無支配主義者として
昨今無支配主義(無政府主義)を聞くところ、どうやら『人間としての認可』に重点を置いていることが散聞されます。私は無支配主義者としてここに『本当の』無政府主義を掲げたい。
まず支配者層とは言うまでもなく『ブルジョアジー』です。そして大前提としてブルジョアジーが関わる全ての法秩序、モラル、マナーは支配装置です。つまり無支配、無政府=アナキズムとは人が原始に還り自然の物理的弱肉強食制=法則を回帰させる事に本懐があります。自己中心的な動作でも欺瞞的な物議でもありません。全ての秩序、マナー、モラルを破壊するのが無支配主義です。
また当然ながらその無秩序にはLGBTQ問題筆頭とした性別や黒人白人黄色人などの人種問題=ポリコレ(ポリティカルコレクトネス)を考慮しません。平等な環境で殺し合い奪い合う生き方はある種『本当の平等』です。ここで『似非自称アナキスト』から唾を飛ばしながら醜悪な笑い顔でこんな意見が烈火の如く飛んでくるでしょう。
そんな環境は今の資本帝國主義社会と変わらない。
お金がないだけで今と変わらない。
なるほど、私はよく自然回帰と賃労働について考えます。さながら醜悪な似非アナキストは私の内にも一人いる、ということになるでしょう。ですが私は私の内に秘めた醜悪な似非アナキストを無論、論破しており、その恩恵として本当のアナキズムに目覚めたという事が理解できます。
さて本題に入りましょう。上記の意見をどう破壊するかに焦点を当てて論じます。まず第一の『資本主義や帝國主義と変わらない』説ですが、これは簡単です。資本主義、帝國主義は帝が居ます。そう『資本』と『王』です。この二つのイデオロギーは君主を設けてやっと一人前です。自然環境から離れることが出来ず駄々をこねた人間という動物が最終的に自然に対し
『人は自然環境に勝てないから人は人だけで社会を創りたい』
と要求した末の人間管理環境です。故に自然回帰思想であるアナキズムとは正反対の主張、手段、社会であり、実践です。二つ目に移ります。
『金がないだけで社会形態は変わらない』
この意見には矛盾があります。そもそも金があっての現社会形態であり、金がなければ現社会形態とは呼べません。また資本主義社会は弱肉強食ではなく世襲制です。出世コースに乗るにはある程度の資本が無ければ不可能です。周知の通り義務教育九年間『だけ』では偏差値三〇台の大学すら入れません。出世コースに乗るにはある程度の金銭的ゆとりが必要なのです。つまり一言で述べると最低でもプチブルでなければ出世できないということです。勿論独学で普通科目を研鑽しても出世コースには乗れますが、相応の『時間』『環境』が必要です。時間は有限です。時間を学問に使える人は賃労働しなくとも良いか、或いは環境に依存できる人です。ここでの環境とは肉体的、精神的な物も孕んでいます。独学と言っても人間は独りになる事は出来ません。狭い日本ではあり得ない事です。本論に戻りますが、金を稼ぐ為に形態変化した現社会と自然回帰した無秩序社会を比較するのは賢明ではないことがわかるでしょう。履歴書、フィルター必至の『経歴はマナー』と置くことができる現社会と無秩序社会は全く違います。無秩序社会では自由に身体上腕の立つ者だけが富を得ることができるのです。
また無支配主義に人間と人間の団結などの協力体制や感情的な慈悲や慈愛はありません。そもそも協力体制は自然界に反したい人間が自然に相対する強固な社会を作る為に支配者を生んだ根幹的原因です。また物資の枯渇が現代の最優先解決事項である事は明白であり、そこに感情論を持ち込む余裕はありません。
長々と書きましたが真の無支配、無政府主義とは文化や財産を全て棄てて成り立ちます。人間が人間を辞めた瞬間無支配主義者が主権を握るでしょう。無支配主義者は命を惜しんではなりません。何故ならば生存競争に敗れてしまうからです。無支配主義者は挺身実践せねばなりません。何故ならば強権政府に勝てないからです。最後に無政府主義、無支配主義者たる最初の実践は解放自治区を創るなどという従来の似非無支配主義を打倒することにあります。自治区とは第二の政府であり、その思想はアナキストの敵であるからです。