第十五話 闇夜と雷鳴と最後の楔
西日が沈み、深い闇が辺りを包み込んだ頃。
風の音すら途絶えた静寂の中を、一羽のカラスが翼を広げ上空を飛び回っていた。
その嘴には琥珀色に濁った三日月型の石が咥えられていた。
月明かりに照らされ、「それ」はまるで鋭い牙のように妖しく輝きを放つ。
カラスが不吉な鳴き声を上げると、石は嘴を離れ、樹海の中へと飲み込まれていった。
ボトッ。
一直線に落ちていった石は地面に直撃し、土を擦り付けながら転がり、やがて静止した。
月明かりすら届かない森林の闇。鈍い光を帯びた石だけがポツリと闇の中に浮き彫りになっている。
そこへ巨大な影がドスッ、ドスッと重い足音を響かせながら大木の間から姿を現した。
ヒグマだ。二メートルを優に超える巨躯を揺らしながら、餌を求めて樹海の中を彷徨っていた。
ヒグマが鼻を鳴らしながら妖しげな光へ近付いていく。
血の匂いでもしたのか、あるいは獲物の骨片と勘違いしたのか。
飢えたヒグマは躊躇なく石に顔を近付け、そのまま大きな口を開けて石に喰らい付いた。
ゴクリ……
生々しい音を立ててヒグマが石を呑み込んだ。
その瞬間、ヒグマの動きがピタリと止まった。
体が小刻みに震え、大きな口からブクブクと白い泡が噴き出しはじめる。
それと同時にヒグマの真上の上空を、分厚い漆黒の雲がどこからともなく現れ空を覆う──闇が一層深くなる。
ピシャァァッッ!!
黒雲から紫色の雷が落ち、ヒグマの脳天を直撃する。
一瞬の閃光の後、焼け焦げたヒグマの肉体が煙を立てながら形を変えていく。
ゴキゴキ……と骨が軋み、肉が捩じ切れる異常な音が森に響き渡る。
しばらくして煙が風に流れていくと、そこに立っていたのはヒグマではなく、猿のような顔と虎のような強靭な前脚、そして大蛇の尾を持つ巨大な異形の化け物──
『ヒョォォ……ヒョォォ……!』
トラツグミの鳴き声に似た、背筋の凍るような不気味な産声が、森の中へ広がっていった。
◇ ◇ ◇
「ん……?」
その時、私は部屋の窓の外から、生温かくて嫌な風が吹き込んだような気がして、ふと顔を上げた。
気のせいだろうか。背筋を冷たいものが撫でていったような感覚。
それは、白陽町の山奥で最凶のバケモノが産声を上げた、まさにその時刻の出来事だった。
そんな迫り来る脅威など知る由もなく、特訓を終えた私は自宅に紬と夢愛を招いてお泊まり会をしていた。
パジャマ姿で丸いローテーブルを囲み、スナック菓子をつまみながらワイワイとババ抜きをしているところだ。
運のいい夢愛はあっという間に一抜けし、スマートフォンをいじりながら私と紬の一騎討ちを見届けている。
「ちょっと待ってね……ハイ! どうぞっ」
私は手札を何度もかき混ぜ、紬に向けて差し出した。
残った手札はスペードのエースとジョーカーの二枚。
ゲームといえど絶対に負けたくない。あえてエースのカードを僅かに立たせ、紬に揺さぶりをかける。
「うーん、どっちにしようかな……」
紬が口をつぐんで二枚の手札を順に見つめる。
熟考の末、決断した紬がゆっくりと細い腕を伸ばしていく。カードに指が触れるその時だった。
ダァァン!! ……ゴロゴロゴロ……!
「ぅわぁぁぁぁ!!」
空気を劈く突然の雷鳴に私は思わず声を上げ、反動で手札を床に落としてしまった。
「だァー!? 蘭の声にビビるわっ!」
「ご、ごめんごめん……私昔から雷苦手でさ……」
心臓がバクバクと強く脈打つ。嫌な気分だ。
「ふふ……そうだったよね。でも……結構近かったね。今日そんな予報あったかな?」
天気予報では今日は一日中晴れのはずだ。カーテンをめくって空を覗くが、雷雲はおろか雲など殆どない透き通った星空が広がっていた。
「……別に曇ってないや。へんなの」
私は胡座をかいて手札を拾い、よく切ってから紬に差し出した。
「じゃ改めて……」
紬が今度は躊躇なく左のカードをスルリと引き抜いた。
紬が引いたカードは、スペードのエースだ。
「やった! 私の勝ち!」
「ハハ! 蘭弱すぎ〜っ!」
紬が座ったまま小さく跳ねて、夢愛とハイタッチをする。
私の手元に残されたジョーカー。そこに描かれているピエロが私の敗北を嘲笑っているような気がして腹が立つ。
「く……くっそぉーっ! もう一回! ね、お願い!」
私はジョーカーをペシッとはたき落として二人に手を合わせた。
「またぁ? もうヤメにしようよ〜ウチもう眠いってぇ」
「お願い! 今度こそラストだから!」
「ふふ、蘭ちゃんは昔から負けず嫌いだもんね。じゃあ後一回だけね?」
「紬ぃぃ……ありがと! よーし、今度は私が混ぜるからね〜?」
私はそういうと乱雑に積み重なったカードの山をまとめ、泣きの最終ゲームの準備を始めた。
しばらくトランプを堪能した私たちは部屋の明かりを消して寝床についた。
シングルベッドに紬と夢愛が入り、私はその隣で敷き布団を広げて横になる。足先が完全に布団から飛び出していて少し肌寒い。
「それじゃあ、おやすみ」
「おやすみぃ」
部屋がシーンと静まり返る。
時計の針の音だけが、一定のリズムで静かに鳴り響く。
特訓の疲労であっという間に眠気が来る。
身体の力が抜け、頭がポーっとし始めた時に、ベッドの上の紬がゆっくりと身体を起こした。
「蘭ちゃん……起きてる? ……隣、入ってもいいかな……?」
「……ふぁ? ……いいよお」
寝ぼけていてよく聞き取れなかった。私は訳もわからず適当に答えてしまった。
「ありがと……蘭ちゃん……よいしょ、と……」
紬がベッドを降りてそっと布団をめくり、私の隣へやってきた。
「んぁ……え、ズルっ。ウチも入る〜」
(ああ、布団。私の隣に来たかったんだ……って、隣? しかも夢愛も!?)
夢愛の言葉で私の目が完全に覚めた。ベッドから這うように抜け出し、私の空いているもう片方の腕を抱き枕のように抱きついた。
「……二人とも、狭くない? てか、布団に全然収まってないよねこれ……」
「いーのいーの。はぁ……ほんっといい匂い……」
「私も大丈夫だよ……もう少しだけ、こうさせて……」
二人は私の心配をよそに、身体を寄せて夢心地な表情を浮かべていた。
身動きが取れない……窮屈だ。だけど、嫌な気はしない。
身体だけでなく心もポカポカとあたたかくなっていく。
それから、私たちは暗闇の中で時間を忘れて他愛もない話で盛り上がった。
夢愛の元カレの話、私のバイト先の話、幼い頃の思い出……
いつのまにか私たちは小さな敷き布団からはみ出したまま、眠ってしまっていた。
私の大きないびきを物ともせず、二人は私の両腕に抱きついたまま、すやすやと穏やかな寝息を立てている。
──この温かくて優しい時間が、ずっと続けば良いのに……
そんなささやかな願いは、数時間後、最悪の形で打ち砕かれる事となる。
……!
突如感じた禍々しい気配に私はガバッと目を覚ました。
心臓を冷たい手で鷲掴みにされるような、圧倒的な威圧感。今までのどの感覚とも次元の違う重圧を肌で感じる。
最後の楔が目覚めたのだと本能が激しく警鐘を鳴らしている。
いや、それだけではない。私の中の血液が、不気味に熱く滾るのを感じた。
コン、コン
窓を打つ小さな音。目線を向けるとカーテンの向こうから人影が一つ、こちらを覗き込んでいるのが見えた。
この人影は異様なプレッシャーの持ち主ではない。
そう確信した私は紬と夢愛を起こさぬよう慎重に両腕を抜き、布団から抜け出した。
息を殺してカーテンに手を掛け、静かに開ける。
バルコニーにいたのは、漣と白雨だった。
漣が親指を突き立て、クイクイと外を指し示している。
やはり、最後の楔が現れたのだ。
私は漣のサインに小さく頷き、物干し竿に掛けてあった柔道着を掴んだ。
……ダメだ。まだ、湿っている。
柔道着は諦め、クローゼットから夢愛と買ったオーバーサイズのジップパーカーを取り出す。
ジャージも買っておくべきだったな……。私は最後の闘いに相応しいとはとても思えない普段着姿に手早く着替えた。
(……よし)
パーカーのジップを上げ、布団に目をやる。
紬と夢愛は敷き布団の両端で穏やかな寝息を立てていた。
今度の闘いは危険すぎる。二人の寝顔を見届け、ゆっくりと部屋の窓を開けた。
冷たい秋の夜風が肩をすくめる。そんな寒さに負けじと、私は深く空気を吸い込んだ。
「お待たせしました……」
『ふむ……小娘も楔の気配を感じたようじゃな……今回の敵はかなりの力を持っておる……凄まじい威圧感じゃ』
白雨が全身の毛を逆立てながら険しい表情で山を見つめる。
どうやら楔は白陽町の山──白雨神社跡地の近くにいるようだ。
「覚悟はできてるな? ……奴は白雨神社の近くにいる。さあ、行くぞ」
漣の問い掛けに無言で頷き、私はバルコニーに片足を踏み入れた。その時だった。
「蘭ちゃん……」
「……!」
紬と夢愛が身体を起こしてこちらを真っ直ぐに見つめていた。
「アンタ達……ウチら置いて行っちゃおうって考えてるワケ?」
夢愛が頭を乱暴に掻きながら立ち上がる。その眼差しは真剣で、静かな怒りすら感じさせた。
「チッ、気付かれたか……あのな、今度の敵は今までの比じゃねえんだ。そもそも、楔の闘いにお前らがいても役に立たねえし邪魔なだけなんだよ。死にたくなかったら、さっさと寝てな」
漣は二人を鋭く睨み付けながらいつも以上に厳しい言葉を浴びせた。
彼なりの、二人を危険に巻き込まない為の不器用な優しさだった。
しかし、夢愛は一歩も引かない。
「あのさぁ……ここまで来て最後は寝てるからあとヨロシク〜なんてバカみたいな話、あるワケないじゃん」
「お前話聞いてなかったのか? 今度の敵はやべえんだよ。俺達だって無事で済むかわからねえ。危険すぎるんだよ」
「だからって命懸けでアンタ達が闘ってるの知ってて、呑気に寝れるかっての!」
「それに……最近の蘭ちゃん、なんだか様子がおかしくって……私嫌な予感がするの」
「紬……」
紬の声は震えていたが、その瞳には強い光が宿っていた。
私が虎の力に呑まれて、人間ではなくなってしまうのではないか。
二人はその恐怖をずっと抱えながら、それでも私を一人にしまいと必死に繋ぎ止めてくれようとしているのだ。
「ここで置いて行ってもウチらは勝手に着いていくよ。神社に行くんでしょ? 聞いてたから!」
「チッ……!」
「でも二人とも……本当に危険だよ。私も出来れば家で待っていて欲しい……」
私が弱々しくそう言うと、紬は私に歩み寄り、両手で私の手を強く握りしめた。
「蘭ちゃん、初めて白雨様に会った日の事、覚えてる?」
「……うん」
「私たちはあの日、絶対に蘭ちゃんを一人にさせないって誓ったんだよ。危険なのはわかってる。それでも私たちは……蘭ちゃんの側にいたいっ!」
二人の確固たる覚悟に、私はもう何も言い返せなかった。
胸の奥が熱くなり、私はただ強く、紬の手を握り返した。
『……小娘たちの意志は本物じゃ。こうなってはもう止めようがないのう』
「白雨様……しかし……!」
漣は白雨に何か言いたげな様子だった。しかし、白雨の意志のこもった目を見て漣はそれ以上は言わなかった。
『ただし、小僧らの言う事ももっともじゃ。……わしらが例え窮地に立たされようとも、決して闘いの場に近付くでないぞ』
「白雨様……! はい、ありがとうございます!」
紬は深く、深く頭を下げた。
「チッ……一分だ。それ以上は待たねえ。……さっさと上着着て来い」
「へん、わかってるって!」
夢愛はそういうと小走りでハンガーにかけられた二人分の上着を手に取り、紬の上着を粗雑に投げ込んだ。
紬は両腕を伸ばしてワタワタとそれをキャッチする。
こうして私たちは四人揃って、真夜中の白陽町へと駆け出した。
冷たい夜風が頬を打つ。見上げた夜空には、いつの間にか星々を喰い潰すような異常な黒雲が、山の近くで渦を巻いていた。
◇ ◇ ◇
それから程なくして。
本来なら電車を使っても三十分は掛かる距離だった。
しかし、今の私の身体能力と漣の術を以てすれば十分も掛からない。
私が紬をお姫様抱っこのように担ぎ、漣が夢愛の腕を乱暴に引きながら、目的地を目指していく。
街灯と信号の灯りが点々と輝く寂しい街を抜け、私たちは白雨神社の跡地がある、白陽町北部の山の麓に到着した。
辺りは黒雲が広がり、夜の闇を一層深くさせている。
山の頂上付近から、強大な気配がゆっくりと下っているのがわかる。
その重圧感と身体の奥底で闘いを求める「虎」の衝動が板挟みになり、胃酸が込み上げてくる。
『着いたな……妖はもうすぐそこじゃ!いつ襲い掛かってくるやもわからぬ……覚悟してまいれ……』
「はい……では、いきます。『戌ノ探嗅』……!」
漣が術を唱え、青白い光を帯びた煙で形作られた犬を召喚する。
煙の犬が鼻をスンスンと鳴らし、山の奥へとまっすぐ進んでいく。
「紬……ウチの手、離さないでよ……」
「もちろんだよ……夢愛ちゃん……」
二人は震える手を強く握り合い、互いを支えあう。
この先に、最後の妖がいる──
掌にジワリと汗が滲む。
胸を締め付ける緊張を押し殺して、犬が導く森の闇へと踏み出した。
怪しく空を覆う黒雲と大木が月明りを完全に遮断し、森の中は闇そのものだった。
自身の足元さえも殆ど見えない闇。ぼんやりと光る漣の犬の灯りが唯一の手掛かりだ。
指先から足先まで神経を集中させ、大木をかき分け慎重に山道を登りつづけた。
枯れ葉を踏みしめる乾いた音と風になびく木々の騒めきだけが虚しく響き渡る。
山の中腹に差し掛かったところで漣の犬が突然、その場でピョコピョコと跳ね回りだした。
「……!? 何か来るぞッ! お前ら気を付け──」
ピシャァァッッ!!
「きゃぁぁっ!!」
漣が言葉を発した瞬間、頭上の真っ黒な雲から、私たちを狙いすましたように紫色の雷が叩き落とされた。
凄まじい轟音と衝撃。私は腕で顔を庇い、ただ身構える事しかできなかった。
後方の紬が突然の衝撃に姿勢を崩し、夢愛の腕を引いたまま呆気なく尻もちをついてしまった。
「紬! ……はッ」
私は転倒した紬の方へ振り向いたが、目の前に迫る凄まじい重圧に背中を刺される悪寒を覚え、前を向きなおした。
『ヒョォォ……ヒョォォ……!』
トラツグミにも似た不気味な声が鼓膜を打つ。
紫色のスパークを体に纏わせながら「それ」は、禍々しい重圧を放ちながら私たちの目の前に姿を現した。
ヒグマのような巨躯に猿のような歪んだ顔、虎のような強靭な前脚、そして尾には大蛇。
猛獣たちを無理やり掛け合わせたような、異形の化け物──
『こ、これは……! まさしく鵺! 奴が最後の楔の妖じゃ!』
白雨が目を見開き声を張り上げた。ビリビリとした威圧感に全身がこわばる。
私は腿を強くはたいて、恐怖を打ち消すように自身を鼓舞した。
表情の掴めぬ鵺が、グンと姿勢を落とした。何か仕掛けてくる。
「させるかぁ! 『酉ノ空烈』!!」
鵺の僅かな動きを漣は見逃さなかった。一瞬で札を抜き取り術を唱える。
無数の羽根手裏剣が空気を切り裂きながら、鵺めがけて一直線に突き進んでいった。
ザクザクと鋭い音が森に響き渡る。しかし、これは肉体を切り裂いた音ではなかった。
鵺は軽々と地面を蹴り上げ、上空の闇へと跳躍し、回避していたのだ。
暗闇で姿はほとんど見えないが私の「嗅覚」なら、ある程度の居場所は掴める。
……見つけた。
私は地面を抉るように力強く踏み込み、黒雲に向かって勢いよく跳び上がった。
空中なら、そう身動きは取れまい。
急速接近しながら鉤爪を立てて、私は鵺の肩に向かって腕を振りかざした。
その時、鵺の毛が逆立ち、全身に紫色の閃光が走った。
咄嗟に防御の構えを取るも、爆発的な電撃の前では意味を成さず、私は強烈な放電をもろに受けて弾き飛ばされてしまった。
「ぐぁぁーっ!!」
全身が焼け焦げ、突き抜けるような激痛に意識が飛びかける。私は受け身も取れず呆気なく地面に落下した。
「蘭!!」
木陰から必死の形相で飛び出そうとする夢愛の腕を、紬が掴んで必死に止める。
夢愛は眉間にしわを寄せて紬を睨みつけたが、紬は目に涙を浮かべながらも、祈るような、すがるような眼差しで夢愛を見つめ、首を横に振った。
その細い腕はガタガタと震えていた。
夢愛は唇を嚙み締め、紬の制止に従った。
『小娘! 大丈夫か!?』
遠くから白雨の声が聞こえる。私は煙を立てながら小刻みに痙攣する身体を、地面を擦り付けながら必死に起こす。
返事をする余裕はなかった。再び立ち上がる事、この行動が、今の私に出来る最大限の答えだった。
鵺が音も立てずにヌルリと地面に着地する。
不用意に近づけば、またあの放電の餌食となる。そしてこの素早い身のこなし。
相手に組み付いて投げる私の柔道が通用しない。相性は最悪だ。
『小僧よ……直線的な攻撃は奴に易々と躱されてしまう……!多角的に攻めるのじゃ……!』
「はい……! だったら……『アレ』を使うか……!」
漣がバンドから二枚の札を抜き取った。
意識を集中させ、術を唱える。
「『未卯・弾性結界』!!」
分厚い毛の壁が空中に無数に広がり、鵺の周りをドーム状に覆いつくす。
血に飢えた異形の眼が、ギョロギョロと毛の結界を舐めるように見回した。
「もう逃がさねえ……! 『空烈・跳刃鳥籠』ッ!!」
漣が放った豪雨のような羽根が、無数の毛の壁に突き刺さり、壁が大きく湾曲する。
そして威力を倍増させて、毛の結界の中を羽根が猛烈な勢いで乱反射した。
しかし──
「……! 嘘だろ……そんな馬鹿な!?」
鵺は結界の中を揺らめくように高速で移動し、斬撃地獄を的確に回避していく。
勢いを増幅し続け、音速をも超える羽根の斬撃は、鵺の残像を虚しく貫くだけだった。
そして──
『ヒョォォォォ!!』
鼓膜を突き破るような鵺の咆哮が森全体を震わせた。
猛烈な咆哮の音波で毛の壁がかき消され、行き場を失った大量の羽根手裏剣が四方八方へと爆散した。
「「!!」」
『いかん!!』
咄嗟に私は頭を抱えて地面に突っ伏した。しかし、生身の人間である漣は、あまりの出来事に身構える事すら出来なかった。
一瞬の刹那、白雨が体中に広がる水色の紋様を輝かせ、九本の尾を巨大化させた。
白くやわらかな九本の尾が盾のように広がり、漣の全身に覆いかぶさる。
ズババババッッ!!
爆散した羽根が、白雨の尾に鋭く突き刺さる。周囲の大木はズタズタに切り刻まれ、地面になぎ倒されていった。
『ぐぬぅ……!』
「……は、白雨様!」
漣が棒立ちのまま、凍り付いた表情で白雨を見つめた。
『ぬぅ……! ……問題、ない……!小僧は、無事のようじゃな……!』
血が滴る尾を縮小させて無理やり突き刺さった羽根を抜き取る。
パラパラと青い血で染まった羽根が地面に落ち、静かに消滅した。
なんて化け物なんだ。漣の奥義をただの「声」だけで破るなんて。
こんな奴、一体どうやって倒せばいいんだ……
私は必死に考えを巡らせながらゆっくりと立ち上がった。
何か思いつけ、何か──
その時、後方から最悪な悲鳴が私の耳を激しく打ち付けた。
「うわぁぁぁぁ!! 紬ぃぃ!! 嫌だぁぁぁぁ!!」
薙ぎ倒された大木の残骸の中で、夢愛が一人、絶望の表情で泣き叫んでいた──
設定情報13
蘭の名前の由来
虎井 蘭という名前には「虎」と「TRY」と「RUN」の三つの言葉が含まれています。
虎は言わずもがなですが、「挑戦」「努力」「走る」……RUNは「逃げる」という意味で使われる場合もあるそうですが、私の中では「虎の呪いや妖たちに挑む」「努力を怠らず駆け抜ける」といった前向きな意味を込めて名付けました。




