38.最初の掃除
あれから1日が経った。
無理矢理な戦闘によって少しの間安静が必要となってしまったリゼ。しかしそれは色々と準備が必要な彼女にとっては、むしろ好都合な事だったかもしれない。当然、そんな怪我をしている彼女の元にラフォーレが現れる事など1度も無かった。そして、例の彼女は今は事情聴取の為にカナディアと共にギルドの会議室へと向かっている。
そんな中でリゼが最初に手を付け始めたのは、もちろん今直ぐにでも解決出来る事柄についてだった。それ即ち、これから彼女と2人で住む事となる場所について。
「なるほど、部屋はこれで充分かな。家賃は……つ、月に14万L!?こ、こんなにする物なのかマドカ!?」
「そうですね……トイレ、お風呂、台所に寝室が付いた部屋となれば、これでも大分お安い方でしょうか。勿論、契約時には敷金と礼金が必要です。これはどちらも家賃1月分ですね。普通は2ヶ月分が相場なのですが、ここの管理人さんは人を見て部屋をお貸しする方なのでお安めなんです」
「と、都会の家賃を私は甘く見ていたのかもしれない……カナディアの言葉に甘えておいて本当に良かったよ」
「ふふ、そうかもしれませんね。……あ、そういえば私もこれを渡すのを忘れていました」
「ん?これはなんだろう」
「少し早いですが独立のお祝い金です。本当はクラン設立の為の必要資産にして貰おうかと思ったのですが、敷金礼金の足しにでもして下さい」
「……じゅっ!?マ、マドカ!君は一体どれだけ私を甘やかして!」
部屋探しを相談されたマドカは直ぐ様に知り合いの住宅管理人の元へとリゼを連れて行き、条件の良い部屋を探し出してくれた。そうして紹介された綺麗な部屋で彼女から手渡されたのは、真っ白な封筒に入れられた10万L。自身もそれほど余裕がある生活をしていないにも関わらず、彼女はこうしてポンポンポンポンとリゼに金を使ってくる。
……まあ一応マドカとしては、前の教え子にも、その前の教え子にも同様の額を渡しているので、今回も別に特別な話では無いという認識ではあるのだが、その誰もがこうして突然ポンと手渡された10万Lに驚愕と困惑を抱いていた事は彼女も知らない。
「そしたら、ええと……取り敢えずは必要最低限の消耗品と家具を用意しなければならないのか」
「家具は備え付けの物が幾つかありますけど、見た限りでは布団と調理器具は買い直した方がいいですね。残っている前の住人さんの私物も処分が必要な物がいくつか」
「なるほど……あ、衣服や拭き布も必要か。それに一度部屋の中を徹底的に掃除もしておきたい」
「それなら、本職さんにお手伝いを願いましょう」
「本職?」
「ええ、本職さんです。私が呼んできますので、その間にこの辺りの書類に記入をお願い出来ますか?それが終わったら1階の管理人室の手紙入れに入れておいて下さい。それで手続きは終わりなので」
「そんな雑でいいのか!?」
「はい、話はもう通してありますから。行ってきますね?」
そうして取り残されたリゼは何となく思った。もしかしなくてもこの部屋選び、1番張り切っていたのはマドカだったのではないかと。
ここの管理人は人を見て部屋を貸すと言っていた、しかしリゼは未だに管理人の顔すら見た事がない。そしてマドカは話はもう通してあると言った、それはつまりリゼは顔すら見られる事なくその条件をクリアしたという事だ。……というか、マドカが勝手にクリアしてくれていた。改めて感じるマドカの顔の広さ、自分も努力を重ねればああなれるのか。リゼは苦笑いを浮かべながらも書類作成を始めた。
それから30分ほどが経った頃。リゼが書類作成を終えて無人の管理人室に手紙を入れ戻って来て直ぐに、マドカは帰って来た。彼女曰く"本職さん"であるという2人の人物を連れて。
「ユイ!来てくれたのか!」
「はい。リゼさんが引越しをされると聞いて、少しでも力になれるのならと。……ちなみにエルザ様は連日の疲労故に今日はご不在です」
「いや、助かるよ。君が居てくれるなら百人力だ」
「それともう1人」
「ん?」
元はエルザの実家でエルザ付きのメイドをしていたというユイ、今も普段からエルザの分まで家事を行なっている彼女が掃除を手伝ってくれるとなれば何よりも心強い。そう言えば何らかの事情で今はエルザの主人を名乗っている彼女であるが、その辺りの話もまだ聞けていない事をリゼは思い出した。
まあ、そんな疑問は彼女とマドカの背後に隠れる様にして立っていたもう1人の助っ人とやらの声を聞いた瞬間に吹き飛んでしまう訳だが。
「あれ〜?この声は"せっかくマドカさんが珈琲代を支払ってくれたにも関わらず、あれから一度もお店に来てくれない恩知らずのヒモ野郎さん"のものじゃないですかぁ〜?」
「ひっ!?……ま、まさか!?」
「お久しぶりですねぇご主人様ぁ♡どうしてお店に来てくれなかったんですかぁ?私ぃ、と〜っても寂しかったんですよぉ♡」
「ひぃぃいい!!」
「何本気で怖がってんだ殺すぞボケ」
メイド喫茶"ナーシャ"でたった1人のメイドを務めていたリコ・スプライト。かつて傷心していたリゼにとんでもないトラウマを植え付けた金髪の小さなエルフのメイドがそこに居た。
思わず尻餅をついて後退りをするリゼ、そんな彼女に青筋を立てた作り物の笑顔を浮かべて迫り追い詰める鬼メイド。そうしてリゼはあまりにも情けなくマドカの背後へと隠れた、彼女を盾にしながら。
「な、な、な、なんで彼女がここに居るんだマドカぁあ!?」
「え?だってリコさんもメイドさんですから、ユイさんのお弟子さんでもありますし」
「そ、そうなのかユイ!?」
「以前メイドについて知りたいとお話を頂きまして、少しばかりのご教授を」
「えへへ♡これでもちゃんとメイドとしてお店を守っているんですよ?ご主人様♡」
「嘘だ!!!!」
「おいお前ちょっと面貸せコラ、外の台車に縄で括り付けて街中引き摺り回してやる」
益々彼女から隠れる様にしてマドカにしがみ付くリゼ、なるほどその姿は確かに情けないものだろう。さしものマドカも苦笑いを浮かべてリゼの頭を撫でるしかないし、そんな姿を見て鬼メイドはまた弄るネタが増えたと内心でほくそ笑む。
実際にリゼは、あの日以来一度もあの店を訪れてはいない。それは確かに忙しさはあったのだが、何よりその忙しさを理由にして逃げていたのだ。マドカが珈琲を年中無料にしてくれたという話も、直接確かめた訳でも無かったので眉唾物の話として、それをわざとマドカに直接確認しなかったのもリゼがあの店から逃げていた証明である。
「ま、まあまあともかく、今は掃除をしてしまいましょう?リゼさんもまだ本調子では無いと思いますし、あまり無理をしないで下さいね?」
「あ、ああ……」
「今日も私が頑張りますから♪いつもみたいに寝転びながらヒモしてくれて構いませんからね、リゼさん♪」
「マドカの声に似せてそういう事を言わないでくれ!!それだけは本当にやめてくれ!!」
「ちょっと必死過ぎて引きますご主人様、きっも」
「その言葉が1番キツい!!」
そして案の定、言葉だけでもこれでもかと言うほどにコテンパンにされるリゼ。まあそれは楽しそうに笑っているリコ・スプライトから逃げる様にマドカの背後で隠れているその姿は、哀れに思うユイが居る一方、普段見れない彼女のそんな姿に少しだけ可愛らしさを感じているマドカも居た。
(……あー、これマドカさん相当気に入ってるかなぁ。あんまりマドカさんの前では弄らない方がいいかも)
ちなみにそんなマドカの反応を見ながら、何かを察して一瞬口を瞑った女も居た。
持って来た拭き布を濡らし、床清掃用の棒具に取り付けて3人に手渡すリコ。彼女とて怪我をしていると言うリゼに対して本気で手伝わせるつもりなど無かった。……とは言えあんな弄り方をしたからかオロオロとしているリゼである、そんな所がまた弄りやすいのだ。流石にそろそろ自重はするが。
「はい、ご主人様はこれで机の上でも拭いておいて下さいね♡」
「えっ、他にやる事は……」
「机の上でも拭いておいて下さい♡」
「いや、だが……」
「チッ、めんどくせぇなぁ……あっ、そうだぁ!いくらメイドとは言えお腹は空いちゃうのでぇ、昼食くらい奢ってくれてもいいんですよぉ?今日の働きに見合う様なぁ、と〜っても美味しいご飯を♡」
「……分かったよ、今日ばかりは奢らせて貰おう。あの喫茶店でいいかな」
「いや、なんでだよ。帰ったらまた私働かなきゃいけねぇだろうが、別の場所にしろ別の場所に。今日はプライベートだっつってんだろ」
「あ、すまない……」
そんな事は一度も言われていないはずではあるが、どうやら彼女は休みを取ってまでここに手伝いに来てくれた様であった。
マドカが何をどうやってメイドとマスター2人きりの店から彼女を引き抜いて来たのかは知らないが、少なくともリゼが完全に邪魔者扱いされているのは流石に分かった。歩き回らず余計な事をせず机でも拭いてろ、ド直球にそう言われている。これがもしマドカやユイに言われていたならば、リゼもそれはもう落ち込んだ事だろう。しかしこれを言ったのがリコ・スプライトという悪魔であっただけに、単なる戦力外通告ではなく、単純にゴミ扱いされているというか。
(よし、もう黙って座っていよう……)
こうして納得出来た。
それはもう、ある意味でリゼとリコの間でしか成立しない関係であるのかもしれない。良し悪しの問題はあるかもしれないが。
「……マドカは、掃除も出来るんだね」
「え?掃除ですか?」
「うん、とても慣れている様に見えるよ」
部屋の掃除は各々で手分けをして行う事になった。
ユイはトイレや浴場を、リコは寝室と台所を、そしてマドカはリビングを。彼等3人が取り出した掃除道具は各々に本格的で、しかもユイとマドカは探索者ならではの筋力を活かして軽々と家具を退かして丁寧な掃除を行なっていく。
そんな彼等を見て素直に感心をしたリゼは手だけ拭き布を動かして、窓拭きをしているマドカに声を掛けた。女の手でも軽々と窓を取り外して持ち上げるマドカは、リゼのそんな声掛けにも気にせずに言葉を返してくれる。
「ん〜、自分自身そう上手く出来てる自覚は無いんですけどね。普段の家の掃除も必要最低限という感じですし」
「そうなのかい?……あ、そういえば、マドカは何処に住んでいるんだろうか、聞いた事が無かった」
「ここからそう遠い場所では無いですね。北西の住宅地区の方でお母さんと2人で住んでいます。そんなに大きなお家でもありませんから、お掃除もそこまで大変ではないんです」
「……失礼かもしれないが、あのラフォーレが掃除をしている様子はなかなか想像出来ないかな」
「ふふ、そんな事ないですよ?お皿洗いとか、お風呂の掃除とか、毎日忘れずにやってくれるんですから。私の自慢のお母さんです♪」
「……意外だ。毎日お風呂掃除をしているのか、ラフォーレは」
想像するだけで面白いその姿。
しかしラフォーレは殆どの家事をマドカに任せているとは言え、マドカの為ならその全ての家事を代わってもいいと考えている様な人間である。焼いて味付ける雑な料理で良いのなら彼女にだって出来るし、そうでなくとも彼女は数年旅をしていた経歴もあった。基本的に不潔を嫌うラフォーレが掃除に対して苦手を抱いていないのは当然である。
そこはラフォーレについての理解度故の見解の相違だろう、彼女を知ればそこにも次第に理解が及ぶ様になっていくことだ。
「あ、そう言えば最近お母さんに思う所があるみたいなので、今回の引っ越しを機に一緒に食事を取る機会を減らさせて貰ってもいいですか?」
「ん?それは私もレイカの事があって同じ事を提案しようとしていたから構わないが……思う所というのはなんだろう?」
「多分いっしょに食事が出来なくて寂しいんだと思います。リゼさんが独立すれば私もあの食堂を職員として使えなくなってしまいますから、時期としては丁度良かったのかもしれないですけど」
「え……ああ、そうか、完全に忘れていた。私が独立したらマドカと食事を出来る時間が減るのか」
「そうですね、また自炊中心の生活に戻ってしまうので。……とは言え、お昼は食堂のいつもの場所で食べてる筈ですから、いつでも同席大歓迎です。お弁当沢山作って待ってますから」
「ああ、時間を見つけてなるべく足を運ぶ様にするよ」
着実に。
着実に、距離が離れていく。
まるで誰かがそう誘導しているのでは無いのかと、そう何かに八つ当たりをしたくなる程に、それを感じる。
けれど、これまでが特別だった。
そして、リゼはまだ未熟だ。
マドカも、形式上の独立はさせているが、決して本当の意味で手放すつもりなど無いだろう。リゼの立ち位置が、それこそユイやエルザと同じ場所に変わるだけ。時間を見つけて一緒にダンジョンに潜り、助言を貰ったり、階層を進めたり、そんな事を他の探索者の誰よりも優先して行って貰える。
「マドカ」
「はい?どうしたんですか?」
「私は幸せだよ、君の弟子になれて」
「!……さて、どうでしょう?これから先も同じ事が言えるでしょうか?」
「おや、それでは私がこれから後悔してしまう様な言い方だ」
「当然ですよ、独立したという事は初心者期間はお終いということなんですよ?次に私とダンジョンに潜る時は、今までよりずっと厳しくリゼさんの成長をチェックする事になります♪」
「ああ、なるほど、それは怖いな。マドカに失望されない様に頑張り続けないといけないかな」
「ええ……それに、リゼさんにはまだまだ教え切れていない事もありますから。ギルドの配信の中には私やカナディアさんが開いている講義みたいなのもありますし、講習会も任せて貰える様になりました。リゼさんがそれ等をしっかりと見て、学んで、実践に活かしているかどうかも確認しますからね?」
「ふふ、マドカは厳しいな」
「期待してますから、それだけ」
マドカはリゼの今後を心配して彼女を早くに手放す事に決めたが、それでもやはり大切な教え子として考えているのだ。
そして、期待しているのだ。
お金に糸目をつけないくらい。
「はいはいご主人様〜、イチャイチャするのはそれくらいにして貰っていいでしょうかぁ?甘過ぎて吐きそうになりますわぁ」
「いったっっっぁ!?」
「マドカさ〜ん、この人借りていいですか〜?背が届かない場所がありまして」
「ふふ、分かりました。あまり無理をさせない様にお願いしますね?」
「了解しました〜。さて、そうと決まればさっさと歩けこの糞ご主人様馬鹿野郎♡私ぃ、背が低くて届かないんですぅ♡」
「どれだけ言い繕った所で君が私の頭に物を投げつけた事実は消えないからな!!」
「もうご主人様ったら♡物じゃなくて、私の秘石ですよぅ♡」
「余計に悪いだろう!人の後頭部に投石をしたのか君は!?私で無ければ大怪我していたんだぞ!?」
「腫れの一つも出来てない癖に大袈裟ですよご主人様、それではマドカさんまた後で〜」
「痛い痛い痛い痛い痛い!!耳を引っ張らなくとも歩ける!歩けるから!!」
そうして引き摺られていくリゼを、マドカは苦笑いを浮かべながら見送る。リゼにしてみれば本当にトラウマになる様な相手ではあるが、リゼがあれほど乱暴な言葉遣いをするのは皮肉にもリコ・スプライト相手だけである。そして当の彼女もリゼの事を相当に気に入っている様に見えた。それだけでマドカの"リゼの友人を作る"という目的は半分達成されていたのかもしれない。
「それにレイナさんでしたか、リゼさんの良き理解者になってくれるといいですね。……一応、私ももう少し探しておきましょうか。リゼさんのクランに入ってくれそうな有力な人物を」
マドカのリゼに対する重い思い。
もしかしてそこには、自分を慕ってくれていたにも関わらず、自分の見ていない場所で命を落としてしまった1人の少女の影響もあるのかもしれない。




