7-沈黙の森、揺らぐ信仰
――――その日、王都に続く南門前広場には、異様な緊張が漂っていた。
式典の日から十日。
聖女ミレーヌが神託として語った「魔物の襲撃予言」の日――六月五日を迎えていた。
「神の声が告げました。
東方の森、月の導く夜、災いの群れが現れ、命を喰らう
――ゆえにその地には、決して近づくな」
それが、王宮と神殿を通して全国に伝達された最初の神託だった。
軍は警戒態勢を敷き、近隣の村は避難指示を受け、王族すら緊張を強めていた。
リアナは、控えめな銀細工の眼鏡をかけ、文書館の見晴らし窓から東方の森を遠望していた。
……空は澄み、鳥が飛び交う。
騎馬偵察隊が戻ってくる様子が、点となって視界に映る。
(何も、起きない。
――それが、確信だった)
扉がノックされる。
ライル直属の調査兵が報告書を携え、リアナの元に現れる。
「森の周辺、異常なし。
魔物の痕跡どころか、獣道すら乱れておりません。
巡回村民からも何一つ変わったことは起きていないとのことです」
リアナは、そっと目を閉じた。
「ありがとう。記録として、第三報の写本を正本とともに保管してください。
……その後、広報に渡すタイミングは、私が指示します」
「はっ」
兵士が去ると同時に、祈祷鐘が一打、神殿から響いた。
それは、王宮に“何も起こらなかった”という報告が届いた証。
事態はただちに王太子に伝えられ、翌日には王宮広場に人々が集められることになった。
*
――――翌日 王都中央広場
白い演台の上、聖女ミレーヌは僅かに蒼ざめた顔で立っていた。
王太子セドリックがその隣に控えているが、今日は彼の表情もどこか硬い。
「……予言が避けられたのは、皆の祈りと、神の慈悲のおかげです」
ミレーヌがそう口にした瞬間、広場に微かなざわめきが走った。
(起きなかったのではなく、避けられた?)
最初に予言を聞いたとき、人々は確かに魔物が現れると理解していた。
だが、何も起きなかった今、それを祈りで回避されたと説明するには無理がある。
リアナは、控え席の最前列からただ黙ってミレーヌを見つめていた。
(嘘は、いつだって解釈を使って塗り直される。
でも、遅いわ――もう、最初の違和感は植え付けられた)
遠巻きの民の中に、あれ?おかしいぞ、という顔が少しずつ浮かび始める。
神託が絶対である世界で、神の声に誤差があるという発想自体が禁忌だ。
だがそれでも――人の心には、綻びが生まれ始めていた。
――――その夜
リアナは文書室で静かに記録を綴っていた。
「第一神託、内容矛盾確認。現地異常なし。王都公示にて回避と弁明。
翌朝、民衆反応に波。記録係、神官補、騎士一名より私的な疑義表明」
ページの端に、滑らかにペンを走らせながら、彼女は静かに微笑んだ。
(さあ、あなたの神は…… 次は、何を語らせるつもりかしら、ミレーヌ様?)




