第一話 帯と怪物と少女
第一話 帯と怪物と少女
今から千年前の昔――
世界は、闇に覆われていた。
人を喰らい、全てを破壊し尽くす黒き虎――
対峙するのは白き神獣を従える封印師の一族。
血で血を洗う激闘の末、封印師たちは自らの命と引き換えにその大妖を七つの神器へと封印したという。
しかし、これは千年に渡る因縁の始まりに過ぎなかった。
――そして現代。
封印は解かれ、眠れる虎が、一人の少女の中で目を覚まそうとしていた。
◇ ◇ ◇
ブチッ──
すべてはこの音から始まった。私の青春が千切れた音だ。
高校一年の夏、柔道県大会の決勝戦、私は格上の相手と闘っていた。
終始相手のペースに振り回され、私の得意な流れに持っていけない。
私は決断した。「アレ」で決めるしかない。
空気投げ──相手の踏み込む力を利用し、回し投げる大技。
相手が内股を掛けようと勢いよく突っ込んできた瞬間、私は屈んで一気に踏み込んだ。
その瞬間──私の右膝は稲妻のような激痛と共に限界を迎えた。
廻る視界。無機質な蛍光灯の灯り。歓声が悲鳴に変わる。
痛みに顔を歪ませながらも、私の頭の中は存外冷静だった。
(ああ、終わったんだ)
柔道家だった父の期待も、オリンピックの夢も、これまで積み上げてきたものすべてが、一瞬でゴミとなった。
◇ ◇ ◇
──それから一年。私は「虎井 蘭」という名前以外、すべてを捨てた。
髪を染め、耳にはピアス。爪には派手なジェルネイル。もう柔道着を掴むことなんて無いのでつけ爪のように伸ばしてやった。
両親は何も言わなかった。きっと私を気遣って、あえてそうしているのだろう。
そんなことはわかっている。でも、私を腫物のように扱う態度がかえって鬱陶しい。
「じゃ、行ってくる」
「そう……行ってらっしゃい。今日は遅いの?」
「まあ、二十二時までだからね」
この探るような言い方。自分でも不思議に思う程イライラする。私は母の返事も聞かず、粗雑に玄関のドアを開けた。
◇ ◇ ◇
はじめは家に居たくない……ただ、それだけだった。そんな気持ちで始めたのがここ、「居酒屋 酔いどれ」のアルバイトだ。
たばこの煙と焼き鳥の匂い。客達の笑い声。ひとたび暖簾をくぐれば、そこは別世界だ。誰も私に柔道家としての期待もしないし、腫物にだってしない。
「蘭ちゃん! 十二番さんに生追加ね!」
「はーい、ただいま!」
「お!蘭ちゃん今日のネイルも派手だねぇ!」
「あ~松田さん気づきました?今日やったばかりなんですよ~」
店内を走り回り、重いジョッキを運び続ける。お客さんから「ありがとう」と言われるたびに、心にポッカリと空いた穴へ温かいものが満たされるような気がした。
誰かに必要とされている。自分の働きに誰かが喜んでくれる。
畳の上で感じた高揚感とは違うけれど、このアルバイトが私の「やりがい」になりつつあった。
──時刻はあっという間に二十二時を迎えようとしていた。
私は退勤前の最後の仕事として、ゴミ出しの準備に取り掛かった。
ゴミ袋の口を縛っていた私に、店長がそっと近づいて話しかける。
「お疲れ様、蘭ちゃん。そろそろ上がりだね」
「はい、お疲れ様です」
いつも明るい店長だが、今日はどこか疲れたような、やつれた顔をしている。その手には古びた布のようなものが握ってあった。
「……突然なんだけど、もしよかったら『コレ』をもらってくれないかな?」
「──? なんですか? これ」
「昨日ゴミ捨て場で拾ったんだ。なぜだかわからないんだが『拾わなきゃいけない』気がしてね……だけど、ウチに持って帰ったらカミさんがカンカンでさ……『こんな汚いゴミ拾ってくるやつがいるか!』──ってね。そりゃあ当然だよな。気味悪いよな。はは……」
店長はたばこの煙を吹かせてその布切れを見つめた。
布は薄汚れた虎柄の帯のようなものだった。
「変な話なんだけどさ、俺じゃダメみたいなんだ。」
「へ?」
「なんだかこの帯に、俺みたいなジジイじゃ力不足だって言われてる気がするんだよ」
今日の店長は様子がおかしい。ゴミ捨て場から拾ってきた汚い帯。誰が使ったものかもわからない。こんなもの普通誰だって気味が悪い。
「そうですよ~ばっちいですよ~」と普段の私ならこのまま店のゴミとまとめて捨てるだろう。
でも──
「……あ」
視線のようなものを感じた。この薄汚れた帯と「目が合った」気がした。──私を、呼んでる?
「いいんですか? もらっちゃって」
「ああ、蘭ちゃんが持っててくれるなら、それが一番いい気がするよ。ありがとうね」
理屈じゃなかった。無意識に私は店長から帯を受け取った。
店長は憑き物が落ちたようにホッとして、厨房へと戻っていった。
──店の裏口。私はゴミ袋を持ってゴミ捨て場へ向かっていた。
もう片方の手の中には、店長から受け取った帯がある。
(うーん……貰ったはいいけど、ちょっと派手すぎ?大阪のおばちゃんみたいかな)
(だけど、これをコルセットみたいに巻けば結構カッコいいかも。それに──今の私には「コレ」が必要な気がする)
私は何かに導かれるようにエプロンの上から帯をギュッと締めてみた。
──その瞬間だった。
ドクン。ドクン。
心臓が嫌な音を立てる。帯が体に食い込むように強く締め付けてくる。
(なに、これ……ッ!)
体が熱い──いや寒い。視界が廻る。天地が曖昧になる。もはや立っているのか倒れているのか認識できない。
慌てて帯を外そうと手を伸ばすが、帯はエプロンを食い破って私の体をさらに強く締め上げる。
「あああ、がァァァ……!?」
視界が真っ赤に染まる。それだけではなかった。私の中で何かが弾けた。
メキメキ、ゴキゴキッ!
全身の骨が軋み、歪んでいく。筋肉が沸騰した湯のように、異常な速さでボコボコと膨れ上がる。身体を無理やり作り変えられていく。
体の奥から暴力的なエネルギーが沸き立つ。止まらない──
身に着けていたエプロンは無残にも破れ落ち、ズボンも今にも割れてしまいそうな風船のように悲鳴を上げている。
(嫌だ……助けて! 誰か!)
そう叫びたかった。けれど、喉から込み上げてきたものは人間の言葉ではなかった。もっと低く、もっと恐ろしい破壊への渇望。
『グルルルルゥゥ……ッ!!』
橙色の獣毛。獲物を求める鋭い眼。獰猛な牙。
夜の繁華街に、一頭の異形の猛獣が誕生した──
◇ ◇ ◇
夜の十時を回り、飲み会帰りのサラリーマンや若者たちで賑わい始めた繁華街。二人の学生が駅とは反対の方角へ歩みを進めていた。
「──ねえ、夢愛ちゃん、本当に行くの? やっぱり正面から入った方がいいんじゃあ……」
「いーのいーの! 蘭のやつ、バイト姿見られるのちょー恥ずかしがってたじゃん? だから裏口から『お疲れ~っ!』って突撃してさ、ビックリさせてやろうってわけ!」
黒い長髪を後ろで束ね、眼鏡をかけているのは藤宮 紬だ。虎井 蘭とは幼少期からの幼馴染で名家育ちのお嬢様だが、蘭とは現在も同じ学校に通っており今日は塾の日だった。
その帰り道で偶然出会ったのが、同じくクラスメイトの喜多見 夢愛だ。
脱色した派手な金髪の毛先は巻かれており、ギラギラとしたピアスやジェルネイルが目を引く。
天性の人たらしですぐに誰とでも仲良くなれるタイプで、今日は友人達とのカラオケ大会の帰りらしく、普段より声が少ししゃがれている。
「たしかこの店で裏口は……あそこだ」
二人が店の裏口へと続く道を見つけたその瞬間──
バゴォンッ!!
「うわっ!?」
「きゃあ!!」
炸裂音と暴風と共に砕けたコンクリート片とひしゃげたバケツが二人の真横をかすめて弾け飛んだ。
土煙とゴミが舞う中、その先に「何か」がいる。
鼻を突き刺す生ゴミの臭いと獣臭。全身に鳥肌がたつ程ビリビリとした空気。
二人は咄嗟に顔を覆った腕をゆっくりと下げて、恐る恐る目を開いた。
「な、なに……?」
散乱する生ゴミと瓦礫の中心に、「それ」はいた──
二足の脚で立ち、二メートルを優に超える巨躯。丸太のように太い腕。その腕には鎌のように鋭い爪。橙色と黒色の毛並みを持つ、巨大な虎の怪物が、涎を垂らしながら荒い息を立てている。
「え……嘘……虎……!?」
紬が腰を抜かして崩れ落ちる。夢愛も足がすくんで動けない。
目の前の非現実的な光景に脳が処理を拒む。
カチャ……
乾いた音がした。街灯の灯りに照らされて、何かが光っている。
唯一動かせる目でそれを凝視すると、見慣れた文字がマジックで書かれていた。
『虎井』
「え……!?」
紬は息を飲んだ。ボロボロに破れて怪物に張り付いている居酒屋の制服の切れ端。道に落ちたプラスチックの名札。そして何より、その怪物が履いている張り裂けそうな厚底のスニーカー。
「ら……らんちゃん……?」
紬が震える声でその名を口にする。
その瞬間──怪物の動きが一瞬、ピタリと止まった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
初めて小説を書いてみました。
拙い所が多いかと思いますが、楽しんで頂けたら嬉しいです。
後書きにこの作品の設定などを載せる事にしました。
読み飛ばしていただいても問題はございません。




