4-深き聖堂、沈黙の誓い
夜の神殿は、昼間の神々しさとは裏腹に、静けさという名の恐怖に満ちていた。
白大理石の廊下は無人で、燭台の灯火だけが影を揺らしている。
リアナは、薄手の黒い外套を身にまとい、人気のない回廊を静かに歩いていた。
誰にも見つからず、誰の目にも触れず――それが、今夜の条件だ。
「……この先の祈祷室。扉は開けてあります」
導きの声は、昼間は礼拝係を務める下級神官・ヨアヒムのものだった。
神官長の信任厚き若者であり、リアナの協力者でもある。
リアナは小さく礼をして、重々しい扉をそっと押し開けた。
そこには、深紅の絨毯の上に立つ一人の男――神官長レオニス・ヴァルハルトがいた。
神殿内でも随一の実力と知性を誇る高位神官。
聖女に傅く役職ながら、噂では“無言の反逆者”とも囁かれている男だった。
「よく来られましたな、リアナ嬢。
お嬢様がこのような時間に人目を忍んで神殿に来られるなど、よほどのこととお見受けする」
その声音は柔らかくも、含みがある。
リアナは躊躇なく一歩進み、隠していた巻物を差し出した。
「……ミレーヌ様の神託、東方の森の魔物に関する件です。
この中には、現地の状況、住民の証言、過去の災害記録との一致が詳細に記されています」
レオニスはそれを受け取り、ぱらりと開く。
蝋燭の光に浮かぶ文字を読みながら、彼の眉がほんの僅かに動いた。
「これは……予言などではなく、模倣ですね。
過去にあった出来事を、さも神託であるかのように再構成したものだ」
「はい。そして、神託の前夜、彼女が民間の占い師と接触していたという証言も、複数名から得られています」
リアナの声は落ち着いていた。だが、唇はわずかに震えていた。
この国では、神託を疑うというだけで異端者として処刑される可能性があるのだ。
レオニスは静かに巻物を閉じた。
「……あなたは勇敢な方だ。
だが、これはただの不正ではない。
神の言葉という、最も崇高な権威の失墜に関わる事案だ」
リアナはわずかに頭を垂れた。
「承知しています。
だからこそ、私一人ではなく、公正な眼を持つ貴方にご確認いただきたかったのです」
沈黙が落ちた。
そして――
「……私も、神の声があまりに都合よく聖女に降りすぎていることには、かねてより違和感を抱いていた」
レオニスの瞳が、初めて静かな熱を帯びた。
「この報せ、しかと預かります。
ただし、私が動けるのは証明されたときです。
感情でも憶測でもなく、事実として立証されねばならない」
「承知しました。私は、証明いたします」
「ではその時こそ、我々は動きましょう。神託の名に、真実を取り戻すために」
リアナは深く頭を下げ、祈祷室を後にした。
静かな夜の中、足音ひとつ立てぬように歩きながら、彼女は心の内で呟く。
(――神託とは、神の声ではない。
人の欲を覆い隠す、神の仮面でしかない)
その仮面が剥がれる日は、すぐそこまで来ていた。