第九話 暴走と跳躍と流転
夢愛の希望で蘭たちは巷で話題の占い屋「真実の鏡」を訪れた。
占い師は夢愛の家庭事情を細かく言い当てただけではなく、蘭に眠る業虎の魂も見破ってみせた。
占い師の正体は楔の一つ、銅の手鏡に宿る妖、覚だった。
覚は漣の攻撃を容易く躱し、公園へと逃げ込んだ。
覚の後を追いかけた蘭だったが、覚の幻惑により蘭の精神が崩壊し、業虎に支配されてしまった。
覚醒した業虎は覚を一撃で吹き飛ばし、唸りを上げる。
蘭の後を追いかけた紬たちは業虎に襲われかけてしまうが、突然業虎はその場を立ち去り、闇夜に消えてしまった――
◇ ◇ ◇
漣が地面に落ちた銅の手鏡に向けて術を唱える。
「……『浄化封印』」
砕け散った筈の鏡が瞬く間に復元され、本来の透き通った手鏡に戻る。覚の気配は、もうそこにはいなかった。
手鏡を漣が回収するのを見届けた白雨が、話を切り出す。
『三人ともよく聞くのじゃ……業虎は小娘の精神を乗っ取ったが、あやつの力はまだ完全ではない……! まだ楔に封印された身体の一部を取り戻せておらぬからの……!』
「あれで、まだ全力を出せていないという事ですか……!」
漣は絶望的な現実を突きつけられ、顔をしかめた。
『その通りじゃ……奴が完全に力を取り戻せば、この町なんぞ一瞬で消し飛ばしてしまうじゃろうな……』
「そ……そんな……」
紬は神社で見た千年前の惨劇を思い出し、青ざめた。
『しかしじゃ! 奴はまだ不完全な状態! 力は無限ではない! ……そこに必ず隙があろう!』
白雨がそう言うと、ある作戦を提案した。
『今から奴の後を追い、力を使わせるのじゃ。そうして奴が力を消耗した隙に、わしと小僧が術を掛ける……しかし、わしも小僧も霊力がもう限られておる……一発勝負じゃ……失敗は許されん……』
「ま……待ってください白雨様! 力を使わせるって、一体どうやって……そんな事できるんですか!?」
紬が慌てて白雨に疑問をぶつけた。
『うむ……小僧の「卯ノ跳躍」の札を小娘二人に埋め込み、一時的に身躱しの力を授ける事が出来る……その力で奴を撹乱し、力を消耗させるのじゃ……』
「ウチらが飛び回って、蘭に力を無駄遣いさせろって……言ってるわけ……?」
夢愛が動揺し、額に汗を滲ませる。
『その通りじゃ。これは危険な「賭け」……成功するかは怪我を負っていないおぬしら二人に掛かっておる……失敗すれば、おぬしらは間違いなく死んでしまうじゃろう……』
「……」
「……クソッ、クソッ!」
あまりにも危険すぎる提案に夢愛は踏み出せずにいた。
唇を噛み締めながら何度も自身の腿を叩く。
手足の震えが、止まらない――
「私……やります」
重い沈黙を破り、紬が重い口を開いた。
「私……怖いです……うまくいくか自信もありません……でも、私は蘭ちゃんが苦しみながら闘ってる姿を何度も見てきた……! 今だってそう……! だから、私は蘭ちゃんを救いたい! やらなきゃいけない!」
「紬……」
紬の覚悟を聞いた夢愛の心に、決意の炎が灯されていく――
「ウチだって……やってやるさ! みんなが闘ってるのに、ウチだけ逃げるなんてダサすぎるっての! 絶対蘭を助けてやんだから!」
夢愛がパチンと頬を叩いて自身に喝を入れる。
『礼を言うぞ、おぬしら……! では、力を授けるぞ……!』
白雨は漣から二枚の札を受け取り口に咥えると、水色の紋様を輝かせながら念を二人に送り始めた。
ボッと札が青白い炎に包まれ、宙を舞う。その炎はゆっくりと紬と夢愛の胸に近づき、溶けるように吸い込まれていった。
あたたかく、軽やかな力が全身を伝っていく感覚――
まるで背中に翼が生えたかのように、身体の重さが消えていく。
二人は顔を見合わせた。
「す、すげー……これが漣の術の力……!」
「身体が今にも浮いちゃいそう……!」
「お前たちだけに危険な真似はさせねえ。俺も全力でサポートするぜ……全員で救うんだ、虎井 蘭を……!」
漣はバンドから新たな札を引き抜き、力強い眼差しで札を握りしめた。
『さあ、時間がない……参るぞ!』
「はい!」
「おう!」
漣が術を唱え、叫ぶ。
「『卯ノ跳躍』!!」
シュバッ!!
足から旋風が巻き起こり、身体が跳ね上がる。
三人は夜の闇へと飛び出していった――
◇ ◇ ◇
割れた窓ガラス、倒れた信号機、抉られたアスファルト。
町は怪物の通り道を示すように至る所が切り裂かれ、砕けていた。
「すごい力だ……どんどん北の方へと続いている」
紬が空を駆け抜けながら、冷静に怪物が残した道筋を分析する。
「この方角ってさァー、たしか白雨様の山の方じゃね?」
夢愛が視線を上げ、「白雨神社」のあった山を指差す。
怪物の道筋は、夢愛の予想通り山へと続いていた。
大木が薙ぎ倒され歪な道が出来ているのが、遠方からでも確認できた。
『間違いないのう……奴は神社へ向かっておる!』
「そうと決まれば話は早い。ギアを上げるぞ!」
漣はそう言うと札に力を込め出した。
見えない追い風が背中を押しだし、三人はみるみる速度を上げて空を駆け抜けた――
◇ ◇ ◇
ドガァン!バキィッ!
山奥で、大木が粉砕される音が鳴り響いている。
怪物が宛てのない破壊衝動を、大自然にぶつけていた。
三人が、怪物の前に降り立った――
怪物の放つ殺意の波動が、全身を震え上がらせる。
「蘭ちゃん……!」
紬は息を呑んだ。緊張と恐怖で喉が渇く。
『よいか……一発勝負じゃ……一撃でも食らえば終いじゃ……油断するでないぞ!』
「はいっ!」
「わかってるって!」
二人が覚悟を決めたその時――怪物がこちらに向けて剛腕を振り払った。
ズオァッッ!!
猛烈な斬撃が大地を切り裂きながら一直線に襲いかかる――
「『未ノ毛壁』ッ!!」
モワッ!
三人の前に強く編み込まれた毛の壁が立ち上がる。
斬撃は毛壁に絡め取られそのまま消滅した。
「……サンキュー、漣……!」
「礼を言ってる暇はねえぞ! 止まるんじゃねえ!」
「わかったよ――!」
紬と夢愛は地面を蹴り上げ、左右に分かれて飛び出した。
「こ、こっちだよ、蘭ちゃん!」
「べーっ! こっちだってのバカ蘭!」
『グルルァーッ!!』
怪物が怒り狂いながら飛び回る「蚊とんぼ」を振り払うように、斬撃を繰り出していく。
二人はその斬撃を紙一重で躱す。一瞬の躊躇いが命取りだ。
『ここまでは順調じゃな……』
白雨が祈るような眼差しで、飛び回る二人を見守る。
しかしピンチは、突然訪れた――
「オラオラ! どんどん力を使いな! ……あっ!」
夢愛は怪物に気を取られ過ぎて着地のタイミングを見誤ってしまい、地面を転がってしまった。
怪物は夢愛が晒した隙を見逃さなかった。
鉤爪を掲げて勢いよく夢愛目掛けて飛び掛かる――
「あっ……ヤバ……!」
「『辰ノ火焔』ッ!!」
咄嗟に漣が焔の龍を呼び寄せ怪物に業火を浴びせる。
『ガルルァーーッ!!』
怪物の身体が燃え上がり、うめき声をあげながらその場でもがき始めた。
「漣……ゴメン!」
「止まるなっつったろ! いいから、走れーッ!」
漣の叫び声を聞き、夢愛が体勢を整え再び飛び上がる。
『ガアッ!!』
怪物は咆哮を上げると纏わりつく焔を一瞬でかき消した――
「クソッ……こんな術じゃ一瞬しか止まってくれねえってか……!」
『しかし、よい判断じゃったぞ小僧……! おぬしの術が小娘の命を守ったのじゃ』
「まだ終わりじゃありませんよ……! 白雨様、そろそろアレの準備を……!」
漣はそう言うと、目を閉じて術を唱え始めた。白雨と同じ水色の紋様が、漣の身体中に浮かび上がっていく。
長い夜が終わりを迎えようとしていた。陽の光が顔を出そうとしており、夜空の端は茜色に染まりつつある。
そして力を解放し続けた怪物の動きが、少しずつ鈍重になり始める。
怪物の軸足にふらつきが現れた瞬間を、白雨は見逃さなかった――
『よくやったぞおぬし達! こちらの準備は出来ておる! 戻ってくるのじゃあ!』
「「はいっ!」」
紬と夢愛が、漣と白雨の元へと飛び移る。二人の身体から軽やかな力が抜け落ち、一気に身体が重くなる。
「ハアッ! ハアッ! ……死ぬかと、思った……!」
「私たち……なんとか生きてる……ね……」
飛び回り続けた反動が押し寄せ、二人は地面にへたり込んだ。
「お前ら本当によくやったよ……! 後は、俺たちがケリをつけるから、そこで休んでろ……」
漣が怪物を睨みつけたまま、後方の二人に激励を送った。
「信じてるからな、漣、白雨様……!」
夢愛はニカッと笑うと、二人に向けて親指を立ててみせた。
漣が残された霊力を解放し、術を唱え始めた。漣と白雨の全身が、青白い炎に包まれていく――
『グルル……ガルルァーーッ!!』
怪物が咆哮をあげると、大地を蹴り飛ばし両腕を掲げて飛び掛かりだした。
「「キャァーッ!!」」
風圧で紬と夢愛が後方へと吹き飛ばされていく。
漣と白雨は大地に根を張るようにその場に留まり、力を集中させる。
朝日が昇り、夜が明ける――
『今じゃあー! 小僧ーッ!!』
「うおぉぉぉ!! 『鎮収流転』!!」
突っ込んできた怪物に、漣が真正面から迎え討つ。
漣の放った札が、怪物の額に張り付く。
怪物の身体に水色の紋様が浮かび上がり、その巨躯を縛りつけた。
『ガァァァァ!!』
怪物が額の札を破り捨てようとするが、札は吸い込まれるように怪物の中へと沈んでいった――
「『戻って来い』ッ! 虎井 蘭ーッ! お前の居場所は、こんな山奥じゃねえだろーッ!!」
漣が怪物に手を当て、振り絞るように友の名を叫んだ。
漣の叫びが、怪物の中に眠る魂を呼び起こす。
眩い光の中で、怪物の巨体が圧縮されていく――
『グ、オオォォォ……ッ』
獣の咆哮が小さくなり、やがて人の形へと収束していく。
空に朝日が昇り、世界をあたたく照らしている。
禍々しい空気は消え去り、透き通った青空が広がっている。
鳥たちが活動を始め、バサバサと空の向こうへと羽ばたいていった。
漣は肩で息をしながら、膝をついた。
「はぁ、はぁ……やった、か……?」
煙の向こうに、太陽に照らされた人影が立っている。
だが、それは漣が知っている「虎井 蘭」のシルエットとは、明らかに違っていた。
背が高い。
以前の蘭も女子にしては大柄だったが、今の影は漣よりも頭一つ分は大きい。
そして何より、その頭部には――
煙が風に流され、その全貌が露わになった。
朝日に照らされたのは、身長百八十センチを超える、半人半獣の巨体だった。
燃えるような橙色のボサボサ髪。
その隙間から突き出た、獣耳。
背後には太く長い尻尾がゆらりと垂れている。
そして、柔道で鍛え上げた肉体はさらにビルドアップされ、人間離れしたしなやかさと剛健さを兼ね備えていた。
「おい……嘘だろ……?」
漣が絶句するのも無理はなかった。
彼女の姿があまりにも「異様」で、そして――
「……私……今まで何をして……あれ? ……なんか、地面が遠い……?」
蘭はまだ状況が飲み込めていない様子で、自分の手を見つめた。
鋭い爪が生えた、大きな手。
そして、その体には……ボロボロになった制服の布切れが、辛うじて張り付いているだけだった。
「……爪?」
頭がボーッとしている。まだ夢の中にいるような心地だ。
変身時の膨張で弾け飛んだブラウス。引き裂かれたスカート。
それらが、逞しくなった胸元や太ももを、かえって際立たせるように「隠しきれずに」残っている。
「……っ!!」
漣の顔が一気に沸騰した。
シリアスな戦闘の余韻など吹き飛ぶほどの、強烈な刺激。
漣は咄嗟に自分の着ていたパーカーを脱ぎ捨て、蘭に向かって投げつけた。
「き、着ろバカ!!」
「へ?」
「前!! 前が見えてんだよ!!」
バサッ! とパーカーを頭から被せられ、私はようやく自分の惨状に気づいた。
「ひゃああっ!? うそ、私なんかエッチなことになってる!?」
「自覚するな! さっさと隠せ!」
私は慌てて漣のパーカーに袖を通すが、今の巨体には少し窮屈だ。
ジッパーを上げようとして、自分の変化に気づく。
「……ねえ、漣……なんかパーカー、ちっちゃくない?」
「お前がデカくなってんだよ!」
「え?」
私はおそるおそる、自分の頭に触れた。
フワフワした感触の獣耳。
振り返ると、自分の意思でゆらりと動く、太くて長い尻尾。
そして何より、パーカーの袖から覗く腕は、以前よりも一回り太く、しなやかな筋肉と毛並みに覆われている。
「私……戻って、ない?」
赤面して背を向けている漣に代わって、白雨が溜息交じりに告げた。
『……おぬしに掛けた術は『鎮収流転』と言ってな……力を『封印』するのではなく『廻した』のじゃ。業虎の力があまりにも強大で、今のわしらには封印する事は出来なかった……そこで、おぬしという器から業虎の力が溢れ出ないよう、体内に「回路」作り、力の安寧を図ったのじゃ……その結果……どうやら、業虎の力が血液の如く肉体を循環し、馴染み、その姿で固定されたようじゃな……』
「は、はああああ!? じゃあ私、一生このままですか!?」
私は思わず叫び声を上げた。
意識は取り戻したが、これでは化け物のままだ。これからどうやって生きていけばいい?
漣はフン、と鼻を鳴らし、いつもの冷たい態度を取り繕った。
「力を封じ込められた訳じゃないんだ。あくまで一時しのぎだ。一生その姿かもしれないが……まあ、自爆して死なずに済んだだけ、ありがたく思えよ」
「ううっ……命があるのは嬉しいけど、これじゃお嫁に行けないよぉ……」
元に戻る為に今まで頑張ってきたのに、人間ではなくなってしまった……。私はその場にへたり込み、尻尾をだらんと下げた、その時だった。
「――蘭ちゃんッ!!」
息を切らせた二つの影が飛び出してきた。
紬と夢愛だ。
「二人とも……!」
「蘭!! 無事なの!?」
夢愛が涙目で駆け寄ってくる。
そして、変わり果てた私の巨体、ボサボサの髪、そして漣のパーカーからはみ出したパンパンの太腿を見て、二人は急ブレーキをかけた。
「えっ……?」
「うそ……蘭、ちゃん?」
二人がぽかんと口を開けて固まる。
私は顔を覆いたくなった。
怖いよね。私、化け物だものね。
「ごめんね……私……こんな姿になっちゃっ――」
「きゃあああああっ!! なにこれ最高!!!」
ドスッ!!
謝ろうとした私の胸に、夢愛が全力でダイブした。
「ぐえっ!?」
「やばい! 超モフモフじゃん! え、何この筋肉! 硬いのにフワフワ! 抱き心地最強なんだけど!?」
「ちょ、夢愛!?」
夢愛は恐怖するどころか、蘭の胸元や首筋の毛並みに顔を埋めてスリスリし始めた。
「あっ、すごい……本当だ」
紬もおずおずと近づいてきて、蘭の尻尾をそっと握った。
「尻尾、すごく立派……。それに耳も、ピクピクしてて可愛い……」
「つ、紬まで!?」
紬は「可愛いもの好き」の本能が刺激されたらしく、蘭の獣耳をプニプニと触り始めた。
「耳の裏、あったかいね」
「ひゃうっ!? そ、そこはだめ……っ!」
「あーもう、蘭マジでいい匂いする! なんかお日様の匂いって感じ? 昔飼ってた猫を思い出すわぁ〜!」
「や、やめて夢愛! 匂い嗅がないで! てかそれ褒めてんの!?」
私は巨体を縮こまらせて抵抗するが、二人のスキンシップ攻撃は止まらない。
私の中で絶望していた暗い気持ちが、少しだけ晴れていくのを感じた。
漣はその光景を見て、呆れたようにため息をついた。
「……呑気な連中だ。俺の苦労も知らないで」
そう悪態をつきながらも、その口元が僅かに緩んでいるのを、肩に乗った白雨は見逃さなかった。
『ふふん。どうじゃ小僧、案外悪くない結末じゃろう?』
「……うるさいですよ……白雨様」
夜明けの山中に、私の情けない悲鳴と、夢愛たちの笑い声が響き渡る。
こうして私、虎井 蘭の新たな生活が幕を開けた。
前途は多難だが、この温かい仲間たちがいれば、きっとなんとかなる――かもしれない。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
これにて前半戦は終了です。
よかったら、非常に励みになりますので応援や感想などいただけますと幸いです。




