銀世界の番人
2013/10/23
内容修正、一部改稿しました。
まっしろい世界。
まっしろな雪。
雑音は雪に飲み込まれ、しんしん、しんしんという音が世界を満たしていた。
「さむいね」
ヘズがそう言うと、
「うん、今日は一段と寒い」
という返答。
その度にヘズは嬉しくなって後ろを振り返る。
まっしろな世界の、ただ一つの異端。彼はまっくろな髪にまっくろなコート、まっくろな手袋をしている。
いつの間にかヘズの傍らにいた、大事な友人だ。
「ヘズはいつも元気だな。俺は南の出身だから、寒いのはきつい」
「みなみ? みなみは寒くないの?」
「寒くないな。むしろ暑いくらいだ」
「あつい? よく分からない」
「あんまり寒くないときにコートを着ていると、脱ぎたくなるだろう? そういうのを暑いっていうんだ」
まっくろな友人は色々なことを知っている。
あつい、くろい、みなみ。
ヘズにはよく分からないそれを、まっくろな友人は根気強く教えてくれる。
だからヘズは、少しだけ物知りになった。
ヘズはずっとまっしろな世界にいた。
昔のことはよく覚えていない。気がついたらこの世界で一人ぼっちだった。
ヘズに教えてくれる人は居なくて、多くのことを知らないまま過ごした。
でも、今はまっくろな友人がいて、多くのことを教えてくれる。
知ることは、楽しい。だから、まっくろな友人は好きだ。
友人のことを知ることも楽しい。一番楽しい。だから彼についての内容は大体覚えている。彼の名前とか。
「ね、アサキ。アサキの故郷のこと、もっと教えて?」
「……いいよ」
みなみは友人の故郷。
いつか、行けるだろうか?
***
なんで俺はここに居るんだろう。
ヘズに――彼女に請われるまま、故郷のことを話す。
とりとめもないことを。
蒸し暑く、色彩鮮やかな故郷。その都合の良いところだけを。
今は旅人をしているアサキであるが、元は軍人だった。
川の渡り方、病気から身を守る方法、異なる気候での生活に必要な知識、といったものをその時代に学び、旅の生活に生かしている。
軍人であった頃、戦争に駆り出された。
凄惨な光景を何度も目にした。
泣き叫ぶ人々、感染症にかかって死んでいく仲間。
戦場の硝煙の匂いは好きだったが、同時に流れてくる肉の焼けた匂いは大嫌いだった。
少しずつ心をすり減らし、故郷を離れる決心をしたのは五年前のこと。
身一つあれば、アサキはどこにでも行けた。
殺されそうになった。
騙されて捕まって、逃げた。
カードで稼いだ酒場は煙草と酒と生臭い匂いがした。
時には住みよい街に辿り付き、永住を考えたが、流れ者のヘズの性には合わなくて、また旅に出た。
ある時は女とややこしいことになって、街を出た。
クソみたいな世界を見てきた。
世界は厳しく、シビアで、どこまでも広かった。
旅を通して、はじめて自分が生きているのだと実感できた。
各地を回って、最後に行き着いたのがここだった。
真っ白に塗りつぶされた世界にぽつりと佇む家。そこに彼女がいた。
脆弱、という言葉が一番適している娘だった。
筋肉の薄い身体は余りにも頼りなく、ヘズのような流れ者に対して警戒心の欠片すら持たない。
ここから一歩でも出たら、あっさりと死んでしまうだろう。
寒さが厳しい気候であるため、人が寄り付かない土地。
ここの暮らし以外は何も知らない。
何故ここに居るのか、親の存在すらも。
何も知らないヘズ。奇妙で、純粋で、愚かな娘。
ほけほけと幸せそうに笑うヘズには苛立たせられることもあるが、その心根は得難いものだ。
汚いものは知らなくていい。
世界を回ってきて見てきたものはお綺麗なものばかりではない。
ヘズには耐えられないだろう。――友人である俺の過去も。
だから、今まで見てきた中で綺麗なものの話をする。
ああ、でもたった一つ。
汚くても、自分の名前だけは知っていて欲しい。
「アサキの名前、キレイ! そこに生まれたら、きっと素敵な名前を付けてもらえるね!」
どうかこれからも、何も知らないままで。
**
まっしろな世界の中にぽつりと立つ一軒家。
――ガガッ、ピー
地下からの微かな信号に、ヘズはむくりと起きた。
隣室のアサキは何も気づかなかったようで、ぐっすりと眠っている。
アサキの様子を確認し、ヘズは上着も纏わず布団を出た。
居間の台所の床を探って、目当てのモノを探す。
床板を一枚外し、出てきたモノ――声紋認証機に囁く。
「『銀世界の番人』。製品コードN-3879、個体識別番号hezu206」
がこん。
床板が沈み、出てきた階段を下りる。
間もなく現れた地下室は、埃だらけだった。錆び付いたコードが地面を這い回り、大元のコンピューターはガリガリと不吉な電子音を立てている。部屋の隅には簡素な木机があり、分厚い紙の束がその上を覆っていた。
「****年**月**日の天気を報告いたします。風速**m、風向きは**、天気は午前は曇り、午後は晴れ、夜には天気が崩れて吹雪になりました」
ヘズは淡々と画面に向かって報告する。
「****年**月**日の天気ヲ記録。来訪者、侵入者、滞在者ニツイテ報告スベシ」
「来訪者0、侵入者0、滞在者1、滞在者ナンバー3871。名前をアサキと名乗る。南の出身」
「ゴ苦労。ソノママ引キ続キ監視スベシ。ナヲコノ情報ハ本部ニ送信サレル――送信不可。エラーガ発生シタヨウデス。原因トシテハ以下ノコトガ挙ゲラレマス。*******」
ぴいががががっ。びーーーー。ぴ、ぴーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
ヘズは黙って画面を見つめた。
不快音を響かせ、響かせ、暫くした後、画面はスリープモードに入った。
「マスターコンピューター…、私はあなたに言うべきか悩みます。あのアサキという軍人の話を」
半ば壊れてしまった電脳世界の主。
最近ではエラーの後、スリープモードに入るのが常となっている、老いたコンピューター。
それに、この事実は酷すぎるだろうか。
「本部など、もう300年以上前に、大戦で消失していることを」
アサキが生まれるより遥か昔に、世界規模の戦争があった。
その大戦により、本部は消失。多くの技術が失われていった。
仲間とは交信できたが、徐々に壊れていったようで、今では誰とも通信がつながらない。
マスターはヘズの言葉が聞こえなかったようで、目を覚まさない。
マスターの眠りはだんだんと深くなっているようで、近頃はヘズの囁きでは起きなくなってきている。
いずれ、全く動かなくなる時がくるだろう。
ヘズを置いて。
「私についた保証から推測するに、おそらく200年までは生存可能でしょう。人間たちと余命が同じくなるにはまだまだかかりそうです」
同じならどんなに良かっただろう。
ひとりは淋しい。アサキと共に生きれたら、あるいは人に紛れて生きていけたなら――。
けれどもそれは叶えられない以上、意味のない仮定なのだ。
「ではマスター、おやすみなさい」
アサキに気づかれる前に寝床に戻らなくては。
ああ、言語設定、知能設定も15才に直しておかなくては。確か性格は天真爛漫で無知な設定だったな。
「――うん、じゃあ、もうねよう。おやすみなさい、アサキ」
囁いて、アサキの寝台に潜り込む。本当は自分の部屋に戻るべきなのだろうが、なんとなく、なんとなくここに居たかった。
アサキは就寝前に睡眠薬入りのコーヒーを飲んだため起きない。そうしないと眠れないと零していた。気配に敏感なせいもあるのだろうが、きっとそれだけではない。
『――ホンブっていう建物…っと、今は廃墟なんだが、大きな樹が中心から伸びていて、夏になると廃墟全体が緑に包まれる。あれ見ると、夏が来たなって思うな』
日中の会話がふと脳裏を掠めた。
ああ、それはきっと
――目が眩むほど、美しい光景だろう。
(きっと、とても、キレイね。明日、もっといろいと聞いてみよっと)
そして、また一日が始まる。