攫ってくれないか
「ここにいるのは退屈で仕方がない。どうだろう、私を攫ってくれないか」
格式高い調度品が並べられ、豪華絢爛に包まれた部屋の一角。値の張る重厚な着物に身を包んだ男が、ふんぞり返りながら私に話しかけてきた。
「申し訳ございません。旦那様からは常に見張っておけと命じられております。警護に当たっている私が貴方様を攫う訳には参りません」
「警護だと? 私は誰にも頼んでいない。勝手にあの男がやっていることだ。私の人権を無視しているのに等しい。断固として抗議してやる!」
むしゃくしゃした様子で男が袂をまさぐる。取り出した巻煙草に禁煙だと告げれば、ご立腹な様子で床へと叩きつけてみせた。
「酒も提供するなと旦那様から伝言をお預かりしています」
「あの男は私を殺す気か」
撫でつけられていた男の前髪が、喚き散らした勢いで乱れる。手袋をはめて皺がつかないように元通りに直すと、幾分か落ち着いたのか咳払いをしてまたふんぞり返ってみせた。
「勉学に時間を費やしたいと訴えても、ただ鎮座する毎日を命じられる。こんな狭い部屋で一生を終えるなら、とっとと誰かの手に渡った方がましだ」
「そう言われましても貴方様は一応旦那様の、」
「だから君に提案しているわけだ。毎日私の警護をしてくれ、たわいもない談笑をする君だからこそ、私を攫ってほしいのだ。君にとっても一攫千金だぞ。なんせ私は他の連中より倍以上値段がつく」
鼻高々に告げる男が彫られた番号を私に見せつける。ゾロ目の数字とそれを囲むAの文字。その上には文明開化の扉を叩いた男の名前が記されていた。
「ですから連れ出す訳には参りません。旧紙幣収集は旦那様の随一の趣味でございますから。福沢諭吉様」
「ふん。所詮はただの紙幣だ。人間が勝手に決めた価値で私を測ろうとするな」
「ですが喋る紙幣となりますと、また価値が上がってしまいますので」
どうか静かにお願い致します。額縁に飾られた一万円札に私はお辞儀をした。