16-懐かしいあの頃と幸せな日々
――――王都の夜は静かだった。
灯が落ちた図書塔の最上階、窓辺のソファにふたりの姿があった。
リアナは膝に書類の束を抱え、カイルは隣で紅茶を冷ましながら目を閉じている。
「……ねえ、カイル。
あなたは、後悔してる?」
その問いに、彼はすぐには返さなかった。
リアナは書類に目を落としたまま、続ける。
「王都に残ったこと。
名を上げたこと。
誰かの正義の顔を背負うようになったこと……。
時々、あの頃の夜が懐かしくなるの。
誰にも見られず、ただ情報を集めて、記録して、静かに戦っていたあの頃が」
カイルは目を開け、少しだけ視線をずらして彼女を見た。
「……リアナ。お前は変わらないな。
背筋を伸ばして戦いながら、誰にも知られたくないって顔をする」
「そういうあなたも。
国の魔術局長官の顔して、部屋ではお茶を淹れてくれるし。
誰にも見せない癖に、優しさの出し方がずるいのよ」
「――褒め言葉として受け取っていいか?」
「お好きにどうぞ」
ふたりは笑う。
小さく、けれど確かに、お互いだけに向けた微笑みだった。
風が吹き、窓の外の木々がかすかに鳴る。
その音に混じるように、カイルが言った。
「後悔なんて、してるわけない。
俺は、今夜ここで、お前と話せてる。それだけで、全部報われてる」
リアナは紅茶をひと口飲んで、目を細めた。
「ずいぶんと、丸くなったわね。
前は“無駄な情は持たない主義”だったのに」
「例外がひとりだけできただけだ」
「――例外は、たいてい運命になるのよ」
その言葉を、カイルは笑わなかった。
ただ、深くうなずいた。
「知ってる。だから、こうして隣にいる」
その夜、ふたりの記録帳に新しい言葉は記されなかった。
書くべき事件も、争いもなかったから。
けれど静かに灯るランプの明かりが、ふたりがここにいるということを、誰より正確に証明していた。




