うすべにあらし(上)
ファンタジーというよりホラーかとも思いましたが。怖いというよりは不思議系の話なんじゃないかと思ってます。
その嵐は、薄紅色をしていた。
お願いされると断れないのは、本当に直した方がいいところだというのは、わかっているのだけれど。
「他に頼めないの、お願い、預かって!」
頭を下げて頼みこまれて。
そうして今、バスケットの中から、真ん丸な瞳が、私を見上げていた。
さくら、と名付けられているというその猫は、首にピンク色の首輪をしていて、澄ました顔で部屋の中を見回した。
まるで、品定めでもしているかのように、あちらこちらを見分した後、決めた、とでも言うように、ゆっくりと歩いてゆき、絨毯の上に丸くなる。
その姿勢のまま、文句でもあるか、という瞳を向けてきて。
「まあ、おとなしくしていれば、いい」
私は、さくらが落ち着いたのを確認すると、やりかけの仕事へと戻った。
今日は休日。
とはいえ、持ち帰ってしまった仕事は、待ってはくれない。
外は、曇りのち雨、という予報がおそらく当たりだろうと思われる、薄暗さ。
新聞やテレビが、桜が見頃だと一斉に報じていたように思うが、そんな様を見る機会もないまま、この後降ると思われる雨に、打たれて今年の桜花は終わるのだろう。
時折、窓をガタガタといわせる強い風に気を取られる以外は、室内は酷く静かだった。
「にゃあ」
微かな声がして、顔を上げた。
「……さくら?」
さくらは、美形な顔立ちだ。
これが猫の世界でどう判別されるかは知らないが、人の目で見る限り、大きな瞳、形の良い鼻、つんと立った耳。どれをとっても、申し分ないと思われた。
そんな顔立ちの猫が、少し掠れたようなハスキーな声で鳴く。
「腹でも減る時間か?」
傍に寄ってきて、するりと頭を、私のふくらはぎあたりに擦り付け。
そしてまた、大きな瞳が、此方を見上げる。
「何?」
相手の言わんとする事がわからず、首を傾げると。
焦れたようにまた、にゃあと、掠れた声がした。
「猫の言葉はわからない」
お手上げだと、そう言えば、さくらは、しょうがないなという表情を浮かべる。
猫がこんなに表情豊かな生き物だとは、知らなかった。
つい、つい、と。
足音も立てずに、歩き出したさくらは、まるで、ついてこい、とでも言うように振り返る。
そしてまた、あの掠れた声を出した。
立ち上がると、さくらは、私がついて来るものと決めつけたように、迷わずまっすぐ歩き出す。
預かった手前、勝手に出て行った挙句、行方不明です、等という訳にもいくまい。
私は、あきらめて、さくらについて部屋を出た。
よく知る道を歩いているかのように、歩く猫。
そして、ついていく人間が一人。
傍から見れば滑稽な姿だったかもしれない。
背筋を伸ばしたさくらの歩く姿は、なかなか綺麗だった。
気が付けば、曇って薄暗かった筈の空は、その合間に蒼を見せ始めている。
傘を持ってくるのを忘れていたが、この分なら、少しくらいは天気はもつのだろう。
とはいえ、何処まで行くつもりなのか、さくらは、振り返りもせずにまっすぐ、目指すところでもあるかのように進んでいく。
自宅近く、まさか私も迷ったりする事などあるまい、と思っていたのだが。
街並みが、見知ったものとは変わってきて、少しだけ不安を覚えた。
「さくら」
つい、呼びかけてしまったのは、不安故。
さくらの瞳が、つ、と此方を見た。
何ビビっているの? とでも言いたげに。
「……にゃあ」
いいからそのまま来い、とでも言うように、一言だけ声を上げて。
そしてまた、さくらは、顔を前に向けてしまった。
諦めて私も、歩き出す。
猫は気まぐれと言うが、しばらくはこれに付き合うしかないようだ。