宅でしょうか。
「バ……」
バラク様に服をお届けに来ました。
「バ……」
バラク様に取り次いでいただけないでしょうか。
鋭い目つきで睨まれて、言葉が思うように出てこない。門番が私に視線を向けたままゆっくりと目を細めた。
「バババ?」
「違うっ!」
思わず突っ込んでハッとする。ちらっと見上げると目がさらに細まってた。恐い、物凄く恐い。門番の右手が私に向かって伸ばされる。思わず目をつむったら、頭に軽く手を置かれた。
「確か、バラクの婚約者殿たったね」
見ると、目を細めて恐い視線のまま私の頭を撫でていた。その口元がかすかに笑っている。もしかして、この目を細める行為は笑う行為とイコールなの? とてもそうは見えないけど、頭を撫でる手つきは優しい。
というか、婚約者だってわかってるのにこの対応はどうなの。淑女ですよ、私は!
「あの、バラク様は御在宅では……ないですよね」
「ああ。今朝も早くから出かけて行った。急用なら早馬を用意するが」
「いえ、違うんです。仕立てあがった服をお届けに来ただけです」
「そうか。しかし今はマダレイ様もリリア様もおられない」
言葉に私は眉を下げた。
リリア様いないんだ。少し残念。仕立てあがったドレスはカリナのデザインの元、とても素晴らしい出来になった。リリア様と二人でキャーキャー言いたかったのに。
せっかく来たけれど、出直したほうがよさそうだ。
「では、また後日伺います」
「いや、待った。そういえば、ロドスタがいる」
ロドスタ? 初めて聞く名前に私は首をかしげた。
「この屋敷の執事だよ。あいつに預ければバラクに間違いなく届く」
門番が言って門を開けてくれた。
「ノッカーを叩けば執事が出てくる。俺はここを離れるわけにいかないから、申し訳ないが一人で行ってくれ」
「はい。ありがとうございます」
門番にお礼を言って庭に入った。しかし、何というかあの門番。この屋敷で雇われているのにバラク様のこと呼び捨てにしてたな。いいのかな。そういうもんなのかな。私の家には門番も執事もいないのでよくわからない。まあ、マナーができないと豪語した騎士がいるくらいだ。そういうものなのかもしれない。
綺麗に剪定された庭を進む。アイヤス家の庭は結構広い。秋が終わって冬が近いせいか花は少なめ。春になったら綺麗な花が咲き揃うんだろう。足が不自由なリリア様への心遣いに思えた。
その庭を抜けた先の玄関。
第二関門である。
門番さんは言いました。ノッカーを叩け、と。そのノッカーの位置が私のはるか頭上にある。なぜ大人サイズの高さにノッカーがあるんだ。この屋敷に子供は尋ねてこないのか。
仕方なく扉部分をノックしようとしたら、勝手に扉が内側に開いた。
「?」
視線の先に足がある。黒いズボン。視線を上にたどると黒のスーツをビシッと着こなした男性。その姿は一目見ただけで執事とわかる。オールバックの金茶の髪、紺色の瞳が驚いたように私を見下ろしている。たぶん噂のロドスタさん。当然のごとく背が高い。
「これは、これは。エルディック家のお嬢様でしたか。ようこそお越し下さいました」
ロドスタさんが優雅な動きで頭を下げる。その行動がバン様に似ていて少し笑えた。
「こんにちは。リリア様とバラク様の服が仕立てあがったのでお届けに参りました」
「ミナお嬢様自ら来ていただけるとは光栄です。ですが、ただいま主ともども出かけておりまして、屋敷には私しかおりません」
「では、お預けしますので、お渡し願えませんか?」
「承りました」
一抱えもある紙の包みをロドスタさんに渡す。私にとっては一抱えもあるのに、ロドスタさんの手に移ると小さく見える。必死に抱えてもってきたのに、体の大きい人はいろいろと羨ましい。
「今は私しかおりませんが、それでもよろしければお上がりになりませんか? 私も一人では寂しいもので、話し相手になっていただければ嬉しいのですが」
ロドスタさんの申し出に、私は内心万歳。正直に足が疲れている。どこかに座りたい気分満々。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます」
答えると少しだけ意外そうな顔をした。首をかしげるとにっこりと笑みを浮かべて玄関の扉を引いてくれる。
「何のおもてなしもできませんが、どうぞ」
ロドスタさんの横をすり抜けて、遠慮なく上がらせてもらった。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
マダレイ様とリリア様はメイドを伴って買い物に行ってるらしい。久しぶりに夜会に出席するため、いろいろと揃えなければならないらしい。それでも、あまり外出しなかったリリア様が外に出るとのことで、アイヤス家は皆喜んでいるみたいだ。
でも会えないのはやっぱり残念。
ロドスタさんに案内されたのは応接室だった。ゆったりとしたソファにかけて紅茶を頂いた。茶菓子に出てきたのは甘いクッキー。両手で口に頬張りたいくらいに美味しい。
でも我慢。一応淑女ですから。それでも手は勝手にクッキーに伸びる。私の食いしん坊め。でも、美味しい! やめられない。
「そういえば、以前ミナお嬢さんが持ってこられた紅茶、とても素敵な香りでしたね。どこでお求めになられたんです?」
クッキーをボリボリしているとロドスタさんに聞かれた。慌てて口の中のクッキーを飲み下す。
「大通りの露店に時々売りに来る行商の方からです。紅茶のほかにも薬草とかを扱っていて、私その方の薬草のファンなんです。あの紅茶は珍しい……え~と、確かパルオットという花だったと思います」
「パルオット?」
「はい」
「そうですか」
ロドスタさんはそう言ったきり口をつぐんだ。何かを考え込んでいるようなので、声をかけるのが躊躇われる。見られていないのをいいことに、またクッキーに手を伸ばす。
「私も紅茶が好きなのでぜひ購入したいのですが、露店はたくさんありすぎて見まわるのに時間がかかってしまいます。仕事柄あまり時間をかけたくはないので、その行商の方の特徴などを教えていただけませんか?」
「もちろん、いいですよ」
個人情報保護法。そんなものはこの世界にはありません。
「肌は褐色で、頭にターバンを巻いて顎に髭をはやしてます。あとすごく特徴的なのが瞳の色です。緑色なんです」
「緑、ですか?」
「はい」
私はうなずいた。
この世界の人は、瞳の色が赤系か青系に分けられる。私みたいに黒い人もいるにはいるけど稀。もっといないのが緑。緑色の瞳を見たのはあの行商のおじさんだけ。ヒスイのようにきれいな瞳は本当に珍しい。
「今度はいつ来られるでしょうか?」
「この間来たのが十一月十日だったと思います。今日が十二月五日なので、たぶんそろそろ来るころじゃないかと」
私のお肌に使う薬草もそろそろなくなりそうだし、来てほしい頃なんだけど。私も毎日露店に行けるわけじゃないから会える確率はかなり低い。
「ふむ」
ロドスタさんがまた黙り込む。何を考えているんだろうと紺色の瞳を覗き込む。大学の時に養った感情を読み取る感覚はいまだに健在。目は口以上に物を語るから、無表情でない限りはだいたい読める。
思慮深い瞳の中にあるのは困惑とわずかな焦り。その瞳が私に向いた時、固い決意が見えた。
そんなにパルオットが欲しいのかしら。確かにすごくおいしかったけど。今度見つけたらロドスタさんにも分けてあげよう。
「ところで、エルディックご夫妻は本日御在宅ですか?」
「いえ。両親は今仕事で別の町へ行っています。帰ってくるのは明日の夕方の予定です」
製法を伝える町を探すため、今回は隣国近くの町まで行っている。王都からあまり遠いのはどうかと思うけど、製法がバレてしまうのはもっとマズイ。
「確か、エルディック家には執事もメイドもいませんでしたね。今お一人であの家で寝泊まりを?」
「いいえ。今は店の裏の屋敷にいます。荷物とかを取りに帰ったりはしますけど」
そういうと、ロドスタさんはほっと息を漏らした。
「ならば少し安心ですね。ですが、できればあまりお一人にはならないで頂きたい。夜に女性一人で過ごすには、あの家は大きすぎます」
「大丈夫です、慣れてますから。料理も掃除も洗濯も結構得意です」
かまども井戸も使い慣れたもの。一人でもちゃんと自炊できる。胸を張って言ったら微妙な顔をされた。箱入りお嬢だと思われてるのかしら。
「あ、そうだ。手紙を持ってきたんです。バラク様に渡していただけませんか?」
今日書き上げたばかりの手紙をロドスタさんに渡す。
「承りました」
「あの、バラク様はお元気ですか? 手紙にはそういったことが書かれていなくて、お忙しい方なので体調とか崩されていないかと心配で」
「体調は万全ですよ。今朝も早くから起きだして王宮に行かれました。ただ、ずっと気を張っている状態なので、適度に息抜きをしていただきたいものです。お嬢様からの手紙とこの服を見せれば、少しは気がまぎれるでしょう。というよりも、眠れないかもしれませんね」
おかしそうに笑うロドスタさんを見て、私はちょっと呆れてしまった。手紙の返事を書くのに、バラク様は夜も眠れないほど考えるんだろうか。あんな短い文章なのに。
とにかく、元気でいるならそれでいい。病気を寄せ付けなさそうな体だけど、そういう人が一度寝込むと精神的に落ち込むらしい。お兄ちゃんも健康体だったから、三十七度九分の熱で寝込んだとき「俺はもう死ぬ」とか言ってた時があった。確かあの時は遺言まで書いてたような気がする。三日もたてばすぐに元通りになったけど。
私は紅茶を飲みほしてカップをテーブルに置いた。結構話し込んでしまっていた。来てから一時間ほどたっている。
「紅茶ありがとうございました。とてもおいしかったです」
「いいえ。何のお構いもできず、申し訳ございません。リリア様もお嬢様にお会いしたいと申しておりましたので、またいつでもいらしてください」
「では、皆様によろしくお伝えください」
「はい。どうか、お気を付けてお帰りください」
玄関先で優雅に一礼されて、私も淑女らしく膝を曲げて挨拶を返した。門番さんに声をかけてるとまた頭をなでられた。
足はゆっくりとさせてもらったおかげで、随分と楽になった。それでもやっぱり馬車で帰ろう。
空を見上げれば西に傾いた太陽が雲間に隠れていた。今夜あたりから雨になるかもしれない。暗くなり始めた空を見上げながら、私は家路を急いだ。
この世界の1週間は1日~7日です。週末は7の倍数の日付という考え方です。




