20.単純な女
『マドカの様になるためならば、自分は頑張る事が出来るはず』
昨日その様に治療をしてくれたユイに言い放った筈のリゼは今、トボトボとダンジョン4階層を上に向けて歩いている。
何故彼女がこんなにも落ち込んでいるのか。
それは昨日そう言い放った筈の言葉を結局成す事が出来ず、本当に自分はマドカの様になりたいのか信用出来なくなってしまったからである。
思えばあの事故の後、リゼはエルザにも助けられ、ユイにも助けられた。しかしその後に悉く2人の助けを無に返す様な事ばかりが続いてしまっている。
エルザがマドカの怪我の原因を分散させ、リゼにだけ背負わせない様にと言葉を尽くしてくれたにも関わらず、ラフォーレの登場によってやはり自分の責任であると考えた。その後にユイが自分達の過去を話してまでラフォーレに付けられた心と身体の傷を癒やしてくれたにも関わらず、リゼは今こうして身も心もボロボロになりながら呆然とした表情で歩いている。
負けた。
負けたのだ。
通常種のワイアームに。
今、リゼのレベルは10ある。
あの強化種ワイアームとの戦闘の後、レベルが2つも上がっていた。ただ逃げ回り、反撃を試み、失敗してダメージを負っただけなのにこれだ。これだけでもあの強化種がいったいどれだけ規格外の存在であったのかが分かるというもの。
……だというのに、負けた。
以前は1人でもなんとか勝てたのに。
今ならもっと楽に勝てる筈だったのに。
一方的に嬲られて、逃げ出した。
エルザやエリーナとの約束を破った。
ユイとの言葉を茶番にしてしまった。
マドカの教えを少しも活かせなかった。
「私は……」
昨日の勢いのままに約束破りを承知の上で強さを求めるために挑んだワイアーム戦。
しかし久方振りにその仇敵と相対した時、最初に感じたのはそんな勢いすらも塗りつぶすほどに濃密な、どうしようもない恐怖だった。
今の今まで自覚どころか想像すらしていなかった様な自分の身体の変化。足が震え、手が震え、本当にただの通常種のワイアームだというのに、その姿からあの強化種のワイアームの姿が脳裏を過ってしまう。実際にはそこには存在しないのに、あの時に感じた悍しい程の威圧感を感じてしまう。
防戦一方。
その瞬間に勝つという意識すらも飛んでいた。
襲い掛かってくるワイアームを相手に、逃げることしか考えられなくなっていた。
もし隣に他に誰かが居てくれれば、少しは冷静になれていたかもしれない。以前の様にマドカが側で見ていてくれたのなら、戦えたかもしれない。
しかし存外にも1人での戦闘というものは恐ろしく、心細く、なにより強化種と戦った際に感じた恐怖と死の直前の感覚がリゼの心に深く刻み込まれていた。
もしかしたら以前に戦った時にも、マドカが側に居なかったら負けていたかもしれない。
山で弱いモンスターを狩っていた時とは違うこの感覚。自分の命が明確に危険に陥る程の強敵との戦闘というのは、経験のなかったリゼにとってそれほどに影響の大きなものだった。
「……せめて、傷を治して、服だけでも変えておかないといけないな。話が伝わって床に伏しているマドカに心配をかけたくはない」
あの強化種騒動の前にマドカから受け取った宝箱は、今でもリゼの探索の役に立っている。いくら多く入るとは言え、容量の限界自体はあり、その限界も箱によって異なると聞くが、なにより重量が元の箱と変わらないというのが便利な性質。中にはこうして着替え等を入れてあるし、この箱のおかげで深層への遠征も便利になっているという理由もよく分かる。
ただ持ち物に関しては、持って行くものを事前に書類として提出しているので、変な物は持っていけない。もちろん違反がバレたりしたらまた面倒な事になってしまうが、真面目なリゼであればそこは何の問題もない。その辺りは可燃物質を持ってダンジョンを焼こうとするような輩に対する処置であるのだから。……例えばそう、娘のためにダンジョンを24階層まで焼き払ったあの女のような。
「あ……」
「ん?」
そんな風に服を一式着替え、地上に戻り、魔昌の換金を終えて食堂に向かう途中の事だった。換金をしてくれるヒルコからも訝しげな顔をされる程に見てわかるくらい落ち込んで歩いていたリゼが出会ったのは、それこそ昨日2度と顔を見せるなと言われた例の女性。
「ラフォーレ、アナスタシア……」
「チッ、不景気な顔を見せるな殺すぞ」
「いや、それは、まあ……申し訳ない」
「マドカの食事を持っていなければ今直ぐにでも潰していたものを……退け屑、私の道を塞ぐな」
「あ、ああ、すまない……」
「………」
巨大な台車に数多の料理を乗せてゴロゴロと押して来る彼女のそんな姿は、周囲の者達からしても少し前では考えられない光景だろう。しかしそんな彼女の事は見ても誰一人として道を塞ぐことなく、むしろ誰もが道を開けるのだから都合はいいのか。つまり、この空間で道を塞いだのは下を見て歩いていたリゼだけだった。
そしてそんなリゼもまた、彼女の恐ろしさは身に染みて分かっている。気分が沈んでいる今、加えて殴られるなど絶対に御免だ。素直に道を譲り、それ以上は何も言わない。
「……やはりイラつくな、お前」
「え?……うぐっ!?」
「ほう、防いだか。VIT(耐久力)だけは半人前だな、ワイアーム程度に敗北する雑魚が」
「っ、何故それを!?」
「貴様程度がマドカの補助無しで歩ける階層などその程度だろうが!!」
「っ!がっ!?」
最初の蹴りの一撃を咄嗟の判断で防いだリゼ。しかし直後に振われた2度目の蹴撃は、リゼの両腕のガードを避ける様に直撃の寸前に軌道を変え、目では追えていても身体では反応出来ない凄まじい速度でリゼの腹部を捉える。
ステータスだけではない、その技量すらもリゼとは比べ物にならない一線級。未だ半人前にすらなれていない未熟なリゼでは、そんな彼女の遊びの蹴りすら防ぐ事は叶わない。
「……弱過ぎる」
「っ」
「ステータスも無ければ技術も無い、あるのは目だけか。その様でよくもまあマドカの側に居たいなどと宣ったな」
「私、は……」
それは事実だ。
リゼは決して武道など習った事もなく、山に居た時にも知能の低いモンスターを倒すには目以外の物はそこまで必要では無かった。大半は祖父から教わった猟銃を使って弱いモンスターを倒し、どうしても必要な時にだけ短剣や銃や棍棒で殴り付ける。
そこらで剣を使ってモンスターを討伐していた者よりも、リゼは近接戦闘が未熟だろう。近接戦闘で強くなる為には目だけではどうにもならない、そんな事はここ数日で嫌でもよく分かった。
だからこそ、こうして直接言われてしまうと心が割れる。自覚しているからこそ、苦しく思う。今直ぐに解決出来ない問題だと、自分一人ではどうにでもならないのに、他の人間に助けを求められない今だからこそ辛いのだ。誰にも頼る事が出来ない今この瞬間が、本当に。
「………本当に腹立たしい」
「?」
しかし次の瞬間、ラフォーレがリゼに投げ付けたのは1通の手紙だった。手紙と言うよりかは本当に手元にあった紙に文字を書き、それを綺麗に折り畳んだだけの様にも見えるそれ……まさかこれが目の前の女からの手紙だとは、流石のリゼだって思わない。
「マドカからだ」
「!!」
「私が貴様の様な屑の為に足になるだけならばまだしも、マドカが未だ貴様というゴミを気に掛けている事が何より気に入らない。……それさえ無ければ、その気に入らない顔面を存分に叩き潰す事が出来たというのに」
それだけを吐き捨てる様に言うと、彼女は再びマドカのための食事をゴロゴロと運びながらその場を去って行く。
リゼは未だに腹部に残った鈍痛を感じながらも、そんな事に気に取られている暇など無いとばかりにマドカからの手紙に目を向けていた。
2つ折りにされた綺麗な何枚もの白い紙。
きっと彼女も急いで書いて、包む用紙も無い状態で、慌ててラフォーレに届ける様に頼んだのだろう。まさかラフォーレがあれほどリゼに嫌悪感を抱いているという事も露知らず、しかし純粋にリゼの事を思って。リゼの事を心配して。
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リゼさん、お久しぶりです。
お元気でしょうか?
私は今日もユイさんの治療を受けながら色々な事を考えていました、そろそろお日様が恋しいです。
本当はリゼさんとも直接会ってお話ししたいのですが、私に打ち込まれた毒が実は徐々に気化していまして、周囲にも若干の影響を与えている事が判明しましたので、面会は極力禁止です。お母さんは強引に入って来てしまったので治療院の方々も諦めてしまっているのですが、本当にどんな影響があるか分からないので今は我慢ということで。気化した物に関してはユイさんの薬で解毒も出来たのですが、やっぱり心配なのでリゼさんは来てはいけませんよ?
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「……そこまで深刻な状態だったのか」
身体に打ち込まれた物が、今も気化して周囲に影響を与える程の強力な毒。ユイが一日中付きっきりで治療をしているとは言え、本当に彼女が命の危機に居るという事だけは素人でもよく分かる。
しかしこうして手紙を書ける元気があるという事もまた確かだ、リゼは続けて文を読んでいく。
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……さて、ところでユイさんから少しだけ聞いたのですが、どうやらリゼさんは今色々と行き詰まってしまっているそうですね。
とは言え、私も今は動けないので、リゼさんに授業も出来なければ指示を出す事も出来ません。ここで鍛錬について書いてもいいのですが、4階層まででリゼさんが学べる事はもう少ないですからね。後ろ盾が無い状態でワイアームに挑むのも危険ですから、それもオススメしたくはありません。
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「……ああ、君の言う通りだったよ、マドカ。私は愚かにもそれをしてしまったけれど」
そこまで彼女は分かっていたという事に、リゼは思わず自分の考えの浅さを笑ってしまう。もしこの手紙があと数時間早く来てくれれば、とも思ったが、むしろあれも良い経験だったかもしれない。自分がどれだけ思い上がり、思考が足りない人間であったのかが分かったのだから。
少なくとも同い年であるはずのマドカに、リゼはあまりにも大きな差を感じている。
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という事で私は今日、リゼさんにおすすめのお店を紹介する事にしました。
色々と悩んで、苦しんで、心が痛くなって……けれどそんな時、それを一度全部忘れてしまう事も時には必要です。視点を変え、他の人の視点を知り、そうしてもう一度自分を見直してみれば、それまでとは全く違った考えが浮かんで来る事もありますから。
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そんな言葉の下に、小さな絵によってその店の場所が分かりやすく記されている事に気付く。一体それが何の店なのかは分からないが、マドカの紹介する店ならば信用は出来るだろう。
そして更にそこにはその店の主人に手渡す様にと小さな手紙も貼り付けられており、彼女のその徹底振りにリゼは小さく苦笑った。
彼女は本当にリゼの事を心配していたのだ。
こんな惨めな様になっている自分の為に、今も色々と手を回してくれている。
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探索者をしていれば、辛い時や苦しい時はどうしてもあります。私もそうでした。
けれど、どうか今この時を乗り越えて下さい。もう一度私と会えるその日まで、心折れる事なく耐え続けて下さい。そうしたら、そこから先は、全部全部私に任せてくれて大丈夫ですから。きっとリゼさんを立派な探索者にしてみせます。
だから今は、私を信じて下さい。
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「マドカ……!」
手紙を見て泣くなど、はじめての経験だった。
まさか出会って少ししか経っていない相手の手紙にここまで感化されるなど、本当に自分でも信じられない。
けれど分かってしまうのだ、彼女は今も自分に期待してくれているという事が。こんな無様に人が通る廊下の隅に座り込み、涙を流している無様な自分の事を心配してくれているという事が。
「ああ、耐える……耐えるとも……もう一度君の顔を見るまで、私は折れたりはしない」
立ち上がる、心も一緒に。
リゼは流されやすい人間だ。
一度凹まされてしまえばズブズブと自分でも勝手に沈んでいくが、一度引き上げられてしまえば物凄い勢いで浮かび上がって来る。
ワイアームの敗北とラフォーレから受けた仕打ちはそれはもうリゼの心を大きく沈ませたが、マドカからの手紙という蜘蛛の糸は差し引きしてもプラスに上るほどに彼女の心を引き上げる。
単純だ、そして簡単だ。
けれど、だからこそ好ましい。
そう思ってくれる人たちが居る。
少なくとも、マドカはそんな彼女を気に入っている。
今はその事実だけで十分だ。
「よし、早速この店に行ってみよう……!色々と悩み事はまだあるが、違う視点を知ってみるのも大事だとマドカも言っていた!エルザも言っていた気がする!いや、ユイも似た様な事を言っていた様な……」
……思いの外、マドカから言われた事は既にその教え子達からも受けていたという事に気付く。というか、その度に立ち上がって、また撃ち落とされて来たのが今日までの数日間だ。もしかしなくとも今正にあのラフォーレともう一度出会ってしまったら、この高揚した気持ちも砕かれてしまうのかと思えて……
「っ!!」
リゼは急いでギルドから逃げ出した。
昼食は食堂ではなく、別の場所で取るという事を心に決めて。ここには既に居ない筈のラフォーレから逃げ出した。これは仕方のないことだった。
ラフォーレ・アナスタシア……大量の食事をマドカの元に運んでいる。気に入らない相手の指示など聞くどころか殴り付けて黙らせるまであるが、愛娘のためならばどんな雑用も積極的にやってくれる。意外と家では家事もやっている。




