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第1話 エンドロールのその先へ

 午前4時。

 薄暗い部屋に、キーボードを叩く乾いた音だけが響いている。


 6枚のモニターが放つ青白い光が、充血した俺の目を刺す。

 ボスのHPバーは残り数ドット。

 だが、こちらのパーティリストは壊滅寸前だ。


「……タンク落ちた。サブタンク、スイッチして正面維持。ヒーラーはMP温存、リジェネだけで回せ」


 ボイスチャットに飛ばす俺の声は、極めて冷静だった。

 俺の職業はエンチャンター。

 派手な火力もなければ、一発逆転の大回復もない。

 だが、このゲームのトップ層は知っている。

 バフ、デバフ。

 戦場の全てのパラメータを管理し、勝利へのルートを構築する「司令塔」こそが、この職業の本質だと。


 俺は国内最大手ギルドのマスターとして、数千人の猛者たちを率いてきた。

 その頂上決戦。相手はサーバー最強のラスボス、古竜ニーズヘッグ。


 古竜が大きく息を吸い込んだ。

 全体即死ブレスの予備動作だ。

 着弾まで2.5秒。

 タンクの防御バフは切れている。食らえば終わる。


 詰みか?

 いや、俺の計算では、まだ0.5秒余っている。


「全員攻撃ストップ。俺が止める」


 短く告げ、俺はキーボードを叩く。

 古竜のブレスには、発動直前に顎が上がるという0.2秒の硬直時間がある。

 これはバグじゃない。仕様だ。

 そして俺の手札には、この瞬間のために温存していたCCスキルがある。


 1、2……今だ。


 俺はエンターキーを静かに、しかし確実に押し込んだ。


「スタン」


 画面上のエンチャンターが杖を突き出す。

 同時に古竜の顎がわずかに跳ね上がった。

 魔法が着弾し、強制的な気絶判定がブレスの詠唱をキャンセルする。

 行き場を失った膨大なエネルギーが竜の喉元で暴発し、自爆ダメージとなってHPバーの最後を削り取った。


 Congratulation!!


 ファンファーレが鼓膜を揺らす。

 チャット欄がメンバーからの歓喜の絶叫で埋め尽くされる。

 だが、俺は深く息を吐いただけだった。

 震える手でタバコを咥える。

 脳髄が痺れるような達成感。

 これだ。この「全てをコントロールしきった」感覚。この一瞬のために、俺は人生というリソースの全てを注ぎ込んできた。


 画面には、運営からのメッセージすらない。

 代わりに、真っ黒なウィンドウが一つだけポップアップした。


『究極のロジックに到達した者よ。望みを一つ叶えよう』


 カーソルが点滅している。

 悪戯かウィルスか。そんなことはどうでもいい。

 今の俺は全能感に満ち溢れていた。


 ふと、現実世界の記憶がよぎる。

 理不尽な上司、無駄だらけの会議、感情で動く非効率な社会。

 あそこには攻略法がない。努力が正解に直結しないクソゲーだ。

 ギルドマスターとしての俺は尊敬されても、現実の俺はただの疲れた中年だ。


 それに比べて、ここはいい。

 数字は嘘をつかない。理論は裏切らない。

 俺は迷わずキーボードを叩いた。


『この世界で、続きをプレイさせろ』


 エンターキーを押した瞬間、モニターからあふれ出した光が俺を飲み込んだ。

 意識がホワイトアウトする中で、俺は笑っていた。

 最高のゲームが、また始まるのだと。


        ◇


 冷たい石床の感触と、鼻をつく鉄錆の臭いで目が覚めた。

 肌にまとわりつく湿気。遠くで響く水滴の音。

 解像度が異常に高い。VR特有のノイズが一切ない。

 俺は自分の手を見る。マウスダコのある手ではなく、白くしなやかな指先。握られているのは、初期装備のボロい杖。


 視界の端に意識を集中すると、半透明のウィンドウが浮かんだ。


 名前:ヴィック

 職業:エンチャンター

 Lv:1


 レベルは初期化されている。

 だが、俺の口元は自然と歪んだ。

 頭の中には、膨大なデータベースがある。

 数千時間を費やして検証した敵のAIパターン、スキルの隠し効果、ダメージ計算式。

 ギルドマスターとして培った戦術眼は、レベル1になっても消えたりしない。


 最強の「強くてニューゲーム」だ。


「おい! 何ボサッとしてんだ寄生虫!」


 怒鳴り声が現実に引き戻す。

 目の前には、全身を派手な鎧で固めた大剣使いの男。

 後ろには、怯えた様子の神官と、落ち着きのない盗賊。

 転生初日、ギルドで「誰でもいいから数合わせ」と募集していた野良パーティに参加したのが間違いだったか。


 目の前には、3メートルはある牛頭の巨人、ミノタウロス。

 本来ならレベル5程度のパーティで挑む相手ではない。だが、立ち回りさえ完璧ならレベル1でも完封できる。


「行くぞオラァ! 火力こそ正義ッ!」


 大剣使いが叫びながら、真正面から突っ込んだ。

 俺は天を仰いだ。

 素人丸出しだ。

 ミノタウロスの攻撃範囲は前方扇状に広い。タンク役が正面に立てば、後衛の神官ごと巻き込まれる。

 ギルドの新人研修なら、初日で追い出されるレベルだ。


 ガギィンッ!


 案の定、横薙ぎにされた戦斧が大剣使いを吹き飛ばした。

 紙切れのように舞った男が壁に激突し、HPバーが一気に赤色へ染まる。


「ぐあっ……! ヒール! 早くヒール!」

「ま、待ってください、ポーションのクールタイムが……!」


 神官が慌てて青い瓶を取り出すが、手が震えて蓋が開かない。

 盗賊に至っては、パニックになって背後へ逃げようとしている。敵に背を見せれば、追撃ボーナスが入って即死するというのに。


 この世界の冒険者は、致命的に「下手」だ。

 ステータスの暴力に頼り切り、脳死で殴り合うことしか知らない。


「おいテメェ! エンチャンターだろ!? なんか魔法撃てよ! 役に立たねぇな!」


 血を吐きながら大剣使いが俺を睨む。

 役に立たない?

 違うな。お前らが俺のレベルについてこれていないだけだ。


 俺は深く息を吸い込む。

 戦場の空気が変わる。

 ミノタウロスがトドメを刺そうと戦斧を振り上げるモーションに入った。

 振り下ろしまで1.8秒。

 神官のヒールは間に合わない。


 だが、俺には止まって見える。


 俺は杖を構えず、左手の指先だけで空中にコマンドを描く。

 狙うのは怪物の足元。光源処理が甘く、影が最も濃くなっている座標。


「シャドウバインド」


 短くスキル名を告げる。

 ズズッ、と地面の影が生き物のように跳ね上がり、ミノタウロスの軸足に絡みついた。

 踏み込みの勢いを殺された怪物が、前のめりに体勢を崩す。


「ブモォッ!?」


 戦斧が神官の鼻先数センチを空振りし、石床を砕いた。

 強烈な衝撃波が広がるが、ダメージ判定はない。


「え……?」


 大剣使いが呆気に取られている。

 俺は畳み掛ける。

 敵が体勢を立て直すまでの硬直時間は3秒。

 俺は懐から小石を拾い上げ、ミノタウロスの眉間へ正確に投げつけた。

 ダメージはゼロ。だが、このゲームのAIは「最後に攻撃した対象」へヘイトを向ける習性がある。


「こっちだ、図体だけデカい雑魚」


 怪物が咆哮し、俺に向かってくる。

 俺は動かない。

 一歩も動く必要がない。

 突進してきたミノタウロスの足が、再び俺が仕込んでおいた影の罠に引っかかる。

 二度目の転倒。

 無防備な背中が大剣使いの前に晒される。


「今だ。背中を狙え」


 俺の短い指示に、大剣使いはようやく我に返ったように剣を振るった。

 背後からの攻撃はクリティカル確定だ。

 数度の斬撃の後、ミノタウロスは光の粒子となって消滅した。


 戦闘終了。

 俺は一度も移動せず、MP消費も最低限の5ポイントのみ。

 完璧なリソース管理だ。


 だが、大剣使いは不満げに俺の元へ歩み寄ってきた。


「おいお前、今のなんだよ。地味すぎて何やったか全然わかんねぇぞ」

「は?」

「もっとドカンと爆発させるとか、すげぇ回復するとかあんじゃん? 影がどうとか、ショボいんだよ! おかげで俺の活躍が目立たなかったじゃねぇか」


 俺の中で、何かが冷めていく音がした。

 ノーダメージで勝たせてやった結果がこれだ。

 彼らが求めているのは勝利じゃない。「派手な数字」と「俺TUEEE」という浅い快感だけだ。


 俺は無言でパーティ離脱のウィンドウを操作する。

 会話するだけ時間の無駄だ。

 彼らとは見ている景色が違う。住んでいる次元が違う。


 ギルドへの帰り道、夕焼けに染まる街を見下ろしながら俺は一人ごちる。


「探すか。俺の考え通りに動ける奴を」


 常識外れの馬鹿でもいい。

 欠陥品でもいい。

 俺の理論を体現し、完璧な勝利を作れる「最高のパーツ」が必要だ。


 かつて最強ギルドを作り上げた手腕を、この温い世界に見せつけてやるために。


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