テレパシー
拝啓。
翼です。お変わりありませんか。
教授には大学時代に大変お世話になりました。
なぜ今こうして手紙をしたためているのかと言いますと、近頃知った奇妙な出来事について、教授の解釈が無性に知りたくなったからなのです。
まずはその奇妙な出来事についてお話いたしましょう。
発端は、1年前のあの事故でした。
教授も知っているかと思いますが、私が通っていた大学の目の前の交差点で起きた人と車の衝突事故です。
実を言いますと、事故に遭い、現在入院中なのは、私の高校時代の友人なのです。
大学で離れ、連絡は殆どとっておりませんでした。
あの事故は深夜に起きたのはご存知だと思います。
詳しく言いますと、事故が起きたのは深夜2時35分です。
丁度その時間。私は映画を鑑賞していました。
時計に目を見やり、2時35分という時刻を目にし、そろそろ寝なければと思い立った矢先。
奇妙な胸騒ぎがしたのです。
なんといいますか、胸の辺りがぞわっとするような、そんな感覚です。
その時は風邪でも引いたのかなと思った位だったのですが。
そしてその翌朝。あの事件のニュースを見て、こう思ったのです。
友人の名を、仮にAさんとしましょう。そのAさんに何かあったのではないかと。
大慌てでその現場から一番近い緊急病院に電話を掛けました。
そちらに、Aという名の人物が運ばれてこなかったかと。
身分を問われたので、咄嗟にこう口走りました。Aの弟ですと。
Aと私は全く血の繋がりは無かったものの、なぜか似ていました。
一緒に歩いていると兄弟かと思われることもしばしばあったため、咄嗟に出てしまったのかと思っています。
面会を許されたため、重傷ではない事を悟りつつも、大慌てで車を飛ばして病院に行きました。
私が姿を現すと、Aは驚いた表情をしながら、私の名を呼びました。
Aは軽傷で、看護師によれば2か月ほど、入院すれば良いとの事です。
私は事の次第を説明しました。嫌な胸騒ぎがしたと。咄嗟に弟だと名乗り、急いで面会しに来たと。
私の中で、ピンと張っていた緊張の糸がほつれたのでしょう。
私は泣き出してしまい、逆に慰められてしまいました。
友人は既に退院し、今でも連絡を度々取り合っています。
そのの時は、手紙を書こうという考えには至りませんでした。
手紙を書く決め手になったのは、今から書く一件です。
それは、何の変哲もない朝でした。
起きて、妙に静かだなと思いました。
テレビをつけ、私は自身の異常さに気が付きました。
声が聞こえなくなったのです。
だがしかし、アナウンサーが何を言っているのかは分かります。
脳内に流れ込んでくるような感覚です。
そのような病気は聞いたこともありません。
耳鼻科に行った方がいいのかと思い、予約をしてかかりつけの耳鼻咽喉科に行きました。
私は一回中耳炎になったことがあり、そこで手術をしてもらったことがあります。
その事もあり、私は耳が悪いのかなと。そう思いながら診察してもらいました。
馴染みの院長はこう言いました。
何の異常もないね、と。
その声もまた聞こえはせず、脳内に流れ込んできたのですが。
最初は慣れない感覚でしたが2,3日それで過ごすと、人間というのは不思議なものですぐに順応しました。
ですが、やはり不便という思いはあります。
どうにかして直したいと。必死に検索して調べてみました。
しかし。私のような症例は探しても探しても見つかりません。
これは参ったと。一生このまま過ごすのでしょうかと思い、落胆したその時でした。
微かに、友人―――Bとしましょう―――の声が聞こえたのです。
それは、助けを求める声でした。
しかし脳はいたずらなもので、幻聴かと見逃してしまいました。
その数日後でした。Bから深夜、突然に連絡がありました。
溺れて死にかけたのだと言います。
それは何時の話かと。Bに問いました。
すると、その答えは私が声を聞いたのと全く同じ日だったのです。しかも、時間まで一致していました。
これは何かがおかしいと思いました。
その翌日、私の耳に声が戻りました。
朝起きると、雀の声が聞こえる。
アナウンサーの声は明瞭に聞こえる。
聞こえる事についてこれほど感謝したことはありませんでした。
なぜ、声が聞こえなくなったのでしょうか。
私は、非科学的ですが、神のような何かが私の耳に作用し、Bの声を私が聞くために雑音を除去したのでは無いかと思います。
が、まだ疑問は残ります。
なぜBの声を聞くことができたのでしょうか。
そしてなぜ、Aの件で胸騒ぎがしたのか。
私には到底解らない疑問ばかりです。
今回は教授のこの奇妙な出来事についての解釈が聞きたく、お手紙をした次第であります。
お忙しいところ恐れ入りますが、なにとぞよろしくお願い申し上げます。
敬具。
2025年9月28日
小西 翼より。
岸谷 才教授へ