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第7話 神の眼と、退屈な虐殺

 冒険者ギルドの受付カウンターには、羊皮紙とインクの乾いた匂いが染みついている。

 俺はその独特な、ある種の官僚的な冷たさを放つ空気を肺いっぱいに吸い込んだ。


 周囲の喧噪は相変わらずだ。

 クエストの成功を祝うジョッキの音、報酬の分配で揉める怒声、そして怪我人の呻き声。

 それら全てが入り混じった熱気の中で、俺たちは異質なほどの静寂を纏ってカウンターの前に立っていた。


 目の前には、一枚の契約書。

 Cランク昇格試験の申込書だ。

 だが、俺の視線はその書面の端にある、朱色の免責事項に釘付けになっていた。


 配信許諾契約。


 この世界において、上位の冒険者になるということは、すなわち見世物になることを意味する。

 ダンジョン攻略の様子をリアルタイムで街の広場へ転送し、一般市民の娯楽として提供する。

 命懸けの殺し合いを酒の肴にする悪趣味なシステムだが、同時にそれは、実力を世界に示す最短のルートでもあった。


 羽ペンを走らせる音が、妙に大きく響く。

 俺が最後の署名を終えると、受付嬢が業務的な手つきで書類を回収した。


「確認いたしました。では、神の眼を起動します」


 彼女がカウンターの下にある水晶に手を触れる。

 瞬間、空気が震えた。

 俺たちの頭上、手の届かない高さの空間に、歪みが生じる。

 音もなく現れたのは、握り拳ほどの大きさの光球だった。

 まるで意志を持っているかのように、ゆっくりと回転しながら俺たちを見下ろしている。

 感情のない、無機質な観察者の視線。


 神の眼。

 この光景が今、リアルタイムで街の大画面に映し出されているのだ。


「うわ、本当に出やがった……」


 俺の背後で、ギルがしわがれた声を漏らした。

 見れば、その巨体を包むフルプレートメイルが、カタカタと微かな音を立てて震えている。

 無理もない。

 彼は今まで、影のように生きてきた男だ。

 パーティのお荷物として扱われ、罵られ、誰からも期待されずにダンジョンの隅でうずくまっていた。

 それが唐フル、何千、何万という人間の視線に晒されるのだ。


「ヴィック、これ、俺みたいなのが映っていいのか? 図体がデカいだけの地味なタンクだぞ。誰も喜びやしない」


 ギルの弱気な発言に、横にいたリリアが鼻を鳴らした。

 彼女は自分の身長ほどもある大剣を、わざとらしくカメラに見せつけるように担ぎ直した。


「あんたねぇ、何をビビってんのよ。むしろ好都合じゃない」


 リリアの声は上擦っているが、その瞳にはギラギラとした野心が燃えている。


「あたしは嬉しいわよ。この超火力を世界中に見せつけられるんだもの。今まで『当たらない』だの『地雷』だの馬鹿にしてきた連中が、画面の前で腰を抜かす姿が目に浮かぶわ」


 好対照な二人だ。

 自信喪失した盾と、自信過剰な矛。

 だが、どちらも本質は見えていない。


「気負うな。いつも通りやればいい」


 俺は二人の間に割って入り、冷や水を浴びせるように淡々と告げた。


「いいか、よく聞け。カメラの向こうにいるのは素人だ」


 俺は神の眼を見上げる。

 その向こう側にいるであろう、酒を飲みながら無責任な野次を飛ばす群衆を想像する。


「奴らは派手な魔法が見たい。華麗な剣舞が見たい。危機一髪の回避劇が見たい。要するに、サーカスを求めているんだ」


 俺は杖の石突きで、コツンと床を叩いた。


「だが、俺たちが提供するのはサーカスじゃない。清掃作業だ」

「せ、清掃……?」

「そうだ。徹底的に地味に、事務的に、敵を処理する。映えなんて気にするな。効率だけを考えろ」


 二人は顔を見合わせているが、俺は構わずに歩き出した。

 理解など後でいい。

 結果が出れば、嫌でも理解することになる。


 俺たちはギルドの奥にある転移ゲートをくぐり、試験会場となるダンジョン『疾風の渓谷』へと転送された。


 視界が明転した瞬間、猛烈な砂嵐が俺たちの頬を打った。

 目を開けているのも辛いほどの強風。

 耳元では常に風が泣き叫んでいるような轟音が響いている。

 岩肌が剥き出しになった渓谷は入り組んでおり、死角だらけだ。


 AGI、つまり敏捷性が低い冒険者にとっては鬼門とされる場所だ。

 足場が悪く、風に煽られてバランスを崩したところに、奇襲を受ける。

 多くの重量級戦士がここで涙を呑んできた。


 だが、俺の歩調は変わらない。

 風の強さ、砂の舞う角度、岩の配置。

 それら全てはただの環境変数だ。計算式に組み込めば、何ら恐れる要素ではない。


 ブォン……。


 風の音に混じって、異質な羽音が鼓膜を震わせた。

 俺は足を止める。


「来るぞ。右前方、岩陰から8匹」


 俺の警告と同時だった。

 黄褐色の岩肌から、黒と黄色の縞模様が飛び出してきた。

 体長1メートルほどの巨大な蜂の群れ。

 キラービー。

 その名の通り、殺すために進化した昆虫だ。

 腹部の先端には、毒液を滴らせる太い針。複眼は無機質に光り、高速で振動する羽が不快なノイズを撒き散らしている。


 8匹。

 試験の序盤にしては数が多い。

 通常なら、ここでパーティはパニックになる。

 魔法使いが範囲魔法を撃とうにも、素早い蜂には当たらない。前衛が止めようにも、空を飛ぶ敵には翻弄されるだけだ。

 誰もがここで「泥仕合」を演じ、傷だらけになりながら辛勝する。

 視聴者はその必死な姿を見て、手に汗握り、エールを送るのだろう。


 くだらない。

 そんなものはエンターテインメントではない。ただの準備不足だ。


 俺の頭上の神の眼が、激しく明滅した。

 おそらく今頃、街の広場では罵声が飛び交っているはずだ。

 『終わった』『全滅確定』『見ていられない』。

 鈍重な重装兵と、当たらない大剣使い、そして不遇職のエンチャンター。

 誰が見ても、蜂の餌食になる未来しか見えない編成だ。


 蜂の群れが、一直線にこちらへ突っ込んでくる。

 その殺意に、ギルが僅かに怯んだ気配を見せた。


「ギル、構えろ。正面だ。一歩も引くな」

「お、おう!」


 俺の声に弾かれたように、ギルが巨大なタワーシールドを地面に突き立てる。

 ズドン、という重い音が砂嵐を切り裂いた。

 だが、蜂たちは嘲笑うかのように軌道を変える。

 空中で複雑な八の字を描きながら、左右に大きく散開したのだ。

 正面の盾を避け、無防備な側面と背面へ回り込む動き。

 賢いAIだ。

 野生の本能ではなく、プレイヤーを殺すためにプログラムされた悪意ある挙動。


 リリアが焦ったように大剣を構え直す。

 彼女の動体視力では、高速で飛び回る蜂を捉えきれない。


「くっ、速い! これじゃ狙えないわよ!」

「散開? させるかよ」


 俺は杖を振る。

 狙うのは蜂そのものではない。

 奴らがこれから通過するであろう空間。未来の座標だ。


「マッド・タイム」


 俺の口から紡がれたのは、詠唱というよりはコマンドの入力に近い。

 空間が歪む。

 指定した空間の粘度が、一瞬にして泥のように変質した。


 範囲指定のスロウ魔法。

 不可視の重圧が、蜂の群れを包み込む。

 その瞬間、世界がバグったかのような光景が生まれた。


 今まで目にも留まらぬ速さで飛び回っていた蜂たちが、突然、水中でもがくようにスローモーションになったのだ。

 ブォン、という甲高い羽音が、ブゥン……という低い唸り声に変わる。

 鋭い毒針を突き出したまま、空中でピタリと静止したかのような滞空状態。

 散開しようとした動きが完全に殺され、8匹が空中で一箇所に固まる。


「なっ……!?」


 リリアが目を丸くしている。

 ギルが盾の隙間から、信じられないものを見る目で空を見上げた。


 だが、俺の手は止まらない。

 スロウだけでは不十分だ。敵はまだ動こうとしている。意識はまだこちらに向いている。

 仕上げが必要だ。


「ファントム・ディスコード」


 続けて放つのは、Lv12で習得した混乱付与スキル。

 敵の認識プロトコルを書き換え、敵味方の識別信号を逆転させる。

 紫色の波動が、動きの鈍った蜂の群れに直撃した。


 その瞬間だった。

 先頭を飛んでいた蜂が、狂ったように身を捩った。

 そして、あろうことか隣を飛んでいた仲間の蜂に向かって、その太い毒針を突き刺したのだ。


 ギィィッ!


 断末魔のような悲鳴が上がる。

 それを皮切りに、連鎖的な狂乱が始まった。

 8匹の蜂たちが、空中の狭い一点で団子状態になり、互いに針を刺し、顎で噛みつき合う。

 スロウがかかっているため、その光景はあまりにも滑稽で、残酷な喜劇だった。

 体液が飛び散り、千切れた羽が舞う。

 俺たちに向かうはずだった殺意が、全て内側で消費されていく。


「えぇ……何これ」


 リリアが呆れたように呟き、剣を下ろそうとする。

 俺はすかさず彼女の背中を杖で小突いた。

 硬い音がする。


「見物してる暇はないぞ。敵が固まった。ボーナスタイムだ」

「あ……っ!」

「5秒だ。5秒やる。好きなだけ溜めろ」


 リリアの顔色が瞬時に変わった。

 呆れが、獰猛な歓喜へと塗り替わる。

 彼女はずっと飢えていたのだ。

 動かない的。邪魔されない時間。自分の全力を叩き込める瞬間。

 それが今、目の前に用意されている。


「そういうことなら……お言葉に甘えて!」


 リリアが足を踏ん張る。

 大剣が唸りを上げて背中まで振りかぶられる。

 1秒。2秒。3秒。

 通常なら絶対に許されない、無防備なチャージ時間。

 だが、今の俺たちには、永遠にも似た安全な時間だった。

 蜂たちは互いを殺し合うのに夢中で、眼下の死神に気づく様子すらない。


 5秒。

 限界まで魔力が充填された大剣が、赤熱した光を放つ。


「まとめて落ちなさいッ!」


 リリアの裂帛の気合いと共に、暴風が巻き起こった。

 豪快なスイング。

 振り抜かれた鉄塊が、空中の蜂の塊を真正面から捉える。


 グシャリ。


 それは、生物が立てていい音ではなかった。

 8匹のキラービーが、一瞬にして原型を留めない肉片へと変わる。

 衝撃波が渓谷の岩肌を削り、砂煙が爆発したかのように舞い上がった。


 静寂。

 風の音すら一瞬止まったかのような、完全な静けさが訪れた。


 砂煙が晴れていく。

 そこには、何も残っていなかった。

 地面に散らばる魔石と、いくつかの素材アイテム。

 それだけだ。


 戦闘終了。

 戦闘時間、わずか15秒。

 被ダメージ、ゼロ。

 消費MP、俺のスキル二発分のみ。

 リリアの息は上がっているが、それは興奮によるものだ。

 ギルに至っては、盾を構えた体勢のまま、一度も衝撃を受けていない。


 俺はゆっくりと息を吐き、頭上の神の眼を見上げた。

 光球は変わらずそこにあり、今の惨劇を淡々と記録していた。


 おそらく、画面の向こうの視聴者は理解できていないだろう。

 彼らが期待していた、剣戟が火花を散らす熱いバトルも、仲間を庇って傷つく感動的なシーンもない。

 ただ、敵が勝手に遅くなり、勝手に同士討ちを始め、勝手に吹き飛んだだけだ。

 そこにはドラマのカケラもない。


 あまりにも地味で、退屈な虐殺。

 だが、これこそが俺の求めていた「正解」だ。


「……行ったぞ」


 俺は魔石を拾いもせずに先に進む。

 拾う手間すら惜しい。そんな端金よりも、先に進むほうが効率がいい。

 ギルとリリアが、慌てて俺の背中を追ってくる。

 その足取りは、入る前よりも明らかに軽かった。


 神の眼が俺の背中を追う。

 視聴者の困惑が、興味へ、そして畏怖へと変わるまであと少し。

 俺たちの「攻略」は、ここから加速する。


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