1.最初の出会い
ダンジョン、初めてその言葉を目にしたのは祖父の部屋に置いてある大量の書物の一つからだった。
この世界に存在する4つのダンジョンについて、それが発見されるに至った経緯、困難と苦難の旅路、仲間達との衝突や友情、そして乗り越えた先で手に入れた浪漫と現実。
最初の3つのダンジョンと世界の壁を見つけ出した勇者エゼルドの物語も彼女は何度も見たが、やはり個人的に興味を持ったのは4つ目のダンジョンについて焦点を当てて描かれているこの作品だった。
誰もが作り話ではないのかと思う様な本当の話が、そこには事詳細に、その瞬間をただ文字に目を通すだけで簡単に想像出来る程にら熱烈に書かれていた。彼女が本を読むのに夢中になったのは、きっとその本を最初に読んでしまった事が原因に違いない。
朝から晩まで工房に籠って銃ばかり作っていた変わり者の祖父。彼は山奥に引っ越して来る前に手持ちの殆どを売り払った癖に、この本の山だけは宝であるからと苦労して運び込んだと言うが、いつの間にかその本の山の主になっていたのは1人の女子。
祖父は基本的に銃工房に閉じ籠ったまま、普段は睡眠を取る時くらいにしか出て来なかった。それはまだ幼い少女にとって少しだけ寂しい事でもあったが、やはりそんな彼女を救ってくれたのも書物達だった。
祖父の持ってきた本の中には専門的な物から物語、小説、果てはまだ幼い子供が見てはいけない様な少しだけ刺激的な物まで様々にあったが、それ等の全てが外の世界について全く知らない少女にも世間的な常識や知識を授けてくれたと考えれば、無数に存在する彼等の作者達こそが彼女の親や先生と言っても過言ではないだろう。
"ダンジョン"
……ああ、本当になんと甘美な響きだろうか。この世界の常識が何一つ通じることの無い、予想外と未知に溢れた真なる異世界。
発見から350年以上が経つ現代でも、最深部への到達は一度として成されておらず、その中でも特に有名な"龍の巣穴"と呼ばれる南方の海洋近くに存在するダンジョンでは、"ドラゴンスフィア"と呼ばれる摩訶不思議な宝石が見つかったという。
エルフや精霊族等の魔法を使える種族に生まれなくとも、そのスフィアを手に入れられれば誰であろうと魔法が使える様になるという、文字通り世界の常識をひっくり返した宝石。
それこそ、それは彼女の祖父の作っていた猟銃が馬鹿にされ始めた原因でもあったのだが、少女はそれにとても大きな浪漫を感じていた。
いつかダンジョンに行ってみたい。
仲間達と探索し、宝石を手に入れ、大きな龍と対峙して、この物語の様な冒険をしてみたい。そして出来るのならばこんな風に、自分も物語にされる様な人間になってみたい。
少女がそんな子供らしい健全な夢を抱き始めたのは、この環境の中ではあまりに必然の話であった。
……そして、幼い頃に密かに抱いたその思いが現実味を帯びたのは、皮肉にも祖父が病によって命を落としたその時だった。
祖父が亡くなった事は悲しい。どれだけ狂っていても、それでも自分にとっては唯一の家族であり、ここまで育ててくれた人間でもあったから。
けれど、同時に少女は自由を得た。
祖父に縛られる事なく、自分のしたい事をする為に、この家を離れても問題が無い。この狭い世界から解放され、求めていた広い世界へと、足を踏み出す事が出来る。
自分でもあまりに祖父への思いやりの欠ける思考だとは思ったが、それでも祖父が自分を養っていた理由も家事をさせる為だと考えると、そこはまあ似たもの親子と割り切る事も出来た。
そして少女は家を出た。
準備は意外にも直ぐに終わった。
外の世界を見たい、ダンジョンに行きたい。
祖父が残した最高傑作と、10年以上も煮詰め続けた思いと熱量を胸に。"龍の巣穴"があるとされる港町:オルテミスへと向けて、彼女は1人旅立ったのだ。
「なっ、入れないのか!?」
「え、ええ、流石にこれでは……」
そして今、彼女は正にその憧れた街の中に居る。
あちらこちらに透き通る水が流れ、街並みからその作りまで恐らく名のある職人達が拘りを持って作り上げたのであろう美しい都:オルテミス。
探索者と呼ばれる者達が多く歩くこの街でダンジョン:龍の巣穴を管理しているのは、ギルドという公共機関だ。
ダンジョンに入るにはギルドからの許可が居る、物価の高いこの街で宿を取るには金がいる、お金を稼ぐにはダンジョンに入って稼ぐ必要がある。
ならば仕方がない、ダンジョンに入ろう。
そうして意気揚々と訪ねたギルドで言われた言葉が、これだった。
「最低でも身分証明書が無ければダンジョンへの入場は許可できません」
「生まれてこの方山奥暮らしだった私にそんなものはない……!」
リゼ・フォルテシア17歳。
その大きな見た目のせいで年齢さえも信じて貰えない哀れな女の姿がそこにはあった。
リゼ・フォルテシア。
祖父からは『リゼ』と呼ばれていた彼女は、その齢17という年齢からは想像が出来ない程に発育が早かった。
12の頃には背丈は1.6mを超え、バストも一般女性並みに育った事から、定期的に下町に買い物に出掛けていた祖父に舌打ちをされながら女物の下着を渡された思い出がある。
祖父の手伝いをするだけならば力仕事なども出来たので不便に思う事はあまり無かったのだが、まあ何をするにしても胸部の脂肪が邪魔で仕方がないと、女性に対する興味が欠片も無かった祖父にはよく愚痴られたものだった。
そしてそこから5年が経った今では身長は1.8m近くまで伸び、バストも街で売っている下着では収まらず、ウキウキ気分で入った服屋では大きめの成人男性用の物しか合うものが無いと言われる始末。結局今はそれを自分に合う様に仕立て直して貰った物を着ているという酷い有様だ。本当の本当に着る物にさえも困っている。
しかし祖父が最後に彼女に残した所謂最高傑作は、正にそんな彼女の体型をよく考慮したと言うか。それなりに知識を叩き込まれ、時々実験体にさせられていた彼女でなければ使い熟す事のできない物だったというか。
簡潔に述べれば大きさも威力も構造も一通り馬鹿げた狙撃銃となっており、その大きさもまた周囲から彼女に目線を集める理由の一つになる。
「う、うぅ……」
加えて、艶のある黒髪を後ろに纏め、衝撃を和らげる素材で作られた動き易い黒の上着に灰青色のパンツを愛用している彼女の姿は、確かに戦闘を考えての衣服選びをしたつもりかもしれないが、まあ生地がそれなりに薄く身体のラインがよく浮き出る。
周囲の男性からチラチラと向けられる視線に気付かないというのは彼女の育ち故に仕方のない事なのかもしれないが、無防備という言葉もまたよく似合うだろう。
目の前の受付嬢でさえも、目の前で忙しく揺らされるそれに少しの気まずさを抱いて自然と目を背けてしまうのは、実際もうどうしようもない。普通に気まずい。
「頼む!どうにか、どうにかダンジョンに入れて貰えないだろうか……!」
「そう言われましても……」
「そ、その身分証明書とやらは作れるのかい!?」
「ええと、この街にお住まいを持たれている方なら今直ぐにでも申請は出来ますよ?最近の方は生まれて直ぐに申請を出されていますし、他の街でもそれと同じ事をしている筈です」
「だから私はそれをしていないんだ……!」
「あ、それならクランに入るというのはどうでしょう?クランというのは探索者達が所属している集まりでして、正式に認められているクランが承認さえして下されば、それだけでダンジョンに入れます」
「そ、そのクランとやらに入ればいいんだな!?どこがお勧めなのだろうか!?というかもうこの際どこでもいいのだが……!!」
「……あ、そういえば今は都市成立祭の影響でクラン募集はしていない時期でした」
「駄目じゃないか!?」
「えと、ギルドが認めている上級の探索者さんが同伴してくれるのでしたら、それでもダンジョンには入れるんですよ?……ただ、今は都市成立祭の影響で大抵の探索者さんが街の外に出ている状況でして」
「やっぱり駄目じゃないか!?というか、どうして都市の記念祭なのに皆が都市の外に出ているんだ!?その成立祭とやらはいつ終わるんだ!?全然祭をしているようには見えなかったんだが!?」
「昨日始まったばかりなので、あと5日以上は……」
「それより先に私の方が飢え死にする……!」
八方塞がり。
受付に食らい付く様にし必死にて解決法を探るリゼだが、提案される言葉はどうしようもない返答ばかり。
生まれてこの方バイトの一つもしたことの無いリゼにとって、これから10日間なんとかして生き残る為には都市を出て野生動物を狩りながら生活するしか無い。だが、せっかく山奥から出て来たというのに、ここまで来てそんな生活などしたくはない。憧れの街を目の前に野生動物の肉を焼いてガジガジする生活など、リゼは全くのお断り。
せめて狩るにしても、どうにかダンジョンに入って狩りたい。憧れの街における最初の思い出を、そんな情けないものにしたくはない。そんな強い思いが彼女の中にはあった。
「そ、それなら……!」
「それなら私が一緒に同行しましょうか、エッセルさん?」
それはそんな風にリゼがもう一度受付の女性に何か例外的な方法は無いのかと尋ねようとした、正にその瞬間だった。
リゼと受付嬢、2人の(一方的に)騒がしい会話に初めて他の誰かが割り入ってきたのは。
そしてそれは同時に、リゼ・フォルテシアが運命の出会いを果たした瞬間でもあった。彼女の人生の方向性を変えてしまい、決めつけてしまうような。そんな少し乱暴で、横暴な、けれど大切な出会い。
「あっ、マドカさん!」
「……え?」
リゼの背後から声を掛けてきた1人の少女。
受付の女性から『マドカ』と呼ばれたその女性は、振り返ればそこで白銀の長髪を後ろに流しながら2人の方を見てニコニコと微笑んでいた。
一瞬の停止。
まるで世界の時間が止まったかの様な錯覚。
無意味に思考と血流が回る。
血流を押し出す心の臓器が脈打つ。
それでも、何の結論も出せはしない。
リゼは、一体彼女が誰なのか、彼女はどういう立場の人間なのか、そして彼女が言った事は本当に認めて貰えるのか。そう言った一切合切が分からないまま戸惑いつつも、このよく分からない妙な感覚と身体の変化に混乱してしまい、どうにかして欲しいと受付の女性の方へと助けを求める様に目線を向けた。
……しかし。
「も、もしかして……!マドカさん!もう依頼を終わらせて来てくれたんですか!?」
「ええ、急ぎの依頼だと伺っていましたから。……はい、こちらの箱に当初の数量に少しだけ上乗せした分を入れてあります。確認をお願い出来ますか?」
「流石マドカさんです!これなら時間までに間に合います!本当に助かります!……あ、えっと、ちょっと待ってて下さいね!今直ぐ別の職員に数量確認をさせて来ますので!」
「あ、ああ、それは構わないが……」
「お気を付けて下さいね」
そのマドカと呼ばれる彼女に小さな小箱の様な物を手渡された受付の女性は、喜びのあまり跳ねるような勢いで少し離れた位置で書類整理をしていた男性の方へ向けて走っていく。
話を聞くに、ギルドはどうやら急ぎの依頼を出していた様で、それをこの女性が予定よりも早く達成してくれたと……そのおかげでギルドは当初の予定に間に合い、怒られずに済む。
端的に述べればそういった事情らしい。
そんな事を考えながらもリゼが自分より0.2m以上背の低い"マドカ"という女性を横目で興味深そうにチラチラと見ていると、それに気付いた彼女が何処か申し訳なさそうに頭を下げた。それに対してリゼもまた慌てて手を振りながら向き直る。
「突然割り込む様な形になってしまい本当に申し訳ありませんでした、まだお話の途中でしたのに」
「い、いや、それは構わないんだ!……ところで、君は?」
「マドカ・アナスタシアと申します、この街で活動している探索者の1人です。気軽にマドカとお呼び下さい」
「わ、私はリゼ・フォルテシアというんだ。私もリゼと呼んで貰って構わないよ。……ところで、先程の話なのだけれど」
「えと、同伴の話ですよね?構いませんよ。私はそれなりにギルドと繋がりもありますし、きっと認めて貰える筈です。……勿論、リゼさんが私なんかで良ければの話ですが」
「そ、そんな事はない!むしろこちらからお願いしたいくらいだ!同伴をお願い出来ないだろうか!」
「ふふ、お引き受けします。……それでは、もう少しエッセルさんを待ちましょうか。きっと直ぐに手続きも終わりますから」
青い瞳に白のコート。
同い年の女性ならば丁度これくらいなのだろうか、と思える様な背丈の彼女。
自分とは違い胸の発育は若干控えめな方だが、常々こんなものは邪魔だと言われて来たリゼからしてみれば、それすらも今は羨ましいと思うし、清らかな彼女にはそれこそ似つかわしいと思えた。
……そうだ。
なにより彼女は、美しかった。
とても綺麗だと思った。
美しいとか、神秘的だとか。
ことのつまり、見惚れてしまったのだ。
今も口元に手を当てながら微笑んで自分を見てくる彼女は、それこそ物語で見た様な精霊や女神の様で……こうして顔を合わせているだけで自然と顔が熱くなってしまう。
受付の女性の反応を見るに、この女性は信用の出来る人物なのだろう。そして彼女の言を信じるのなら、それなりに優秀な探索者であるという事。
ただ、それよりも何よりも、ほんの僅か言葉を交わしただけのこの状態でさえ、リゼの中での彼女に対する好感度はあまりにも大きかった。
彼女でいいのか?等と、とんでもない。
むしろ彼女がいい。
彼女とこそ、お近づきになりたい。
この出会いに心からの感謝をした。
彼女が自分にとって救いの天使であり、これから歩む物語のお姫様なのだと思わず拝みそうになりつつも、それこそ変な目で見られるのではないかと辛うじて残った自身の理性によって、リゼはなんとか心の衝動を引き止める。
今はダンジョンに入れる喜びもあるが、精霊や天使の様な容姿の彼女と一緒にそのダンジョンに入れるという喜びの方も相当に強かった。
まるで自分が何度も何度も擦り切れるまで見直したあの物語達の主人公になった様で……17歳相応のドキドキで、その不相応に膨らんだ胸を大きく高鳴らせながら、ただ横目でチラチラと彼女を見つつ、受付嬢が来るのを待つ。そんな彼女の様子はきっと、もし性別が違えば即逮捕されてもおかしくないようなもので間違いない。
リゼ・フォルテシアのマドカとの最初の出会いは、そんなあまりにも不審者染みたものであった。
勇者エゼルド……350年ほど前に勃発したとされる種族間戦争の最中に、様々な種族の仲間を引き連れて世界を周り、3つのダンジョンと世界の壁と表された極厳地帯を発見し周知した人物。この偉業はそれから約100年後に大きく評価されることになった。




